第9話

「いらっしゃい。図書室では静かにな」

「ええ、失礼します」


 ここなら誰かに絡まれる事も無ければ試しておきたい事も簡単に行える。そうだな、まずは読んだ本が簡単に思い出せるかを試す。リヒトではなく俺が読んでも知識として記憶から出し入れができるかどうか、それができるかどうかで話がガラッと変わるからな。


 とすれば……読むのは魔法学か魔力学の本の方が良さそうか。そこら辺の本なら今の俺に読解できるか分からないくらいの難易度だから上手くいった時に大きなアドバンテージを得られる。言ったらなんだが亮太の知識からして明確に偏っているんだよなぁ。頭が良いというよりはマニアック……が近いか。


「おや、魔法学に興味があるのですか」

「あ、はい……魔法が苦手な分だけ座学の理解度を高めようと思っていたんです」

「それは良い心構えです。……あら、そこまで崇高な考えがありながらFクラスなのですね。下を小馬鹿にし、上に媚びへつらうような人しかいないと思っておりましたが少しだけ考えを改める必要がありそうです」

「……イリア・ヴァンストレイさんにそう言っていただけるとは喜ばしい限りです」


 なるほど、銅色の校章で判断したか。

 金色のショートカットに大きく見開かれた瞳、腰にさげる少し長めのレイピア、そして胸元に付けられている最高クラスであるSランクを示す金色の学年章……この人はリヒトでも知っているくらい有名な人だ。


 確か、同じ学年の中で座学実技の両方において一位を取っている超有名人。顔を覚えられると目立つ危険性が高まるが……伯爵家であるヴァンストレイ家が相手となれば面倒事を減らせる可能性も増える。まぁ、深く関わりたくはない相手だな。


「イリア、でいいですよ。同じ学園で学び、同じ学年である生徒に敬語を使われるのは喜ばしくありません」

「そうは言われましても本来であれば一市民の倅である私では、話しかける事すらも憚られるような存在です。せめてイリアさんと呼ばせては頂けませんか」

「むぅ……仕方がありませんね。では、私は貴方を呼び捨てで呼びましょう。お名前は……?」


 なるほど、確かに人気があるわけだ。

 裏表の無い人格者、どのような人間に対しても等しい優しさを与えるような存在。メイジーを知らなければ簡単に靡いていたところだ。それでもただ優しいというわけではなさそうだが……。


「リヒト、です」

「リヒト……すみません、初めて聞きました」

「仕方がありませんよ。最低クラスの人間の名前など覚えていて得がありません」


 返答を間違ったか、目が細くなった。

 どこか引っかかる部分があったか……いや、口にした発言は全て心からの本心であり、この学園における常識のようなものだ。気にする部分なんてどこにも無いはず……。


「その割にはリヒトは強そうですけど」

「あはは、気のせいですよ。ですが、慣れていない手前、褒められて嫌な気持ちはしませんね。もし、よろしければもっと褒めては頂けませんか」

「ふふ、いいですよ。いっぱい、リヒトの事を褒めてあげます」


 ……はぁ、少し舐めていたかもしれないな。

 冗談で誤魔化せはしたけどイリアはあまり近付かない方が確実に良い。メイジーとアリスの影響で強化されている俺を見抜いていた。話しかけたのも本が理由ではなくステータスの高さ故か。それもそうだよな、読んでいる本に興味があって話しかけるなんて気紛れが過ぎる。


「ありがとうございます。とはいえ、イリアさんの時間を奪うわけにはいきませんので、ここら辺で離れたいと思います」

「別に気にしなくともいいのですよ。もし嫌でなければ少し付き合っていただきたいと思っていたのですが」

「それはできません。イリアさんと話をしている姿を他の誰かに見られただけでも学園に通う事すらままならなくなります。一緒にいる時間があるとなれば余計にです」


 ファンクラブもあるような女の子だ。

 後ろから刺されでもしたら……いや、刺された方が近付く事も無くなるか。それでメイジーが暴れ始めないかが怖いけど、俺が止めればどうとでもなるだろう。……ううん、やっぱり、痛いのは嫌だからナシで。


「それなら私が近くで本を読んでいるだけ、であれば問題は無いはずですよね。誰かに見られたとしても本を読んでいた中で近くに来ていただけと、言い訳なら幾らでもできるようになるわ」

「……そこまで近くにいたい何かがあるのなら拒否はしません。ですが」

「ええ、それでも文句を言う人がいるのなら私が相手をするから安心して。だって、私が勝手に話しかけているのにリヒト君がとやかく言われる何ておかしいもの」


 それはそう、でも、嫉妬というのは時として常識すらも無視して人を動かすんだ。イリアという最上級の女性と近付くためなら何だってする。それなのにイリア自身が話しかけるような存在がいれば少なくとも良い気はしないよな。


 まぁ、逃げたところで今度、また今度と会いに来られる危険性だって増える。それなら適当に対応しておいた方が得だ。主にギビルとかの牽制として、加えてイリアからの好感度は上げておいて損が無いだろうし。深過ぎず浅過ぎず、悪い言い方だと思うが利用するだけだ。


 とはいえ、まだ話して間も無いのにリヒト君呼びはおかしいと思う。記憶が正しければ彼女が君呼びをしている人なんて数人いるかどうかだし、その数人だって俺より強いエリートばかりだ。一言で言って面倒この上ない。


「それで、どうして魔法学の本を読むのですか。申し訳ないけどFランク程度なら読まずとも進学に関しては問題が無いように思えるのだけれど」

「……対策を練るためには魔法に対する知識が多くなければいけません。それこそ、学園から社会へ出るとなれば甘えた考えではいられませんから」

「本当に勤勉なのですね」


 実際は黒魔法の勉強が一番の目的だけど。

 まぁ……彼女は俺が倒せ無い判定をした存在だからな。俺とメイジーの間ほどの微妙な強さというべきか……いや、それだけの力を同じ歳の少女が持っている事の方が普通ではないか。


 そんな子が言葉の意味を理解できていないわけが無い。買い被りならそれまで、もし俺の考えが当たっているのなら……少しだけ興味が湧くな。


「どうかしたのですか、急にニコニコして」

「そうですね、一つ理由としてありそうなのは褒められて嬉しい……とかでしょうか」

「その程度で喜ぶなんて……本当に悲しい生活を送ってきたのですね」


 侮辱にも思える発言だが否定はしない。

 亮太という第三者の視点が入っているからこそ、悲しい生活だと思えるし、対して当人としての辛い記憶だって持っている。それじゃあ、その程度で彼女を叱責するのか。


 いやいや、面倒事になるのが目に見えている。

 ましてや、褒められて嬉しいって発言は半分が真実で半分が嘘だ。もっと見られたくない部分があるからバレていないのならそれでいい。俺の魂の中にいるどこぞの誰かさんは少しだけ怖いオーラを発しているが俺は気にしていないな。


「ねぇ、本当に付き合ってくれないのかしら。少なくとも私と一緒なら悲しい思いなんてしなくても済むようになりますわよ」

「悪い話だとは思いません。ですが、イリアさんが思っている程、私は才能も無く、知性だって持ち合わせておりません」

「……よく言えますね。まぁ、リヒト君にはリヒト君なりの考えがありますもの、そこを否定する気はありませんが……力があるのに隠すなんて意味が分かりませんわ」


 それは単純に人目に付きたくないからです。

 そんな事を俺が人目に付きたくない一番の理由である大貴族の御令嬢、イリアには言えるわけも無い。別に力を振り翳して無双する事が面白くないとは言わないけどさ……そうだな、強いて言えば美しくないよね。


「力がある、というところがまずもって間違いですよ。まぁ、基礎的な事であればできなくは無いと思いますけど」

「ふーん……そういう事にしておきます。でも、いつかは少しくらい付き合って欲しいです」

「お断りします。これ以上、悲しい思いはしたくありません」


 冗談めかして笑顔で返答をする。

 これで多少は気を許していると考えてくれるだろう。運が良いのか悪いのか……どちらとも言えない状況ではあるけど何もしないという選択肢は取りたくない。


「本当にFランクとは思えないですよ。Sランクの人よりも話しやすくて、気を負わなくて済むなんて」

「口だけは上手いんです。それだけが取り柄ですので」

「ふふ、それならこの楽しい時間をもっと楽しまないといけませんね」


 美しい顔がくしゃりと歪んだ。

 それを見て少しだけ……胸の奥がチクリと痛んだ気がした。

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