第12話 琵琶法師(あるいは論理的帰結)

 昔々ある所に一人の琵琶法師が居ました。

 琵琶法師とは目が見えない人が琵琶の弾き方を覚えて演奏し、それでお布施を頂いて生活するというものです。

 中には素晴らしい演奏の腕前を持つ者もおり、この芳一という琵琶法師もその一人でした。

 芳一の一番人気の出し物は平家物語です。

 平家物語は悲劇の代名詞のような物語です。天下を握っていた平家が次の政権の主である源家に追われ滅亡していく様を悲歌として歌ったものです。

 これが「祇園精舎の鐘の声~」で始まる平家琵琶と呼ばれるものです。

 彼はこの物語に関しては最高の弾き手でした。琵琶を嫋嫋(じょうじょう)と鳴らしながら、長い節回しで悲劇の様を綴ると、周囲で聞いている者たちで涙を流さぬ者は一人もおりませぬ。それはそれは見事なものでした。


 ある夜を境にこの芳一という名の法師は夜な夜などこかに出かけるようになりました。それと共に彼はどんどんやつれていきました。

 彼が寄宿している寺の和尚がこれに気づき問い詰めてみると、夜な夜な一人の鎧武者が琵琶を弾いてくれと尋ねてくるとのこと。

 和尚が隠れてこっそり見ているとそれは恐るべき平家の落ち武者の怨霊でした。



 このままでは芳一は取り殺されてしまう。

 そう考えた和尚は一計を案じました。

 丹砂を富士の霊水に溶かし、写経の紙を焼いた灰を混ぜて赤い墨を作ったのです。これを筆に浸して芳一の体全体にお経を書いたのです。


 芳一を裸にして全身の毛を剃ると、その肌に有難いお経を書きこみます。お経を書いた場所は怨霊には見えないのです。これで怨霊は芳一を見つけられないはずです。探してもいないとなればさすがの怨霊も諦めざるをえません。

 盲人に取っては耳は命綱なので、和尚は芳一の耳にもちゃんとお経を書くことを忘れません。

 しかし芳一の大事な所に有難いお経を書くのにはやはり少しばかり躊躇いがありました。果たしてそんな不浄なところに神聖なお経を書いてよいものでしょうか。

 しかし和尚は自分の心に鞭を打ち筆を走らせました。

 たった一つの問題は芳一が目が見えないこと以外は健康な男であったことです。

 たちまちにして屹立したその立派なものに和尚は目を剥きましたが、もう後には引けません。罪深いことじゃと呟きながら、お経をそこに書き上げます。


「これで準備はできた。芳一よ。怨霊が来ても声を立ててはならぬぞ」

 そう言い残して和尚様は部屋の外へ出て行ってしまいました。芳一はただ独りでこの試練に耐えなくてはいけないのです。


 深夜、突然襲い来た睡魔に和尚様はついに眠りに引きずり込まれてしまいます。

 同じ頃、芳一の前には落ち武者が現れていました。

「芳一。これ、芳一。どうしたことだ、芳一の姿が見えぬ」

 落ち武者は辺りを手でまさぐります。

「どうしたことだ。芳一の姿は見えぬが、芳一のナニだけが転がっておる。姫様はこれがことの他気に入っておったな。仕方ないこれを持ち帰りて我が忠誠の証としよう」

 そう言いながら手を伸ばしてむんずとばかりにそれを掴み、ぶちりと引き千切って怨霊は消えました。


 翌朝、血まみれになって床に転がって苦しむ芳一を和尚様は見つけました。

「ああ、なんたること。すまぬ。芳一。大きいときに書いたお経は小さくなればただの染みだ。そうなればもはやお経とは言えぬ。許せ、芳一。このワシはそれに気づかなかった」

 和尚様は嘆きましたがもう手遅れです。その後、芳一は長く患いましたがやがてその傷も癒え、耳が無事であったこともあり、琵琶の名手として語り継がれました。


 この事件以降、人々は彼を指さしてこう呼びました。

 ナニ無し芳一、と。

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