第3話 仙洞院
「伯母上!」
与六に連れられてやってきた先で、見知った後ろ姿を見つけたとたん、うれしくて思わず駆け寄ってしまった。
「あら。虎じゃない。今日も元気いっぱいですね。でも、廊下を走ってはなりませぬよ。与六が困っているではありませんか」
「……あ、ごめんなさい」
「分かったのならいいです」
「いえ。虎姫様にお怪我がなくてよかったです」
わたしに親しげに声をかけてくれるこの人こそ、伯母の仙洞院だ。
本名は綾。大永4年(1524年)または享禄元年(1528年)生まれ、慶長14年(1609年)に没した。およそ80歳で生涯を終えたという。彼女は、あの有名な上杉謙信の姉である。夫・長尾政景が野尻湖で溺死*したのち、亡き夫を弔うため出家して仙洞院と号した。その後、弟・謙信の勧めで春日山城に戻り、上杉景勝を含む幾人かの子どもたちと共に暮らした。姉弟仲は城下でも評判になるほどきわめて良好だったという。
その仙洞院は今、母親のいないわたしの母親代わりとなっている。加えて父・謙信も戦や何かしらで忙しいものでなかなかわたしの相手になるのは難しいということで、大切に見守ってくれるいい人だ。
わたしは少し歴史が好きなだけでごく普通の日本人女性で、ましてや逆行転生なんて現実的にありえない話だが、それを受け入れ落ち着くことが出来たのは彼女のおかげなのかもしれない。
「虎、どうかしましたか?」
「伯母上、お暇です。父上も景勝もお役目で忙しいのです」
「そういえば今日は忙しそうでしたね……」
仙洞院はとても困った顔をした。突然暇だといわれてもとっさにそれを解決する方法なんて思いつかないからだろう。
戦国時代は娯楽が少ない。皆無ではないが、スマホもゲームもあふれる現代から見れば、どれも退屈に思える。わたしがこの時代に生まれて約一年。父上たちも、まだ手習いをさせようなどとは考えていない。わたしは、暇だからといって勉強を始めるほどの物好きではないが、ここまで何もないとさすがに困る。遊ぶか寝るかの二択で、父・謙信も、許嫁の景勝も、側仕えの与六も、毎日わたしにかまっていられるほど暇ではない。そこで、将来に役立ちそうな書を読むことにしている。この戦国の世では、いつ誰が敵となり命を狙うか分からない。教養はどの時代でも損にはならないだろう。優秀すぎれば警戒されるかもしれないが、無知であるよりははるかにましだ。もともと読書好きのわたしにとって、本は唯一の娯楽。上杉家にある書物を、日々読みあさっている。
「……それでは、
「します! やりましょう! あ、与六もやる?」
どうせ暇なのだ。何もしないよりはずっといい。
「え、いいんですか?」
「ええ。あなたも来たいのならいらっしゃい。景勝には伝えておくわ」
「景勝がいいというのならわたしもかまわないよ」
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