phrase14 師と弟子の本音

『お二人とも、今日はありがとうございました』


 いつの間にか、目の前にレヴィンさんがいた。代わりにリーネルトさんの姿が消えている。

 レヴィンさん、笑ってはいるけど、昨日のような覇気がない。だいぶ疲れてるように見える。たぶん、コンサートを終えたからではなく、あんなことがあったせいだ。


『先程はお騒がせして――』

『そういうのいいから!』


 ミラマリアさんの鋭い声が空気を一閃いっせん

 一体何事かと、レヴィンさんが自分の眼鏡をぐいっとかけ直した。


『オルガンがなくなるってどういうこと!? どこの誰がどんな理由でそんなバカげた話を進めようとしてんのか、説明して!』

『……場所を、変えてもいいでしょうか』


 わたしたちからの返事を待たずに、レヴィンさんは鏡を持って歩き出した。バルコニー横の扉をくぐって控室へ入り、階段を下りてさらに隣りの部屋へ。そこは教会の応接室か何からしく、あまり広くない部屋にソファや本棚などの最低限の調度品が置かれている。本棚にずらっと並んだ古そうな分厚い本は、たぶん宗教関係の本なのだろう。


『先生、リーネルトくんは?』

『もう帰ったと思います。親御さんが迎えに来られているのが見えましたので』


 リーネルトさん。あの時、誰を見てあんなに震えてたの……?


 レヴィンさんは、テーブルの上にそっと鏡を置き、自分はその前のソファに座った。


『解体の件、ですが……。この国の方針なんです。残念ながら、もう決定したことです』

『解体の理由は?』

『物資が不足しているため――と言われれば、もう反論できません。この国が貧窮ひんきゅうしているのは確かなので』


 つまり、イェーリスさんという人が言っていた通り、解体し、木材・金属材として再利用するのだそうだ。


 そう言われてしまうと、確かに、何と言っていいのか……。わたしは、レヴィンさんの国の事情を何も知らない。


 困惑して黙ってしまったわたしと違い、ミラマリアさんの声に迷いはなかった。


『で、レヴィン先生はどうお考えなの?』

『私、ですか? 残念ながら、私にはどうすることも……』

『「物資が不足している」という国の言い分は、そのまま信用できるものなの?』

『……』

『本音が言えないから、先生はわざわざ礼拝堂を出てここへ来た。さっきのイェーリスさんとかいう人以外のお客たちが、解体に対して何も声を上げていなかったのも同じ理由。違う?』


 ミラマリアさんの問いに、レヴィンさんの表情が沈んだ。彼のこんな様子を見るのは初めてだ。


『……正直、解体理由に関しては私も疑わしいと思っています』


 今までで一番低い声が、レヴィンさんの口から洩れた。

 礼拝堂よりは安全と思われる部屋に来ても、まだ警戒と緊張を緩めることができない、と彼の視線が物語っている。


『今の政府は宗教を毛嫌いしています。宗教は人々を結束させる。今日のコンサートでもわかりますよね。共につどい、歌い、心を合わせることで人の力は強くなります。オルガンはその象徴です。音楽には、人の心を強くし、繋がりを深める力がある。政府は音楽の力を恐れ、弱体化させようとしている。それが解体などという暴挙を引き起こした。私はそう考えています』

『なるほどね。なんで人間って、同じ歴史のサイクルを何度も繰り返すのかしら』


 ミラマリアさんは頬に下ろしていた金髪をうっとうしそうにかき上げて、猫耳みたいに見える翻訳機にしっかりと固定した。かつてないくらいに、その目がきりりと鋭く引き締まっている。


『どうでもいいあめを適当に与えて、その代わり取り締まるところは徹底的に取り締まる。じわじわと、自分たちでは何も判断できない、現状に満足しながら生きるだけの人間たちを増やしていくのよ。もちろん自分たちがぎょしやすいようにね。あなた方の国には、自由に情報を得る手段もあまりなさそうだし』


 そうだ。ミラマリアさんの言う通りなら、レヴィンさんたちの世界にはインターネットがない。テレビやラジオ、印刷物だけなら、情報統制は簡単にできてしまう。


『で。先生は、政府には歯向かえないからおとなしくオルガンを捧げてしまうのね?』

『……おっしゃる通りです。私には何の力もない。力ある者に理不尽に奪われる経験は、今までにも何度もしてきました』

『奪われるのが、音楽家の魂といえる楽器であっても?』

『私一人だけの問題ではないんです。今声を上げれば、政府に抵抗すれば、大勢の人を巻き込むことになります』

『リーネルトくんね?』


 レヴィンさんが、息をんだ。

 昨日初めて逢ったばかりのミラマリアさんに次々に鋭い言葉を刺されて、彼の心は今、どんなに痛い思いをしているのだろう。


『彼には、未来があります。オルガンがなくても、ヴァイオリンで十分に輝かしい道を歩いていける。だから……』

『先生、そういう自分の気持ち、一言でもあの子に言った?』

『……』

『初めに言った通り、私は個人的な情報をあなたたちと交わすつもりはないし、本当はあなたたちの事情に口を挟むつもりもなかった。それでもこうして口出ししてるのはね、十五歳の少年が本気で尊敬してる男が、言いたいことも言わずに大事なものも手放して、何もしないまますべてをあきらめてしまうような男だってのがあまりに可哀想だからよ!』

「ミラマリアさん!!」


 いくらなんでも言い過ぎ! ――と、言おうとした。

 その前に、部屋の扉が勢いよく開け放たれて――そこに、リーネルトさんがいた。



 * * *



『リーネルト……』


 リーネルトさんは、ヴァイオリンケースを片手に持ったまま、しばらくそのまま無言で立っていた。勢いで部屋に入ってしまったけど、言うべき言葉が見つからない、という様子で。口火を切ったのはミラマリアさんだった。


『ちょうどいいわ。一度二人でじっくり本音を話し合ったら?』


 リーネルトさんは、ケースを静かに床に置いた。


『すみません。オルガンの件は、僕に原因があるんです。先生は何も悪くない』

『違う、リーネルト』

『他の教会でも解体が進んでますが、この教会に関しては、僕が解体の時期を早めたようなものです。担当している議員が、僕の親なので』


 そうだったんだ……。


 リーネルトさんは鏡の前に来て、床に膝をついた。よどみない姿勢、りんとした表情が、まるで中世の騎士のような確たる信念と清廉せいれんさを思わせた。


『僕が本気でこころざしたのはオルガンです。ヴァイオリンに罪はないけれど、残念ながら、僕には親の圧力の象徴としか思えません。初めてこの教会へ来て、初めて先生の演奏を聴いた時、やっと本気で目指そうと思える音楽に出逢えたと思いました。先生は、僕が名乗る前から、楽しそうにオルガンの説明をしてくれました。ちょうど昨日、お二人にされたのと同じように』


 そうだよね。あんなに嬉しそうに、いとおしそうにオルガンの説明をしてくれたら、あんなに素晴らしい演奏を聴かせてもらえたら、誰だってオルガンを好きになっちゃうよね。


『親は、ヴァイオリニストにするつもりだった僕をオルガンに奪われたと思っています。オルガニストはピアニストになれなかった落ちこぼれがなるものだと思ってる。有名な指揮者がいるメジャーなオケで、ソリストかコンマスになってベートーヴェンを弾くのが一流だ、くらいにしかクラシックを知らないんです。信心深くもなければ、教会に対する敬意もない。オルガンを解体するのに、何の迷いもないんです』


 リーネルトさんはレヴィンさんの方へ向き直った。


『本当は、もっと早く助手アシスタントを辞めるべきでした。でも、どうしても辞められなかった。少しでも長く、一音でも多く、先生の、ここのオルガンの音を覚えていたかった。僕のわがままのせいで、オルガンを愛する人たちを大勢悲しませることになってしまい、申し訳ないです。すみませんでした』

『リーネルト、もう十分だ』


 レヴィンさんは眼鏡を外して下を向き、手で自分の目を押さえている。リーネルトさんの姿を直視できないでいる。

 先生の心と弟子の心。両方ともすごく尊くて、切なくて、見ているだけで胸が苦しい。こんなのってないよ……。


『二人とも、なんとか本音を交わせたみたいじゃない』


 ミラマリアさんが、にっこり笑顔で二人を讃えた。それだけで、苦しかった空気が温かくなり、二人の口元にほんの少し笑みが戻った。本当に頼れるお姉さんだ。


『じゃ、具体的に何かできることはないか、検証していきましょうか』

『できることって……』


 レヴィンさんがうろたえ始めた。


『お二人に、これ以上ご迷惑をおかけすることはできませんよ』

『私の好きでやるんだから黙ってなさい』


 有無を言わせぬ圧。レヴィンさんは、「この人にはかなわない」と全面降伏したようだ。


『教会にはネットワークがあるはずでしょ。解体のスケジュールや業者なんかの情報をできる限り調べるのよ。それから、オルガンの工房や調律師、他の音楽仲間でもいい、とにかく政府にバレずに動いてくれそうな仲間をたくさん集めるの』

『そんなことができるなら、心強いですが……政府の目はごまかせないと思います。確かに、政府に反発して地下活動を行っているグループもあるという噂ですが、いたるところで警察が目を光らせています。下手に動けばすぐに感づかれてしまう』

『だから私たちを使うのよ』


 ミラマリアさんが、わたしに向かってニッと笑いかけた。


『こっちはあなた方の政府より情報戦にかけちゃ上なのよ。秘密兵器もたーくさん持ってるし。ね、リネ』


 秘密兵器。この世界にはない、情報戦に役立つもの――つまり、現代の電子機器とデジタル全般!

 何かできるかもしれない。オルガンを守るために、二人の未来を救うために。


「はい、わたしからもお願いします! 何かお役に立てるのなら、わたしたちにもやらせてください!」

『危険を伴うんですよ。逢ったばかりの女性を巻き込むわけにはいきませんよ』

『ご心配なく。私たちは鏡の向こうの住人だから、直接危害に巻き込まれることはないの。だいたい、先生とリーネルトくんとオルガンが、あんまり魅力的なのがいけないんですよ~?』

『先生、僕はこのヴァイオリンを売って家を出ます。活動資金にしてください』

『ええぇ~?』


 レヴィンさんはすっかり困惑顔だけど、無理やり諦めてしまっていたさっきまでの顔よりも、ずっと生き生きとして見えた。


『例えばなんだけど、裏をかいてこっちが先に解体して運び出すことはできない? 後で組み立てられるんでしょ? で、こっちにはダミーを代わりに置いとくとか』

『うーん、途方もないですね……。そうなると、オルガン工房の技師と物資がかなり多く必要になります。それに、政府もそういった計画を警戒しているのか、この後、解体予定日までにいくつか大事なコンサートの予定が入ってるんですよ。さすがにその時は、少しでも解体していたらすぐにバレますね』

『とにかく、人を集めて情報をつのろう。「やらずに悔やむよりやって悔やめ」、よ』


 ミラマリアさんにとっては、一部の人間の支配欲のためだけに楽器が壊されるなんて、とても許せる話じゃない。小さな鍵盤ハーモニカでもいいから作りたい、と瞳をきらきらさせながら語ってくれたミラマリアさんに、これ以上楽器を失う思いを味わわせたくない。


 レヴィンさんの世界で見つかってしまうのを防ぐために、重要な情報の幾つかをわたしたちが手分けして預かることになった。

 レヴィンさんは早速、工房に連絡をとって、協力してくれそうな技師の目星をつけ始めた。少しでも脈がありそうな人の名前を、わかる範囲で住所なども調べてリスト化していく。そのリストを作っている時、わたしは、工房の領収書のコピーに見覚えのある筆跡のサインを見つけた。


「まさか……ただ似てるだけ、だよね?」


 別ルートで、そのサインの主の名前を調べてもらった。

 日本人。名前は、Izuru Kawanami――


 サインの筆跡と、その名前は、もう長い間会っていないわたしの次兄・川波かわなみ伊弦いづるの存在を示していた。

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