第10話

「あら、もう時間なのですね。本当に楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものですわ」

「楽しんでいただけたのなら幸いです」

「……ずっと一緒にいたいくらいよ。こんなに心穏やかにいられたのは幼い時以来だもの」


 五時間目が始まる前のチャイムの音。

 ここから十分以内に講義を受けられるようにしておかなければいけないんだ。さすがに図書室に居座り続けるわけにもいかないだろう。


 読んでいた本を畳んで元の位置に戻す。

 はぁ……そんな重い話を俺にするのはやめて欲しいんだけどな。ただ、俺も別に楽しくなかったわけではなかったから……本当に少しだけリップサービスをしておくか。


「昼休み……その時なら俺はここで本を読んでいます。まぁ、誰かに伝えるわけでもない独り言ですが、本を読みながらでいいのなら会話くらいはできるでしょうね」

「ふふ……その独り言、覚えておきますわ」


 嬉しそうに微笑んでイリアは去っていった。

 イリアと話しながら本を三冊程、読んだが……結果としては最高だったな。軽く流し読みをしただけで頭の中に知識が入ってきた。


 それを理解できるかという部分だが……リヒトの頭の良さもあってか、噛み砕いて教えられるくらいには理解できている。それに黒魔法に対しても知見が得られたから使う時が来ても困りはしないだろう。


 これで昼休憩は図書室に籠る事で決まったな。

 まずは図書室にある本の知識を覚え切ってから他の事に移る。実技に関しては下校後にメイジーに仕込んで貰えばいい。意外とイリアから学ぶのも悪くは無いか……いやいや、それで余計な勘繰りを受ける方が面倒だ。


 それにイリアと話している時にメイジーが暴れていたからな。従魔の気持ちに関しては何となく分かるから知っているけど、イリアと話している時に出る事を許していたら殺しに行っていただろう。イリアほどの有名人が死んだら大問題どころでは済まなくなるから許さなくて正解だ。


 確か五時間目は体術学、六時間目は剣術学で両方とも実技だったっけ。でも、過去の記憶が正しいのなら型の勉強だろうから気にし過ぎなくとも大丈夫だろう。


「それじゃあ、これから体術学の講義に入る。まず体術の必要性に関してだが」


 話の長さは教師ならではの特徴なのかね。

 グダグダと煩かったが要は敵の虚を突くためにも必要と言いたいらしい。得物と体術を組み合わせる事でできる事が一気に増える。まぁ、考えれば分かる話だ。それを威張り散らして語れる姿は少しだけ滑稽に見えてしまう。


 それに……同じ事を何回、口にするんだ。

 アレか、若くして記憶力が大きく欠落している可哀想な人なのか。そう思えば多少は聞き流していられそうだ。……いや、楽しい話では無いから聞き流せたとしても気分は良くないが。


「んじゃ、二、三人で一組になれ。いつも通り稽古の練習だ。リヒトは……まぁ、俺とでいいか」

「ええ、よろしくお願いします」


 すごく嫌らしい笑みだな。

 まぁ……リヒトはコイツら教員にも手酷く可愛がられていたようだし、前と同じく鬱憤晴らしでもしようと思っているのだろう。とはいえ、教員という名の元Cランク冒険者だ。モラルやマナーなんてアリはしない。


 ってか、モラルやマナーがあるのなら教員になってスキンヘッドは無いだろ。アレか、ハゲ隠しか……若くしてお禿げ様なんて可哀想ですね。明智光秀と陰口を叩いてやろうか。そんな事で気も晴れるわけが無いからやめておくが。


「やるぞ、構えろ」

「……行きます」

「……はぁ?」


 えっと……今、俺は何をしたんだ……?

 教員を背負い投げして倒してしまった……だとしたら、どうして俺は投げ出す事ができたんだよ。一瞬だけ意識が飛んだ最中に体が勝手に動いて投げてしまった。


 明確に無駄の無い、投げに徹した動き。

 これは……亮太という魂が持っていた技術なのだろうか。だとすれば、確かにメイジーが俺を主として認めるのもよく分かる。これだけの事ができる程の技術があるとすれば……それは本物のマスターと呼ばれるべき存在だ。


「お前……何をした!」

「……マグレじゃないですかね」

「なら! そのマグレを続けさせてみろよ!」


 おっと……一気に速度が上がったな。

 それにただの突撃ではなく、殴りや蹴りまで入れるようになった。……でも、不思議だな。全ての動きが見えるし、読めてしまう。何をどうしたくて、何が目的で動いているのかが分かるんだ。


 俺をぶん殴るための両手による殴り。

 だけど、そのどれもが先に対処出来てしまう。右から来れば右腕で流せるし、左から来れば左腕で流す。上から来る事もあるが……気を付ける必要があるほどの問題は無い。全てがメイジーに比べればお粗末で遅いんだ。


 二分程度、流していたら焦りが見え始めた。

 少しずつ大振りが増えてきて遅さに磨きがかかっている。ここら辺が潮時だろう。左足での蹴りを右腕で受け止めて……右足で蹴りを入れてやる。大丈夫、本気で戦わずとも対処はできるんだ。それに蹴りを狙ってきたという事は早めに倒したいという気持ちの表れのはず。


「ふ、ざけんなァッ!」

「……遅いよ」


 俺の胸ぐらを掴んでの投げの体勢。

 体が勝手に動く……でも、少しだけムカついてしまうな。俺の体を勝手に動かされるなんて俺であっても嫌だね。だから、この先の一手は俺が良さそうに思える攻撃にさせてもらう。


 左手で相手の手を掴んで一気に手繰り寄せる。間合いは見間違えない。今の魂の動きで多少の立ち回り方は学べたからな。近付かせている間に利き手に力を込めて……放つ!


 狙うは……最高のアッパーカット!




「グッ! ガッ……!」

「……あちゃー」


 泡を吹いて倒れてしまったな。

 一応、三十手前でCランクまで上り詰めた優秀な人ではあるんだけど。まぁ、それだけ優秀でなければ教える立場には立てないか。……いや、そんな人を軽く流せてしまう俺って、いったい何なんだよ。それはさておき、この歓喜の目……。


「俺、何かやっちゃいました……?」








 ◇◇◇








「———それで早く来た、と」

「あはは……アンさんの扱きに比べれば大した事が無かっただけなんですけどね」

「はっ、確かにその通りだな! あのババアは見てくれこそ綺麗だが中身はただのブラッドゴリラと変わらねぇ!」


 プラスに考えればそれだけ強いって事か。

 ブラッドゴリラはSランク冒険者がようやく対等に戦える魔物だ。褒め言葉として捉えるならそう考えられるだろうけど……まぁ、知らね。ドリンの共犯にされたくはないから後で告げ口しておこっと。


「まぁ、強くなった事は良い事だ。でもな、油断は絶対にするなよ。強さに甘えた瞬間に人っていうのは簡単に死ぬんだ」

「……肝に銘じておきます」

「ああ、お前が教えてくれたオーガの件も今日から調査が始まっている。最悪はソイツらに助けて貰っていいんだからな。無茶だけは絶対にするな」


 こういうところは本当に良い人なんだよな。

 まぁ、だからといって、告げ口をするのは決まった事だからね。申し訳ないけどボコボコにされてくれ。軽く礼をして街の門から少し距離を取る。


 さて、近くに人の気配は無いな。

 という事で……本気で走るとしますか。ここら辺ならまだ人が来る可能性もある。もっと言えば教員をぶっ飛ばしたおかげで出来た時間は有効活用したいからな。


「よーい……ドン!」


 俺は風……この俺を包む温かみと同じだ。

 短距離走で有名なボルトさんとかも同じ気持ちだったのかもしれない。これは一言で言って最高だ。とはいえ、速度だけならボルトさんすらも超えているだろうし、短距離ではなく長距離程度の時間を走っている。こういう微かな感情も強くなるための起爆剤にしよう。


 って事で……。


「二人を召喚しますか」

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