【旧版】軍神の娘

周日向

第零章 序章

第1話 上杉謙信

 享禄3年(1530年)1月21日の越後国。この日、とある男が誕生する。その名も上杉謙信。彼は越後の龍の異名が有名で、彼自身も軍神・毘沙門天の生まれ変わりと名乗り、戦国の世でも令和となった現代でも畏怖され、数々の尊敬を集めている人物だ。しかし、そんな彼も天正6年(1578年)3月13日で病気に倒れて、死去した。享年49歳。想定外ともいえるその死は後継者争いを生み、越後どころか日ノ本中を巻き込んだ戦に発展してしまう。その結果、軍事で鍛えられた上杉家の国力が著しく衰えてしまった。

 それほどまでに、謙信という人物が上杉家にとって大きな存在であったことがうかがえる。

 もしも、上杉謙信がもっと長生きをしていたのであれば日本はどのような歴史をたどっていたのか、もし上杉謙信が天下を統一していればなどという「もしも」の話は歴史にはありえない。

 だけど、もし「上杉謙信に血のつながった実の娘がいた」という話をしたら歴史が好きな人たちは一体どんな顔をするだろうか。

 上杉謙信には子がいない。毘沙門天の化身を自称し、生涯不犯を誓った彼に妻子がいなかったことは、歴史好きなら誰もが知る常識である。現時点の研究でも、妻子の存在を示す確たる史料は確認されていない。

 それでも、彼はわたしの父親なのだ。

 なぜであろうか。いくら考えても、上杉謙信が父親のようにわたしを膝の上に乗せたり、わたしの頭を撫でたりする現実が変わるわけがない。正直何がどうなってこんな状況に置かれたのか、理解ができない。

 本来のわたしは、現代日本で暮らす、少し歴史が好きな一般女性だった。だがこの世界に転生して、すでに一年あまりが経つ。

「父上!」

「虎、どうかしたか?」

「このご本、読んでください!」

 ひょいっと当たり前のように父・謙信の膝の上に座る。ここはわたしの一番の特等席で、謙信もそこに座ると本当にうれしそうに笑う。その様子はまさに父親だと思う。

 上杉謙信の娘になって一年も経てば流石に慣れた。

 上杉謙信に血のつながった実の娘がいたという事実は未だに解せないし、なぜわたしのようなごく普通の日本人女性が戦国時代に転生してしまったのか、などという疑問は尽きない。だけど、慣れてみると案外問題なかった。ひょっとしたらこの一年ちょっとの生活は夢なのかもしれない。という考えに至るとこができたからかもしれない。

「この本か……。虎にはなかなか難しいと思うが、読んでほしいか?」

「はい! そのご本はきっと面白いと思うので!」

「そうか。いい子だ」

 謙信はわたしの頭を優しくなでた。

 わたしはせっかくならこの夢を楽しもうと、毎日彼の暇を狙って積極的に彼の元へ向かい、本を読んでもらったり、構ってもらってる。

 謙信といえば、その人生の大半を戦場に置いてきたのではないかというほど、本当に戦のイメージが強い。それはまさにその通りで、わたしが生まれたあたりの頃にも戦にいて一番最初に会えたのは生まれて三か月が経った頃。これでも随分いい方で、本来はその倍かかる予定だったその戦を交渉して早めに切り上げてきたそうだ。その理由はわたしが生まれたこともあるがわたしの母にあたる人物が産褥熱にかかり、そのまま亡くなってしまったこともあった。

 生涯不犯を誓った身であるはずの上杉謙信になぜ子供がいるのか。わたしも詳しいことは知らないが、彼に女に関する噂はあることにはある。

 例えば、伊勢姫という人がいた。

 1575年、上杉謙信は上野国(今で言う群馬県)に攻めていた際に一目惚れして生涯を共にしたいと思ったそうだが、彼女だったという。しかし、彼女は敵方の娘であったために柿崎景家ら重臣に猛反対された上杉謙信は仕方がなく婚姻を諦め、伊勢姫の方は失意の末にわずか19歳という若さで亡くなったと言われている。この話が乗っているのは「松隣夜話」という上杉謙信の事情を伝える軍記物に乗っていた。ただこの話は江戸時代に描かれたものであり、軍記物というその特性もあり、上杉謙信についてかなり盛って描いている可能性が高く、史料としてはあまり信用ができない。だから、この話に関しては、ただの作り話だとする見解が多い。とはいえ、火のないところに煙は立たぬということわざがある通りこのが伝説が生まれる何かしらの根拠があったのかもしれない。

 この話の真偽はともかくわたしは彼女から生まれてはいないのは確かである。

 なぜならわたしが生まれたのは永禄9年(1566年)頃である。伊勢姫伝説より大体10年も前である。年号に多少の誤差があったとしてもそんなことはないと思われる。ただ母親が誰なのかに関してはわたしが聞くことは無い。割とセンシティブな話題だし、いずれ来るべきがきた時に話してくれる。そう期待をかけて黙認している。

 とにかくこの世界にわたしが誕生したのは自分をもって証明しており、わたしはまだ何もしていないがわたしという存在は上杉家における未来が変わるということは事実だ。

「叔父上、失礼します」

「その声は景勝か」

「はい」

 例えばそう。部屋に入ってきた誠実そうで寡黙な彼はわたしの許嫁である、名前は上杉景勝という。

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