phrase31 ミラマリア(鏡の中の清き乙女)

「それじゃ、レヴィンさん。食事とお風呂を済ませたら、また来ますね」

『はい、また後で』


 お互いの丁寧な話し方はまだ変わっていないけれど、わたしたち二人の間に流れる空気は確実に変わっていた。


 くふっ。くふふふふふ。

 レヴィンさんと、両・想・い!

 きゃーっ! 嘘みたいっ! どうしようーっ!


 心で嬉しい悲鳴を上げながらコンサートルームを駆け出し、温玉おんたまちゃんと一緒に小走り&スキップでダイニングへ向かうと、音兄おとにいが赤ワインのボトルを高々とかかげて一気にラッパ飲みしていた。


「ちょーっ! 音兄何やってんのッ!」

「これが飲まずにいられるかーッ!」


 一本飲み干して、ドン! と置く。あかん、このオヤジ、もう出来あがっとる。


「俺の大事な娘は誰にも渡さんぞーッ!」

「誰があんたの娘だーッ! ……っていうか、まさか、まさかとは思うけど……音兄、さっきまでのわたしたちの通話……」

「あそこが録音・録画・配信用のスペースだということを忘れたわけじゃあるまいな?」

「んガッ…… !!」


 何てことだ。いきなり全世界に向けて配信されたわけではないものの、少なくとも音兄のモニターでは絶賛オンエア中だったらしい。この世界にわたしのプライバシーは存在しないのか。


「音兄、あの化粧台ドレッサー、わたしの部屋に戻してもいい? いいよね?」

「せっかくまたレヴィンと協演できると思ったのになー。すっごく楽しみにしてたのになー。あんな重いの、俺の繊細な腕じゃ毎回運ぶなんて無理だなー」

「うぐぐ……。じゃあ、協演はわたしの部屋で、ってことにすれば……」

「理音の部屋じゃ、音響もレコーディング機材もあんなに揃えられないなー。音質落ちるなー。モチベーション下がるなー」

「だったら俺が運ぼうか?」


 キッチンから出来たての夕食を運んできたいづ兄の言葉は、音兄のスフォルツァンド(特に強く)の視線にバッサリと両断された。


伊弦いづる。料理、全部向こうへ運ぶぞ」

「えぇ!?」



 * * *



 三十分後。

 酔っ払いがに増殖した。


理音りねはなー、ずっと、ずーっと、『大人になったら音兄ちゃんのお嫁さんになるー!』って言ってたんだぞ……なのに、なのに……」

「音兄ぃ、娘の初恋にショック受けてるめんどくさい父親みたいなセリフ吐かないでよぉ……」

「だいたい、それって絶対兄貴が誘導して言わせたパターンじゃん……」

『その愚痴の相手に、僕が混ざってるってなんかおかしくない……?』


 コンサートルームで、すっかりくだを巻いている川波家かわなみけの三人。プラス、鏡の向こうのレヴィンさん。音兄に問答無用で飲み会参加させられた。アルハラだ。


 運が良いのか悪いのか。レヴィンさん宅には、国が混乱真っ只中で物資不足であるにも関わらず、たまたまもらったばかりのビールが一ケース。もう、三本は空けている、というか空けさせられている。


 いくらドイツの人でも、おつまみの一つもなしにこんなに飲んで大丈夫なんだろうか。

 今わたしたちがおつまみにしてる、いづ兄お手製のチキンソテーとポテトフライ。レヴィンさんにも差し入れできたらいいのに。


「だいたい何だよあれー。告白に演奏記号を使うなよ! モニターひっくり返しそうになったわ!」

『エロいことばかり言ってるオトハに言われる筋合いはないッ!』

「まーまー、せっかくの出所祝いなんですから。もう一本乾杯と行きましょうや。先生、お勤めご苦労様です!」

「いづ兄、言い方ー」

「シャバの空気はさぞうまかろうー。ところでレヴィンさー、一つ仕事のオファーがあるんだけどー」


 こんな席で、いきなり仕事の話を振ってくる音兄。


『何?』

「今度、お試しでワークショップやってみたいんだよねー。手伝ってもらえるかなー」

『そう言えば、前もやりたいって言ってたね』

「ノーギャラだけどー。あ、ギャラは、レヴィンの告白劇場をリーネルトにチクらないってことでいいかなー」

『それ、本番いつ』


 レヴィンさん、目が真剣マジだ。


 ふと、この先の未来が見えたような気がした。

 何年先も、何十年先も。この二人、こんな風にお酒を飲み合いながら、気軽に遠慮なく音楽や仕事の話をしていそうだな、って。


 そばにはわたしといづ兄、それから大人になったリーネルトさんや、色んな人たちがいて。

 メンバーは、その都度少しずつ変わっていくだろうけど。

 温玉ちゃんが、鏡と音楽で繋いだ不思議な縁は、きっとこの先も続いていく。


 今日の日記ー。

 こうして、わたしの「乙女の一大イベント」記念日は、酔っ払いにまみれたお酒臭い日として川波家の歴史に刻まれたのでしたー。


 わたしも酔っちゃった。くふぅ。



 * * *



 数日が過ぎた。

 いづ兄が化粧台ドレッサーを運んでくれたおかげで、今、わたしは自分の部屋で鏡を見つめている。


 今日も、鏡の向こうにはバスルームの壁しか映らない。


 ミラマリアさん、本当にどうしちゃったんだろう……。話したいことがたくさんあるのに。

 何より、レヴィンさんを救ってくれたのが本当にミラマリアさんなら、一刻も早くお礼を言いたい。言わないと、わたしの気がすまないよ。


 今日はレヴィンさんの帰りが遅くなるらしい。人がいいので、なんだかんだと相談や頼まれごとに引っ張っていかれるそうだ。

 学校の仕事に、オルガン演奏の仕事。もちろんリーネルトさんの指導も。最近は作曲も手がけている。わかってはいたけど、やっぱり忙しそうだなあ。


 でも留守の時には、鏡の前にちょっとした手紙や写真を置いていってくれる。可愛いお花や小物を飾ってくれることもある。もちろん、わたしは全部写真に撮って残してある。いまどきのSNSとは違う、ちょっと古風なやりとりが、彼らしくてけっこう気に入っている。


 では、今日も更新いたしますか。

 ペンネーム「山木やまき心音ここね」の自作小説、『兄とわたしの黒鍵こっけん協奏曲コンチェルト』を!


 レヴィンさんが忙しいせいで、更新がはかどっちゃって仕方ないわー。

 今日も「お兄さんのシスコンぶりがぶっ飛んでます!」ってコメントもらっちゃったわー。うちの兄本人に見せてあげたいわー。


『山木心音センセ〜、最近更新順調じゃないですか~』


 あれ、空耳かな? どこからか、聞き覚えのある声が……


 って、空耳じゃなーいっ!!


「ミッ、ミラッ……!?」

『推し活はかどってるじゃない。良き良き』


 夢じゃない。鏡の向こう、長い間無人だったバスルームに、猫耳を付けた懐かしい人がいる。


「ミッ、ミラマ……」


 どうしよう、声が出ない。

 言いたいことがあったのに、頭の中が真っ白だ。


『てっきり今頃はお花とハートマークを飛ばしまくってると思ってたのに、ずいぶんおとなしいじゃない』

「だ、だって……」


 久しぶりに聞くミラマリアさんの声は、とても優しかった。


『リネ、いいことあったんでしょ? もっと嬉しそうな顔しなきゃ。私に報告してくれる?』


 ミラマリアさん、わたしとレヴィンさんのことを知ってるみたいな口ぶりだ。


「……えっと、レヴィンさんと、両想いになりました」

『うんうん』

「ミラマリアさん、わたし――」

『……ごめんね、リネ』

「えっ」


 意外な言葉に、わたしの思考が途切れた。


「何がごめん、なんですか?」

『一つは、あんたが寂しがるのをわかってて長く留守にしたこと』

「それは――」

『もう一つは、今の私の情報網を総動員しても、あんたとレヴィンさんを直接会わせてあげられる方法がない』

「えっ……」


 それは、ミラマリアさんが悪いわけじゃないのに。


『イヅルのような異世界憑依型の卵でも、卵主たまごぬし本人しか飛べないし。仮にこの先飛べるようになったとしても、他人の身体で会うことは、あんたたちが望まないと思う』

「そうですね……。誰かに何かの迷惑をかけてしまうくらいなら、わたしもレヴィンさんも、このままでいいんです」


 ミラマリアさん、そんなことを考えててくれたんだ。


「レヴィンさんと、ちゃんと話し合いました。わたしたちは確かに、お互いの身体の温もりを感じることはできない。でも、鏡越しに会えるだけで、心がうーんと温かくなるんです。言葉とか、表情とか。鏡越しでも伝えられる温もりが、ちゃんとあるんです」

『…………』

「レヴィンさん、前に言ってました。無限に広がる幾つもの世界の中で、幾つもの偶然をくぐり抜けて、わたしに出逢うことができた。そのことに感謝してる、って。わたしたちは、『同じ世界で直接会うことができない二人』じゃない。『違う世界にいるのに、奇跡的に出逢えた二人』なんですよ」


 ほとんどレヴィンさんの受け売りだけどね、えへ。

 ミラマリアさん、目を細めて微笑みながら聞いてくれてる。


「この先どんな感情が生まれて、どんな関係になっていくかはわかりません。心の未来がわからないのは、どこの世界にいても同じ。今は全力で、今の幸せを嚙みしめてます。だから、全然心配とかしなくても大丈夫なんですよ」

『よかったね、リネ』


 ミラマリアさんが、とっても可愛い笑顔を向けてくれた。


『レヴィンさん、思ってたよりもずっと大人だよね。と言っても、守りに入ってるわけでも女性慣れしてるわけでもなく、自分が知らなかったこともちゃんと知ろうとしてくれるし、何よりあんたを大切に思ってくれてる。今私にわかるのは、あんたがあの人にめっちゃ愛されてるってことよ。このぅ、ハートマーク思いっきり大量に飛ばしやがってー』

「そうですか~、えへへ」


 乙女二人で笑い合う。わたしにとって、ミラマリアさんとの通話はかけがえのない大切な時間だ。

 やっと、報告できた。喜んでくれた。

 でも、何だっけ。何か言い忘れているような……


「あ、そうだ! あの革命を起こしたのって、ミラマリアさ――」

『今日は、リネに言っとかなきゃいけないことがある』


 彼女の、表情と口調が変わった。



 * * *



 今までにも、重い話をする時に見せた顔だ。

 これが、彼女が「軍の仕事」で見せる顔なんだろうか。


『私は、許されないことをした。まるで神にでもなったみたいに、自分の都合で世界を改変した。卵の力を利用して、「飛揚ヒヨウ」のメンバーまで動かして。他の世界には干渉しないという、あの組織の理念までくつがえしてしまった』

「……ミラマリアさん……?」

『リネの世界や他の世界にも、あの国の革命を経験したサンプルがたくさんあった。分析すれば、レヴィンさんの世界の革命をどうすれば早められるかは容易に予測できる。私は卵の力で情報を集め、「飛揚ヒヨウ」の力でプロパガンダを操作して、国民一人一人の意識から政府の中枢、近隣諸国にいたるまで自分のいいようにコントロールした。その結果、革命が十年早まった』


 ミラマリアさんのしてくれたことは、確かにものすごく重大なことだ。

 でも、そんな風に責任を感じていたなんて……。


「自分のいいように、って……。ミラマリアさんは、レヴィンさんのためにやってくれたんですよね?」

『レヴィンさんの人生は、わたしたちにとっては重要でも、ほとんどの国民にとっては関係のない話。革命が早まったことで、彼のように助かった人間もいれば、かえって不幸になった人間もいると思う。一番重要なのは、どれだけの人生が好転して、どれだけの人生が暗転したのか、私にも把握しようがないってこと。私がやってしまったことの影響を、正確に計測する手段もなければ、責任を取る手段もない。だからね、リネ。たとえ技術があっても、理由があっても、本来辿るべきだった歴史を変えるようなことは絶対にしちゃいけないの。自分の世界の過去を変えちゃいけないのも同じ理由。改変は、たとえ誰かを救うためであっても、結局は特定の誰かが行う独善でしかない。そこから波及する、計測不能なほど膨大な影響を、責任を取ることなく巻き起こす行為なのよ』


 ミラマリアさんの話は、わたしも覚えておかなくてはいけない話だ。

 温玉ちゃんの力は、使いようによってはいくつもの世界に大きな影響を与えてしまう。ミラマリアさんのように。


『――ということを肝に銘じておかないと、今後も他の世界の歴史を好き勝手に変えてしまうやつが現れないとも限らないでしょ。前に捕らえた、ベンカーのマネージャーだったやつがその典型。やつの組織は、私とは逆に、革命を起こさないように暗躍していたから』

「世界への干渉……って、実は根が深くて大変なことなんですね……」

『厳密にいえば、今私たちがこうして通話してるのも「本来はなかったはずの干渉」なんだけどね。でも私、感情論で言っちゃうけど、リネとの出逢いが悪いことだなんてとても思えない。リネは私に、楽しいことも大切なことも、たくさん教えてくれた。こればっかりは、誰にも奪われたくない。譲れない』

「ミラマリアさぁん……」


 何故だろう。ミラマリアさんの言葉が嬉しいはずなのに、切なくて、涙ぐんでしまう。

 どこかにほんの少し哀しい色を感じるのは、わたしの気のせいだろうか。


『……私、明日、ここをつの』

「……え?」

『仕事で、ちょっと遠くへ行くことになってね。ここ、軍の官舎なんだけど、引き払うことになったから。ひょっとしたら、後任の誰かがこの部屋へ来るかもしれない。仲良くできそうなら、仲良くしてやってね』

「……そんな……」


 恐れていたことが、現実になってしまった。

 ミラマリアさん……もう、会えないの……?


『あんたのこと、一生忘れない。元気でね。幸せになりなよ、リネ』

「ま、待って! ミラマリアさん!!」


 そのままバスルームを出ようとする小さな背中を、声を上げて必死に呼び止めた。


 ミラマリアさんは、少なからず自分のしたことに責任を感じている。

 だから、もう戻ってこないつもりなのでは。そんな不安がわたしを駆り立てる。


「約束しましたよね! いつか必ず、鍵盤ハーモニカを作って見せてくれるって! わたしのピアノと、バッハで協演するんです! 忘れてませんよね! お願い、また戻ってきて――」


 まだ話してる途中なのに、扉を閉める音が響いた。


 直前にちらっと見えた、今にも泣きそうな小さな笑顔が、いつまでも残像のようにわたしの心に張りついて消えなかった。

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