phrase18 『革命』で勝負!

「その人は、俺よりも理音を満足させられるの?」

『なんか凄いセリフキター!!』


 鼻息荒く録画やメモ書きにいそしんでるミラマリアさんは、ひとまず置いといて。

 わたしは、音兄おとにいに伝えなければならない。わたしの正直な気持ちを。


「……わたしは、そう思ってる」

「そんなに凄い人なのか」

「彼は、音兄と同じ。人生かけて、音楽を愛せる人。でも、大切な誰かのために音楽を手放そうとしてしまう人。わたしは、彼にも音兄にも、二度と音楽をあきらめてほしくない。二人の音を出逢わせたい。わたしが感じた喜びを知ってほしい。だから、お願い、音兄」


 音兄は、しばらく黙ってわたしを見ていた。今までにないくらいに、真剣に。


「……どっちにしても、理音りねが世話になったみたいだし。挨拶あいさつはしないといけないな」


 ひとまず、対面までぎ着けた。わたしは「はぁーっ」と大きく息を吐いた。



 * * *



 鏡に映るなり、レヴィンさんは真っ先にわたしの心配をしてくれた。


『リネさん、大丈夫ですか? あのマネージャーが不吉なことを言っていたので、心配していたんです』


 変わらないレヴィンさんの優しさにほっとする。彼に会うのは、害獣(正しくはピアニストとマネージャー)が来た時以来だ。


「ありがとうございます。わたしは大丈夫です。レヴィンさんの方こそ大丈夫ですか? あれから問題は起きませんでしたか?」

『私も大丈夫ですよ。リネさんに言われた通り、何食わぬ顔して本番の準備を進めています。

大曲ですから、私もリーネルトも忙しくしていますよ。おかげで気がまぎれて――』


 レヴィンさんの言葉が途切れた。私の後ろにいる音兄に、気づいたんだ。


『オトハさんですね。初めまして、教会オルガニストのレヴィンです』

川波かわなみ音葉おとはです。理音がお世話になったそうで、ありがとうございます」

『お世話になってるのはこちらですよ。演奏の録画を拝見しましたが、やはりとても見目のいい方ですね。ピアニストとして成功されているのもうなずけます』

「……」


 音兄、そこで黙らないで、社交辞令でも何でもいいからうまく返してよぅ……。またルックスめられたと思ってるのかな。しかも、褒めてるレヴィンさん自身も間違いなくイケメンだし。


「……理音から、あなたと協演してほしいと頼まれました」

『はい。オトハさんも、大型の教会オルガンをご覧になるのは初めてですよね? よろしければ、これから説明を』

「理音は、あなたのピアノも褒めていました。ピアノ教師をなさっているそうですね」

『お恥ずかしながら、オルガンだけでは食べていけないので……。もうすぐオルガンの仕事も無くなりますし、これからはピアノに本腰を入れることになりそうです』


 音兄、相変わらず無表情だけど、やっぱり空気がどんどんドス黒くなってるよぉ……。

 まさか、またレヴィンさんの言葉を、全部悪い方向に拡大解釈してる?

 今までピアノはだったけど、これからはピアノに専念する、とか?


 だとしたら、ピアノに人生かけてきた音兄が考えることは――


 その時、部屋の外から聞き覚えのあるダミ声が響いた。


「おーい! 音葉ー! こっちかー?」

音道おとみちさん、入ってください。すみません、急ぎで来ていただいて」


 我が家のお抱え調律師、パーカッショニストの音道さんだ。もちろん「チューニングができるたまご」のチュー玉ちゃんも一緒。


「俺とチュー玉が調律したばかりのピアノが次々に断線したってほんとか!?」

「すみません、それは嘘です」

「はぁー!?」

「急いで調律してほしいピアノがあるのは本当です」


 音兄は、茫然ぼうぜんと立ち尽くしている音道さんから視線を外し、再び鏡の方へ。


「レヴィンさん。そちらの本番用のピアノは、今使える状態ですか」


 レヴィンさんは体を動かし、自分の背後にあるピアノを見せた。


『調律は済ませてあります。もちろん本番前にも改めて入れますが』

「今、周囲に人は」

『教会の牧師と事務員がいますが、理由をつけて離れてもらうことは可能です』

「そうしてください」

「何だそれ? 鏡に何映してんだ?」


 音道さんが近寄ると、音兄はさらに近くまで招き寄せて、


「今からこの化粧台ドレッサーをコンサートルームに運びます。手伝ってもらえますか」

「へ? なんで?」


 音道さんだけでなく、わたしとミラマリアさんも、頭がはてなマークだらけ。

 音道さんは、「なんか知らんが、ゆずれん事情がありそうだな。俺がやるから、お前は運ぶのやめとけ」と、一人で重い化粧台ドレッサーを運び始めた。


 力仕事中の音道さんと、わたしと音兄、三人でコンサートルームへ移動。温玉おんたまちゃんが、いつものようにわたしの肩に乗ってきた。


「温玉ちゃん、場所を変えても通話は大丈夫?」


 こくこくとうなずく温玉ちゃん。どうやら、化粧台ドレッサーごと動かせば問題はないみたい。


 みんなでコンサートルームへ入り、化粧台ドレッサーをグランドピアノのそばに置いた時、ようやくわたしたちは音兄の目的を理解した。


「音道さん、急ぎで調律をお願いします。このピアノを、鏡の中のピアノに合わせてください」

「音兄、それって……」

「今からレヴィンさんとピアノを弾く。これは協演ではなく、一対一の勝負。いいですね、レヴィンさん」



 * * *



 ピアノで勝負って、どうやって――?

 音兄の一方的な申し出に、レヴィンさんはひるんだりはしなかった。

『いいですね。方法をうかがいましょう』

「ま、待ってください! レヴィンさん、兄の勝手な言い分に合わせる必要はないんですよ?」


 レヴィンさんは、さっきまでの柔らかな笑顔とはまるで違う、強い意志を宿した瞳を輝かせていた。


『彼は、オルガンよりも、まず私のピアノの腕を知りたいようです。ピアニストなら当然の考えですね』

「でも、兄はピアニストで、レヴィンさんはオルガン――」

『ピアノが弾けないからオルガンを弾いている訳ではない、ってことを知っておいてもらいましょう』


「いい返事だ」と、音兄がニッと口角を上げる。

『わくわく、面白すぎる〜!』と、ミラマリアさんは録画準備万端だ。


 一番あきれているのは、音道さんだった。


「あのなあ、同じメーカーのピアノを二台合わせるのだって大変なんだぞ? それをリモートで、片や、慣れてるとはいえどのメーカーでもない音葉のじいさんブランド、片や、ろくに知らねえ海外メーカー……これ、勝負とやらがうまくいかなかったら俺のせいになんの?」

「自分の勝敗は自分が一番わかるはずです。審判はそれぞれ、自分自身です」

「カッコつけるねえ。下手な言い訳なんざしないメンツがそろったってことか。まあ嫌いじゃないぜ、そういうの」


 本人が納得しちゃったみたいだけど、どうやら音道さんまで勝負に加わるらしい。


「最近のモニターは、化粧台ドレッサーと一体化してるのもあんのか? そんじゃチュー玉、モニターの向こうの兄さん、よろしく頼むぜ」


 音道さんはドイツ語が話せないけれど、レヴィンさんとは単語やジェスチャー、それにピアノの音で意思疎通ができているみたい。

 レヴィンさんから必要な音をもらいながら、こっち側のピアノを調律チューニングハンマーでクックッと合わせていく。チュー玉ちゃんが転がりながら的確に指示を伝え、音道さんが次々にうなりのないユニゾンを完成させていく。


「まあ、こんなとこか」


 三十分ほどで、音道バディによる渾身こんしんの調律が完成した。かなり急いでくれたみたい。

 疲労ひろう困憊こんぱいのチュー玉ちゃんをタオルにくるんでいたわってあげると、音兄が勝負の内容を宣告した。


「二人で同時に演奏。曲目はショパン、『練習曲エチュード作品10-12』」


 革命だーっ!!



 * * *



なら、別の曲をそちらで指定してくださっても構いません」

『いえ、それで大丈夫です』


 音兄の、自信にあふれた挑発めいた提案にも平然と返す。レヴィンさん、やる気だ!


「テンポは♩(四分音符)=192で」


 192! はやっ!

 楽譜の指示はだいたい160だったはず。


「音兄ー! そんなテンポで同時革命は無茶だよー! 二人同時に弾いてもグチャグチャに混ざるだけだよ! てっきり二台ピアノの曲をやるとばっかり……」

「グチャグチャに混ざるってことは、どちらかがズレたか、音道さんの調律が外れたってことだから、その時点で勝負は終了」

「ああもう、めちゃくちゃだよぅ……」


 わたしがこんなに狼狽うろたえてるのに、音道さんとミラマリアさんはすっごく楽しそうだし、レヴィンさんまで冷静に『譜面を用意するので待っていてください』なんて言い出す始末。


 当人たちがやる気なら、もう口出してもしょうがないか……。

 ところでレヴィンさん、譜面をちゃんと自分で捜し出せるの?


 と思ったら、いつもタイミングのいい安定のリーネルトさんが登場。心得たように、最速で先生に譜面を渡してくれた。さすが有能助手アシスタント


 レヴィンさんは、さらっと譜面に目を通してからリーネルトさんに返した。

 音兄がピアノ椅子に座りながら言う。


「8カウントでスタート」

『了解です』


 音兄が、タブレットでメトロノームを鳴らす。


 カッカッカッカッ「4フィア3ドライ2ツヴァイ1アインス


 うちのグランドピアノと鏡の向こうのピアノが、同時に雷鳴のような大音量を叩き出した!

 ってか、ろくな準備もなくもう始まっちゃったー!!



 * * *



♬フレデリック・フランソワ・ショパン作曲

 『練習曲エチュード作品10-12』(『革命』)



 開始と同時に吹き荒れる大嵐!

 想像した通り、左手の動きが凄まじい。高速十六分音符の連続が右へ左へと休みなく駆け抜ける。


 このスピードでも、弾ける人は弾ける。一人でなら。でも今、一つの曲を弾いているのは二台のピアノ、二人の奏者。


「嘘っ……全然ズレてない!」


 まるで一人で弾いているかのように、すべての音がピッタリと一致している――ようにしか聞こえない。


 言うまでもなく、メトロノームは最初のカウントだけで消えている。

 通常、譜面にどんなに綿密な指示があろうと、カチカチとメトロノームに合わせて弾くわけではない以上、奏者によってテンポ、くせ、曲解釈の違いが現れる。それが生楽器、それがクラシック音楽だ。

 なのに、これだけの高速の左手のアルペジオも、右手が歌う旋律も、全くと言っていいほどズレてない。


「ズレた方が負け」。だから、ずらせないんだ。


 コンマ一秒も気が抜けない。互いの音を聴きながら合わせている訳ではない。

 互いに、ぶつけ合っているんだ。全ての音符も休符も、あますことなく。


 今頃になって思い知った。わたしは、何度も協演協演と言いながら、「協演」というものをきちんと理解していなかったんだ。


 わたしにとっての「協演」は、『ニュー・シネマ・パラダイス』のように、互いの音を引き立て合い、うまくいかなかったところをカバーし合いながら、幸福に満ちたハーモニーを生み出していくもの。


 それも「協演」には違いない。でも、この二人には当てはまらない。

 そんなレベルを大きく越えた世界での、実力が伯仲はくちゅうした二人の「協演」は、甘い馴れ合いでも優しい助け合いでもない。まさに、勝負。戦いなんだ。


 スポーツじゃないから、仲間が取られた点を取り返すことはない。戦闘じゃないから、互いの背中を守ることもない。

 身一つ、楽器一つでステージに立った者同士の、本気のぶつかり合い。同じステージに立つ仲間だからこそ、彼らは互いが最大のライバル。


 まさか、音兄の無茶ぶりが、こんなにも凄まじい「協演バトル」を生み出すなんて――


 最後の四連続強打まで、本当にすべてがピッタリと一致した。

 厳密にはそんなことないんだろうけど、わたしの耳には、ズレなんて全く見つからなかった。


「いやー、すげえなぁ。ゾクゾクしたぜ、お前ら!」


 音道さんが、興奮しながら賛辞を述べる。確かなリズム感・音感を持つ音道さんをもうならせた、鬼神のごとき名演だった。


 音兄と、レヴィンさん。演奏中は全く呼吸を乱さなかったのに、二人とも今になって全身で荒い息をしている。汗がそれぞれの鍵盤にしたたり落ちていく。


 しばらくしてからやっと、音兄が声を上げた。


「俺の、負けです」

『……そうは、思いませんが』


 レヴィンさんも、やっと動いて、眼鏡を拭き始めた。


「ピアノは互角で、レヴィンさんにはさらにオルガンがある。単純に演奏能力の幅で、ピアノしか弾けない俺の負けです」

『まだオルガンを聴いてもらってませんが、いいのですか? ピアノに比べたらたいしたことないかもしれませんよ』

「理音が絶賛してるんだ。それはない」


 音兄は、笑いながら椅子の背にもたれかかった。

 勝敗よりも、ただスリル満点のギリギリの戦いを楽しんでいたように見える。

 そんな瞬間を見ることができたわたしたちは、みんな間違いなく今日の幸運を心に焼きつけるだろう。


「お前ら、こぶしが使えんからって音符で殴り合いすんじゃねえよ。一曲で何千発殴り合ったんだ? でもまあ、一番の勝者は、こんだけ激しく弾いても一つの唸りも生じさせなかった、チュー玉と俺だけどな!」

「あはは、その通りです。調律師様々です」

「今の演奏でまーた狂っちまったじゃねえか。急いで調律し直しだな」


 あんなに黒くなってた音兄の、楽しそうな爽やか笑顔といったら。


 なんか、ズルい! わたしも混ざりたいよー!

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