第3話 織田信長

「義昭様、御足労頂き誠に感謝致します」



「出迎えとその言葉感謝する」



 織田信長。天文3年(1534年)5月12日に尾張で生まれた。織田信秀と土田御前の嫡男として誕生。生まれて直ぐに歯や髪が生えており、乳母の乳首を噛み切ったという逸話が残っている。さてそんな彼だが少年期や青年期は「大うつけ」と評され、尾張一国のただの田舎大名だったが舅の斎藤道三の度肝を抜かしたり、永禄3年(1560年)に自軍の倍ある今川軍を撃退するとその名前は全国に轟いた。今も尚、隣国、美濃の齋藤家と攻防を繰り返している。



 義昭の傍に控えていた明智光秀と細川藤孝はこの織田信長が只者では無いと肌で感じていた。



「話は光秀殿から聞き及んでおります。この信長、必ずや義昭様を安全に上洛させましょう」



「ありがたい話だ」



 早速信長は永禄11年(1568年)から上洛戦を開始。そして早速六角家や北畠家などの大名家を倒し、翌年の永禄12年1月頃には室町幕府は再興された。



「信長殿のおかげで助かった。褒美をやろう。何か欲しいものはあるか?なんでもいいぞ。欲しい役職とかあるかの?もし欲しいなら信長殿なら副将軍でも構わないぞ。帝には私が口添えしておこう」



 副将軍は、日本において大将軍の次席でつまり、この征夷大将軍である足利義昭の次に偉い役職のことである。この時信長に付き従っていた家臣たちは期待を寄せた。というのも織田信長のいる織田家は将軍足利家から見れば陪臣の陪臣に当たるためこの副将軍という約束を得られれば織田家は地位において最大の下克上になれるからだ。



「副将軍はお断りします。ですが褒美をくださるというのなら和泉守護、桐紋・二引両を頂きたいです」



「そんなものでいいのか?」



「はい。構いませぬ」



「まあ、それでいいならよかろう」



 信長がこのような返しをしたのは意外だったのか見守っていた家臣らは唖然とした。



 というのも副将軍というのはたしかに前述した通り大名としての地位が上がるという利点があるは間違えないが欠点もある。足利家の家臣になるということと京に縛られてしまう。天下人になりたい信長にとっては手枷にしかならなかった。



 ちなみにだが、この和泉守護と桐紋・二引両は一応利点はある。まず和泉守護の和泉国には日本の商業の中心地点で南蛮人の出入りが多かった堺があった。ここを抑えることで更なる収益と南蛮人から火縄銃を手に入れることが出来た。桐紋・二引両は足利将軍の家紋だった。これを得ることで副将軍ではない形で織田家の地位をあげようとしたという点だ。



 またの翌年に信長は幕府再興にあたって義昭に殿中御掟を認めさせている。



 この時の信長が1番天下取りに近かっただろう。



 ただ、天下人を目指す信長はこの時知らなかった。この上洛戦は天下取りのためのただの序章に過ぎないことを。

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