phrase12 教会記念コンサート、開演

 コンサートが始まる一時間前、わたしとミラマリアさんはそれぞれの鏡の前に集合した。


『リネ、どうしよう! コンサートに何着てけばいいかわからないよぅー!』


 いつもはゆったりとした大きめTシャツを着てることが多いミラマリアさん。通話する場所がバスルームだから、どうしてもラフなルームウェアになっちゃうよね。

 でも、今日はお世話になった二人の大切なコンサートの日。たとえ在宅でも服装はきちんとしたい。


 特にミラマリアさんは、このコンサートをものすごく楽しみにしてた。


『リネと知り合ってから演奏動画を色々見てきたけど、ライブで見られるのって初めて! あー楽しみすぎるー! 緊張するー!』


 ミラマリアさんの世界には生楽器自体がほとんどないから、当然コンサートもない。加えて、普段ミラマリアさんは男性も着るようなシンプルなジャケットやシャツを着ることが多いらしく、女性らしい服を持っていないと言う。


「そうですねー。せっかくだから、いつもと違う女性らしいよそおいにチャレンジしてみます?」

『だから持ってないっつーの! 買いに行く時間もないし!』

「黒いTシャツかノースリーブは持ってますか? なるべく小さめの、体にフィットしたもので」

『あるけど、なんか下着みたいじゃない?』

「あと、長さが一メートル以上の大きな布はありますか? できればシルクとか、きれいに見える布地の」

『えーと、こんなんだったらあるけど……でもこれ、テーブルクロスよ?』

「ベージュのレース! いいですバッチリです! それを、黒シャツの上からストールみたいにふわっと羽織って……きゃー、めっちゃ可愛い! もうどこから見てもパーティドレス! エレガントッ!」

『上半身しか見えないからできる技ね。オンライン詐欺案件』

「さらに、これに合うネックレスとかがあればなおいいんですけど」

『カードホルダーに付いてるチェーンストラップならある』

「バッチリですー! 金具の部分を後ろに回せば、もう完璧にネックレスです!」


 こうして、とても女性らしくキュートなミラマリアさんが出来上がった。

 ミラマリアさんの、ウェーブがかかった金色のショートボブに、ちょっとセクシーな黒のノースリーブとベージュのふわっとレースがよく映える。我ながら絶妙なコーデ!


 ちなみにわたしは、シンプルなベージュのワンピース。髪を丁寧に巻いてアップにして、一粒パールのペンダントと、同じくパールのヘアピンを付ける。ペンダントとヘアピンは音兄おとにいからのプレゼント。誕生日に買ってもらっちゃったのだ、えへっ。


『さて、戦装束いくさしょうぞくをととのえたところで、リネ殿に一つ注意事項がありますぞ』

「何でしょう」

『インターネット。CD。スマホ。デジカメ。PC。USB。などなど。その他、付随ふずいする諸々のデジタル用語をあの世界では絶対に話さないこと』

「えーと、何故ですか?」

『あの世界にないものだからよ』

「ええっ!」

『大先生が片付け下手なのが幸いだったわね。大先生、譜面やメモだけじゃなく、オーディオ関連の物までバルコニーの隅に散らかしてたのよ。さすがに今日は片付けてると思うけど。で、そこで見たのがカセットテープ、テープレコーダーに、大きいビデオテープに、LPレコードも少し。リネの世界じゃもうほとんど使わない物ばかりよね?』

「そうですねー。レコードはマニアが集めてたり、古い音源はカセットでしか残ってない物もありますけど、貴重な音源はほとんどCDやDVDにダビングしたりデータ化されてると思います。古い教会だから新しい物を置かないとしても、テープレコーダーがあるのにCDやCDプレイヤーがないというのはちょっと不自然ですね」


 置かれてる物のことなんて、全然気づかなかった。そんな視点で、向こうの世界の事情がわかってしまうのか。


『あとね、うちらが映ってる鏡のだいたいのサイズを算出したんだけど』

「またしても仕事が早い」

『リネの世界で言うと、B5とA4の間。譜面よりちょっと小さいくらい』

「だいたいノートくらいか。持ち運べる鏡にしては、大きい方ですね」

『先生、鏡を「指揮者を見る用」だって言ってたんでしょ? つまりあのオルガンは、指揮者に合わせて、歌や他の楽器と協演することがある。でも距離や角度を計算すると、あの鏡じゃどう考えても見づらいのよ。私だったら絶対、指揮者をカメラに映してモニター置くわ』

「確かに、指揮者から離れてる奏者や後ろ向きの奏者が、モニターを見ながら演奏することはありますね」

『それをやらないってことは、カメラやモニター自体がない、もしくは一般化されていない可能性がある。その他、諸々もろもろを分析すると、あの世界はリネの世界よりも文明レベルが四・五十年くらい前の時代なのかもしれない』

「そんなに!」

『だから、それ以前の楽器や曲の話はOKだけど、リネ世界の基準で録音や録画、デジタルの話をするのはNGってこと。こっちのうっかり発言で世界の基準をかき回すわけにはいかないの。鏡自体が規格外なのは仕方ないとして……あの二人は、鏡を自分たちがまだ知らないテレビ電話か何かだと思ってるみたいだけど、どこからほころびが広がるかわからない。気をつけてね』

「わっかりました~……」


 わたし、ミラマリアさんほど賢くないよ。大丈夫かなあ。



 * * *



 あの世界に繋がったらしい。

 少しずつ音声が入り、視界が開けてきた。

 

 わたしたちは、演奏台コンソールの横から二人の姿を眺めることになる。ちゃんと、リーネルトさんがかけてあった布を取って、椅子の上に設置してくれていた。

 

 バルコニー下の客席(会衆席)の方はあまり見えないけど、ざわざわと話し声がする。もうお客様たちが席に着き始めている。

 今日は、二人とも終始忙しいに違いない。わたしたちの相手をしている暇はないはずだ。


 と思ったらリーネルトさんがやってきて、鏡をのぞき込んで、飛び上がらんばかりに仰天していた。

『また増えたっ!?』と小さな悲鳴を上げつつ、なんとか息を落ち着かせ、ぺこりとお辞儀をしてくれた。

 ほんとごめん、本番直前にこんな、ほぼ別人みたいなカッコで驚かせちゃって!


 リーネルトさんは昨日と同じ、グレーの制服(たぶん)を着用している。そのままで十分、フォーマル味があってきちんとしている。照明を反射して輝く淡い髪色のせいか、いるだけで華やかな空気をまとうキラキラ美少年だ。

 彼は別の椅子に、こちらに見えるようにプログラムを立てて置いてくれた。また丁寧にお辞儀をして、階段を降りていく。先生の指示かもしれないけど、どこまでも至れり尽くせりな紳士たちの行いに感心してしまう。


『奏者は音楽の再現者であると同時にエンターテイナーでもある。人を喜ばせるために最善を尽くす。その点は二人ともいい線行ってるわね。見栄えもいいから、二人ともたぶん音楽家としてはモテモテね。私生活は知らんけど』

「親切だし、演奏も素敵だし。いい人たちに出逢えましたよね!」

『よく気がつくツッコミ体質の弟子と、私生活が大雑把おおざっぱだけど実力的には偉大な師匠というブロマンスのテンプレ』

「また燃料投下せんでください」

『リーネルトくんって大人びてるけどまだ十五歳なんだって。大先生は三十一歳。いい感じの年齢差ね』

「いつの間に年齢チェックまで」


 どこからか、ヴァイオリンの音が聞こえてくる。今日はヴァイオリンも演奏されるのかな。


 プログラムを見ると、最後の曲がわたしもよく知ってる曲だった。そうか、オルガン曲だけじゃなく、普通の有名なクラシックもやるんだ。



 * * *



 レヴィンさんとリーネルトさんが、演奏台コンソール前の所定の椅子に座る。

 レヴィンさんは、こっちを見てにっこり笑ってくれたけど、すぐに真剣な顔になった。黒スーツにネクタイを着用したレヴィンさんの横顔が凛々りりしくて、つい見とれてしまう。


 いよいよ、時間になった。

 牧師さんが前に出て、にこやかに挨拶の言葉を述べた後、調子を変えて朗々と聖書の言葉を告げた。


『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた』

『いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである』


 ここが教会なのだと、改めて感じる。

 この世界の神と、わたしの世界の神が同じかどうかはわからない。

 日々を懸命に生きる人々の心のよりどころになるのなら、どちらでもいいのかも――と思う。



 コンサートの一曲目は、歌だった。

 座っていた人々が一斉に立ち上がる。


 わたしたちの目の前で、レヴィンさんが演奏を始めた。

 レヴィンさんの指先が、光のように輝く音色で教会を満たす。

 まるで天から降り注ぐ啓示か、神託か。

 四千本のパイプが歌う。人々の心を身体の底から揺さぶり、感動を呼び起こさずにいられない、偉大なるカンタータ。


 一分半ほどの前奏の後、美しい歌声が会場いっぱいに響き渡った。

 ここでは、信者や観客が共に歌うんだ。



♬ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲

 パウル・エーガーによるコラール

 『神の善を共に讃えよう』


  神の善を共に讃えよう

  天の玉座にあられる父よ

  神の御子キリストが示された神の善を

  私達は共に讃えよう



 レヴィンさんが、前奏よりも音量を落とし、優しい音色で歌を支えている。

 歌声は美しかった。この世界に生きる人々の、命の鼓動を聴いているようだった。

 音楽が、人と人との繋がりを作り出している。共に寄り添い、支え合っている。

 教会音楽は、パイプオルガンは、まさにそのためにある。


 音楽は、人が生きていく力だ。

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