第3話 仙洞(桃)院

「おばうえ〜!」



「あら。虎じゃない。今日も元気いっぱいですね。でも、廊下を走ってはなりませぬよ。与六が困っているではありませんか」



「……あ、ごめんなさい。よろくにおばうえ」



「分かったのならいいです」



「いえ。虎姫様にお怪我がなくてよかったです」



 この今目の前にいる尼のような格好をしてまだ拙い歩き方しか出来ない私を抱き上げてくれた女性こそがわたしの伯母の仙洞院だ。



 本名は綾と言った。享禄元年(1528年)*に生まれたとされていて慶長14年(1609年)に死去。享年82歳*。長尾為景の娘で長尾政景の正室。先程話した喜平次こと上杉景勝の他にあと3人の母親でもある。長尾政景が野尻湖で溺死*をしたあと、亡き夫を弔うために出家し仙洞院と号した。その後、弟である上杉謙信の提案により春日山城に戻り、まだ幼い子供たちと共に暮らしている。



 その弟の上杉謙信の娘であるわたしこと虎は仙洞院が春日山城に来た頃に生まれたがわたしには母親が居ないため仙洞院が母親代わりとなっているためまだ幼いわたしに手取り足取り色々と教えてくれている良き母である。



 わたしがごく平凡に暮らしていたところ突然、逆行転生したのにそんなに動揺しなかったのは彼女の手腕でもある。



「虎、どうかしましたか?」



「おばうえ、ひまです。ちちうえもきへいじもおしごとでいそがしいのです」



 齢まだ2つのわたしはまだ手習いなんてやっておらず毎日遊びっぱなしだ。それでも本が好きなわたしはこの上杉家にある色々な書物を読み漁っている。字は全く読めないので読み聞かせをしてもらってだが。ちなみに一応楷書と草書で似た字があるため、読めないこともないのだがそんな急に読めても警戒をされるかもしれないので今はひたすらに耐えている。あと2年。あと2年あればわたしは数えで4つになる。4つであれば手習いを始める時期だ。つまり、父上や喜平次にせがまなくても自分で読めるのだ!



「そういえば今日は忙しそうでしたね……では、せい*や桃*を呼んで双六すごろくでもしますかね」



「します!やりましょう!あ、よろくもやる?」



 どうせ暇なのだ。何もしないよりはマシだろう。



「え、いいんですか?虎姫様に仙洞院様」



「ええ。あなたも来たいのならいらっしゃい。喜平次には伝えておくわ」



「きへいじがいいというのならわたしもかまわないよ」




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「えい。えっと、6ね……1、2、3、4、5、6……はい次は虎の番よ」



「せいあねうえ、すすみすぎですよ」



「文句いわないの。ほら虎。賽子サイコロを振りなさい」



「あーい」



 双六というのは現代の我々が知ってるすごろくとはかけ離れたものである。とは言っても『サイコロを振って出た目の数だけコマを進め、ゴールを目指す』という点だけは同じである。



 双六で囲碁と賽子を使って白と黒の駒をそれぞれ15個ずつ使うものである。双六に使う双六盤は上下に12升に区切られており、中央でサイコロを振り出たマスだけ進むものである。最初は定位置に2個、5個、3個、5個とそれぞれ置いて自分の陣地に向かって進め、全ての駒が自分の陣地に入れば勝利というものだ。



 わたしはまだ2つの幼子ということでわたしの味方には与六がいる。ただ、その分相手は清姉上と桃姉上が相手である。2人は喜平次の姉*で、わたしの事は自分の妹のように可愛がってくれるのでわたしは敬愛の意味も込めて姉上と呼んでいる。



「えっと……」



「3、ですね。虎姫様」



「ありがとう!えっと、よろく、どうしたら……?」



 ルールは予め知っているが、実際にはやったことが無いためすごく戸惑う。



「そうですね……ここの升の駒全てここに移動のはどうですか?」



「あ、それいいね!えっと……1、2、3……よし。これでおっけ!」



 あ、つい外来語使っちゃった。でも、幼子の戯言として受け流されたっぽい。



 その後もいい勝負が続き、5勝6敗だった。




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 夕餉の支度が出来たということでいつも通り父上たちを含めた7人で食すことにした。



 わたしは中身は成人済みなので、一応箸は持てるけど、父上が悲しそうな顔をするため父上の膝の上で食べさせてもらっている。



「なるほど、虎はそんなに勝てたのか。相変わらず虎は賢いな」



 先程の双六の結果を姉上たちが報告すると父上は相好を崩してわたしの頭を撫でた。



「わたしのけっかはよろくのおかげなのです。なのでほめるのならまずはよろくをほめてあげてください」



 わたしは下座の方で喜平次の傍に控えている与六を見た。わたしと目のあった与六は少し気恥しそうにした。



 6割方与六の助言により勝てたようなものだ。だから、ここでわたしが褒められるのはちょっと違った気がした。



「そうか。与六、お前は本当に賢いな。やはり姉上が見出した*だけはあるな」



「そうですね。与六にはその手腕を磨いて景勝や虎を支える忠臣となってもらいたいわ」



「いえ。あれは虎姫様が聡明であったからこそでございます。それがしが褒められる筋合い等ございませぬ。ですが、それがしが虎姫様や景勝様の忠臣となるのは変わりませぬ。それが希望のぞみですから」



 お話をしている最中でもうつろうつろとしてきた。やはり子供というのは眠気に抗えないものなのかもしれない。わたしが船を漕ぎ始めたことに気がついた伯母上がわたしを寝る場所へと連れ出した。本格的に寝ていいってことだよね?おやすみなさい。




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*大永4年(1524年)説あり。

*溺死した説、謀殺説などがある。

*清は法名の清円院から、桃は母親の法名である仙桃院から1字。

*謙信説もあり。

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