第14話 長尾政景

 永禄13年(1570年)4月25日ー



「虎姫様、じっとしててください」



「だってくすぐったいじゃん。ふふっ!」



「お苗殿、こちらを試してみるのはいかがですか?」



「それなら問題は無いですね。お船殿、それと奥のも取ってくれますか?」



「かしこまりました」



 上で2人のやり取りを聞き流しつつ頭の中は緊張で真っ白になっていた。今年でわたしは数えで5つになった。わたしは1570年になる前に暇を縫ってほぼ毎日のように奥に行って清姉上や桃姉上、伯母上と会っていた。



 それは冬が近づくき、春が近づくに連れて頻繁になっていた。たけど3人ともわたしが来ることにそこまで躊躇わず、わたしの華道や書道、芸事にも手伝ったり、百人一首や将棋などで色々と遊んでくれたのだ。



 そして本日1570年4月25日。わたしは清姉上の結婚式に参加する。清姉上の結婚相手は北条氏秀。わたしの父上に養子入りしたので上杉景虎となった男だ。そう。彼こそがあの御館の乱の主な原因となった人物だ。



 なぜ北条からの人質が氏政の次男の国増丸ではなく、異母弟である北条氏秀なのかと言うと、それは遡ること半年以上前。氏政が拒んだからだ。氏政曰く



「なぜ輝虎殿は実子では無いのにわしが実子でならなければいけないのだ?だから上杉家への人質はわしの実子ではなく異母弟にする」



 だそうだ。わたしはこの話しを聞いた時はすごく呆れた。史実でそのようなことがあると分かっていたがやっぱり呆れた。



 恐らく巻き込まれただけであろう氏秀が不憫で仕方がなかった。巻き込まれたばかりに死ぬ運命に会うだなんてとんでもなく不憫だ。流石の父上もこの話しを聞いて呆れたが、理屈は一応通る上に反論もできないので父上は了承することになった。



 一応人が変わっても養子入りになることには間違えなかったのでこれに伴い同い年であった清姉上に婚姻が決まることとなった。



「嫌にございます!なぜ人質にわたくしが嫁がなければならないのです!」



 わたしと伯母上は一緒に伝えに行ったが、これを清姉上は酷く拒んだ。気持ちはよく分からないでもない。人質というと聞こえはあまり良くない。



 実際に徳川家康も人質時代であった際に今川義元の姪・瀬名姫と婚姻した際は最初、酷く嫌われたそうだ。それくらいこの時代人質は宜しくないものなのかもしれない。



 それにこの時代わたしと喜平次のように気心を知れた相手と婚姻もしくは婚約することは滅多にない。基本的に初対面だ。わたしも正直顔も名前も知らないような相手とは婚姻したいとは到底思えなかった。



「清姉上……」



「清。この婚姻は越後のため、上杉家の静謐を保つためにも必要な事なのですよ」



 ここで清姉上が拒んだところで決まったものを変えることは出来る訳でもないし、破却することも出来ない。戦国時代という時代はというより姫という存在はいつの時代もどこの国でもこういうものなのだ。



「分かっています!ですが、わたくしには納得できません!」



「清……わたしも正直政景様と……つまりあなたの父上……婚姻するのは嫌だったのですよ」



「え、母上も父上のことが……?あんなに仲良さそうだったのに、ですか?」



 この政景様というのは伯母上の夫で清姉上、桃姉上、喜平次たちの父親である長尾政景のことであろう。



 長尾政景。大永6年(1526年)生まれで永禄7年(1564年)8月11日に亡くなった。享年は39歳。



 天文16年(1547年)、わたしの父上、つまり上杉輝虎(当時は長尾景虎)がその兄である長尾晴景と家督争いが勃発。この際に政景は晴景側についているが結果的に父上が勝った。が、政景はこれに反抗。



 だが、父上の猛攻に遭い、天文20年(1551年)に政景はこれに降伏をした。同年にその和睦の証として嫁いだのが父上の姉である綾(仙洞院)*だった。



 永禄7年(1564年)8月11日。彼は居城であった坂戸城近くの野尻湖にて不審者を遂げた。




 世間的には溺死だと言われているが仮にも戦国武将である彼がそのような無様な死に方をするわけが無いため死因については論争が起きていた。なにやら長尾政景の遺体には刺傷があったらしくこれによりいくつかの異説が出ていた。



 1つは普通に溺死説。もう1つは謀殺説だ。この謀殺説は上杉謙信説、同行していた宇佐美定満説など様々だが、いずれもはっきりとした結論は出てない。



 そんな彼だが、わたしが生まれる数年前に亡くなったため当然接点があるわけでなかった。余談だが伯母上と長尾政景の夫婦仲は円満だったそうだ。だから清姉上やその話を知っていたわたしも驚いていた。



「ええ。だから清、あなたも氏秀殿、いいえ景虎殿とはきっと上手くいくはずですよ」



「母上……」



「そうですよ!清姉上。それに景虎殿は容姿端麗で大変優秀な若者だと聞き及びます。なのできっと清姉上は気に入るはずですよ!」



 わたしはこれらの話に終始黙って見ていたが口を開いた。ちなみに容姿端麗という話は事実らしく現代にもその話は伝わっていた。



「虎……あなたがそういうのなら間違いないのかもしれませんね。分かったわ」



 ようやく清姉上の了承が取れた。何はともあれ清姉上と景虎は今日結婚することとなる。




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*1537年に既に嫁いでいた説がある

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