phrase25 愛しきものに捧げるコンチェルト(2)

 この曲の始まりは、唐突に感じられるかもしれない。


 突然鳴らされる、オケによるフォルテのたった一音の後、ピアノソロがさらに強いスフォルツァンドを連続して叩きながら鍵盤上を駆け下りていく。

 しょぱなからオケとピアノのタイミングを合わせるのが大変そうだといつも思うが、レヴィンさんと音兄おとにいはきっちりと完璧かんぺきに合わせてきた。



♬ロベルト・アレクサンダー・シューマン作曲

 『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54』



 わずか三小節の短い前奏を経て、曲の主題である『クララのテーマ』が、オーボエをメインとする木管楽器の音色で奏される。


 曲の印象を決める大切な部分だ。おそらく、レヴィンさんとリーネルトさんはこのオーボエの音を作るのに最も注力したんじゃないだろうか。オーボエによる『クララのテーマ』が、この後も何度も曲中に現れるからだ。


 オーボエが歌いあげる、あまりに切なく、美しい主題。

 これだけでもう、いかにロマンにあふれた名曲であるかが伝わってくる。

 それなのに、管弦楽器だけでは満足できないと言わんばかりに、さらにピアノが曲の美しさに拍車をかけるのだ。

 管弦楽の音色の中に、冷涼れいりょうな新しい風が吹き、聴く者の聴覚のキャパを押し広げる。これがピアノ協奏曲コンチェルト醍醐味だいごみなのかもしれない。


 音兄のソロは、繊細せんさいで優しさに満ちた音だった。さっきまでの軽口や自信にあふれた態度が嘘のように。

 まるで、澄みきった泉に一滴ひとしずくずつ落ちていく朝露あさつゆのような、静謐せいひつなるピアノの


 この曲に関わる者は、クララ・シューマンという女性に思いをせずにはいられない。


 作曲者ロベルトの、十歳年下の妻にして、稀代きたいの天才女性ピアニスト。

『クララのテーマ』冒頭の「ド—シ—ラ—ラ」は、クララのイタリア語読みである「Chiarinaキアリーナ」から音名にあたる「C—H—A—A」を抜き出したものだ。

 この曲の初演時のソリストもクララだった。

 夫が愛する妻の名前を込めた曲を書き、妻がみずからの手で奏でる。なんてロマンティックなんだろう。


 情感あふれるピアノソロが終わると、オケとピアノの流れるような掛け合いが始まる。


 徐々に動きを広げていくピアノ。

 徐々に盛り上げていく、たくさんの楽器の音色たち。

 ピアノとオルガンが、一体となってボルテージを上げていく。

 リーネルトさんが次々にストップを開放し、音色が増えることによって絶妙なクレッシェンドが生み出される。

 力強いピアノのパッセージと、どんどん広がっていく壮大な音量。

 パイプの荘厳な響きが聴覚をいっぱいに埋め尽くす。会場中に響く至高の音に、心臓が高鳴っていく。もう興奮が止まらない……!


(駆け上がってきた快感に脳天までつらぬかれ、魂の振動が止まらなくなる。そのまま昇天間違いなしだ)


 なんてことだ。今のわたしには、兄のエロワードが実感できてしまう。


「どっちが先に理音りねを昇天させるか勝負」の行方は、わたしにはわからない。

 この曲のために新たに用いられた調律法(キルンベルガー調律法というらしい)は、いづ兄や工房の皆さんが苦労しただけあって、これ以上は考えられないほど純粋でにごりのない響きをもたらした。


 鏡という境界線を越え、会場を越えて、まるですべての世界の空へと無限に広がっていくような響き。

 ピアノとオルガン。どちらが欠けてもこの喜びは得られない。

 わたしはきっと、二人の音のすべてに、もうとっくに昇天させられてしまっている。


 音兄のピアノは、どこまでも優しい音色を紡ぎ出す。わたしを包み込むような、音兄自身の笑顔を思い起こさせる。


 七年前のコンクールでは、

「彼は十代にして真実の愛とは何かを知っているようだ」

なんて、後で読んだらちょっと恥ずかしくなるような講評をつけた審査員がいた。

 今のわたしならわかる。音兄は、愛という感情を知っている。

 そうでないと、これほどまでに愛に満ちた優しい音色は生み出せないだろう。


 ラフマニノフやプロコフィエフなど、華麗に超絶技巧を繰り広げ、難曲として知られるピアノ協奏曲は他にたくさんある。

 シューマンの協奏曲には、そこまでの派手さはない。ただ、美しい広がりを見せる曲想に、込められた大きな愛を感じる。

 音兄がこの曲を選択し、審査員の耳に響かせた理由が、今ならわかる。

 音兄は間違いなく、ピアノの音に込めたのだ。音兄なりの、「真実の愛」を。


(絶対にいい音を届ける)

(だから、ちゃんと聴いてて)


 今、思い出した。

 七年前のコンクール。あの時も、音兄は似たようなことを言っていた。

 相手は、わたし――だけじゃない。

 あの時は、いづ兄も一緒にいた。

 そして、わたしたちの母も――


 目の前がかすんできた。

 目頭が熱くなり、涙があふれて止まらなくなる。こらえきれずに、一粒が頬を伝い落ちる。


 音兄の愛は、家族への真実の愛だ。

 あの時そばにいなかった父も、すでに亡くなっていた祖父も。

 音兄は、すべての家族に愛されていた。大きな愛を知っていた。

 だから、音兄は指先に思いを込めて、ピアノで愛を歌うのだ。


 音兄の音を支えるように、さらに優しい控えめな音色で、オルガンが会場を包み込んでいく。

 オーボエやクラリネットの音がたまに主題に沿った印象的な旋律を奏でるが、弦楽器群はほとんどがピアノを後ろから支え、曲の波を演出する役目。


 ピアノ協奏曲だから、やはりオケよりもピアノの方が圧倒的に目立つ。ピアノだけのソロ部分も多い。

 曲を決めたのはいづ兄とわたしだ。これではあまりオルガンが目立てないかもしれない、申し訳ないと以前レヴィンさんに伝えたら、彼はいつもの穏やかな微笑みで答えてくれた。


『目立つオルガンを弾きたい、という願望はそんなにないんですよ。オルガンという楽器自体、元は人の歌を支える伴奏楽器として発展してきた物です。誰かの声や音を輝かせることができるなら、こんなに喜ばしいことはありません』


 レヴィンさんは今、音兄の音を最高に輝かせるために演奏してくれている。

 ピアノを最大限に活かすためのアレンジ、強弱、レジストレーション。これがレヴィンさんの、人を支える優しさだ。


 オルガンの音に、長きに渡り人々の思いを受けとめてきた、この楽器の歴史の深さを垣間かいま見る。

 教会に集う人々。音楽を愛する人々。楽器制作やメンテナンスにたずさわった人々。

 数えきれないほどの人々の思いを乗せて、レヴィンさんが奏でる。その音はずっと、何百年もの間人々の生きる姿を見守ってきた、オルガンの歴史そのものだ。


 音兄は、今まで協演してきたどんなオケよりも、レヴィンさんの音は自分の音に吸いつくようだと言っていた。

「欲しいところに欲しい音が、欲しい音量でドンピシャに入ってくる」と。


 通常のオケは何十人もの奏者がいて、指揮者の力量によってはピタリと合わないこともある。

 でも、今オケをになっているのはレヴィンさん一人。助手アシスタントも、誰よりもレヴィンさんの演奏を理解しているリーネルトさん。音兄と音が合わないはずがない。


 何が「勝負」なんだろう。

 口では負けず嫌いなことを言いながら、この二人は誰よりも互いの思いを理解し、互いの演奏に敬意を払っている。誰よりも互いの存在を大切に活かそうとしている。

『革命』の時とは全然違う。これがきっと、二人の協演ハーモニーの一つの完成形。


 どこまでもロマンティックな旋律が流れたかと思うと、オケが急激に大音量でダイナミックな歌を響かせ始めた。

 心がき立ってくる。緩急が目覚ましくはっきりと現れるのも、この曲の魅力の一つだ。


 オルガンの音量の変化は、レヴィンさんが足元のペダルで風量調節をしたり、ボタン操作でパイプ室の一部の扉を開閉することで行われる。

 後は、リーネルトさんがひたすらストップ・ノブを押したり引っ張ったりする。忙しそうだ。


 今回は特に、直前の音律騒動のおかげでかなりの本数のパイプの入れ替えが行われた。

 ストップ・ノブに表示された音色の名前もだいぶ変わってしまったので、リーネルトさんの手書きでペタペタとメモが貼ってある。全く新しい配置の操作をたくさん覚えなければならず、助手アシスタントとしての準備が相当大変だったに違いない。

 それでもリーネルトさんの仕事は完璧だ。クレッシェンドのたびに次々に何本ものストップを手早く引いていく、彼のアクションの爽快さにしびれてしまう。助手アシスタントのアクションで魅せる演奏なんて、普通はなかなかお目にかかれないだろう。


 いつしか、約十五分間に及ぶ第一楽章の終盤に差しかかっていた。

 ピアノがダイナミックに跳ねる。オルガンがクレッシェンドでピアノを盛り上げていく。


 最後まで美しく、気高く、優雅に。

 誰もが圧倒されるほどの迫力で、高らかに最後の音を響かせて、一つの楽章が終わった。



 * * *



 思わず拍手はくしゅ喝采かっさいしたくなる、この瞬間。

 でも、まだ第二楽章と第三楽章が残っている。せっかく盛り上がっても、観客は沈黙しなければならない。クラシックあるあるだ。


 第二楽章は、上がりきったボルテージをいったんしずめるように、静かに始まる。

 おとなしく可愛らしい旋律。まだ少女だったクララを見つめているような気になる。ロベルトがクララに出逢ったのは、まだ彼女が八歳だった頃。


 そんな可愛らしさを、弦楽器主体のゆったりとした主題が包み込むように流れていく。

 まるですぐそばにある、素朴そぼくな愛を感じているように。この曲は、やはり愛にあふれた曲なのだと思い出す。


 心底魅了されてしまうほどの美しい響きが、次から次へと現れる。心をずっとつかまれたまま、片時も意識をらすことができない。

 夢見心地で聴いているうちに、とめどなくあっという間に時間が過ぎていく。


 約五分間の第二楽章は、『クララのテーマ』の冒頭に現れる『クララ音階』を何度かほのめかせながら、そのままを挟まずに――

 一気に、第三楽章へと突入した!


 四分の三拍子。明るく軽快な回旋曲ロンド

 音兄の指が、軽やかに踊る。跳ねる。喜びに歌う。

 レヴィンさんのオルガンが、どこまでもピッタリとピアノに寄り添う。時に大きく盛り上げながらも、あくまでもピアノを主役として伴奏役に徹する。


 かけがえのないものたちへの愛。

 すべてを包み込む、大きな愛。

 実力ある若手男性二人の協演は、愛にあふれた音楽ものがたりだった。


 いやだ、終わって欲しくない。

 もっともっと、二人の音楽を聴いていたい!


 また、涙が止まらなくなる。

 これが最後だなんて思いたくない。

 神様、どうか、時間を止めて――


 テンポが上がっていく。二人の演奏が、ずれることなくピタリと並びながら駆け抜けていく。

 時間の流れは残酷だ。スピードに乗れば乗るほど、二人の演奏が見事であればあるほど、終わりの時が早く来る。


 約十分間に渡る第三楽章が、全曲通して約三十分間のドラマティックな愛の賛歌が、今、華麗に締めくくられる。


 二人同時に、最後の長い一音を残して。


 二人の手が、鍵盤から完全に上がった。

 リーネルトさんが、小さく身じろぎした。


 残響の中、二人の手が、スローモーションのように、ゆっくりと下ろされる。

 示し合わせたように、二人は同時に立ち上がった。


 何一つ音を出せずにいたすべての観客たちが、二人の立礼で、やっと意識を取り戻したように動き出した。


「ブラーヴォー!!」


 関川せきかわさんが立ち上がって叫ぶ。大歓声と拍手が、三つの世界を埋め尽くす。


 世界線を越えた奇跡のコラボレーションが、今、終演を迎えたのだ。

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