第14話 包丁経済
間抜けな独裁政党の間抜けな総理大臣が、給料は減るばかりなのに狂乱物価になっているこの最悪な時期に、さらに大増税をやってくれた。そのお陰で日本の経済はどん底に落ちてしまった。
それが二年前のことだ。
結果として当時三割存在した無貯蓄世帯がすべて借金世帯に化けた。
無貯蓄世帯はそのまま放置しても無貯蓄世帯のままだが、一度でも借金世帯に堕ちると話は違う。借金は常に増大するのだ。特に狂乱物価の中では。
今や三世帯に一つが借金で首が回らない。無敵の人三千万人の大行進である。
インターホンが鳴った。
出てみると右隣に住んでいる人だ。
「夜分、遅くにすみません。実は買っていただきたいものがありますので」
そう言いながら手にした包丁を見せる。良く研がれた刃がギラリと光る。
「どうです。良い包丁でしょう。これを十万円で買っていただきたいんで」
そう言ってこちらを睨む目に何か恐ろしいものがあったので、部屋中の現金を集めてそれを買ってしまった。
「お買い上げ有難うございます」
隣人は包丁を置いて立ち去った。
何て恐ろしい時代だと額の汗を拭っていると、またもやインターホンが鳴った。もしやまたもや隣人が戻って来たのかとドアスコープを覗いてみると、今度は左隣の住人だ。
「隣で騒ぎを聞いていましたよ。大変でしたね」
「いや、まあ。驚きました」
「そこで改めて話があるんですよ」
左の隣人は包丁を取り出した。
「これを買って貰えませんか?」
お前もかい。思わずそう言いそうになった。
「いえ、お金はもう無いのは分かっています。だからお米と冷蔵庫の中身をいただけますか」
ニコニコした顔で隣人は食料品を持って帰っていった。後には包丁が二本残るばかり。
次の日は上の階の住人と下の階の住人たちが次々と訪れた。あそこの家はちょろいと噂が流れたらしい。
やがて町内中の人間が俺の家を訪れるようになり、遠からず俺は破産した。
もうお金は一円もない。これからどうしようと悩んでいると、また右隣の住人が来た。
「もうお金はないんです。冷蔵庫の中も部屋の家具も全部持っていかれてしまった。これからどうやって生きればいいのか」
俺は愚痴をこぼした。
それに対して隣人は俺の背後を示しながら言った。
「何を言っているんです。包丁があるじゃないですか」
隣人に商店に連れて行かれた
「色々買ってから最後に包丁を出すんです」
ついに俺は強盗になるまで堕ちたのかと情けなくなった。だが背に腹は代えられない。商品をカゴに詰め込み、清算の際に包丁を出した。もちろん恐るおそるだ。
レジの人の動きが一瞬止まったので、俺の心臓はびくんと跳ね上がった。
「はい、はい」
レジの人はそう言いながら手早く計算してから言った。
「はいお釣り」
俺の手の中に小さな包丁型の金属を何枚か握らせる。
「え?」
一瞬目が点になってしまった。隣の人が俺の肩をポンと叩いた。
「何を驚いているんです。今ではこれが通貨ですよ。現代に蘇った刀幣という奴ですね。いわゆるローカル通貨です」
渡されたレシートを見ると買った商品の金額が印刷されている。ただしその合計には消費税50%がついていない。
「消費税は商取引にかかるものです。しかしあなたが今やったのは取引ではなく強盗です。強盗で得たものにさすがに消費税はかけられません」
「ええと」
「つまりあなたはいま強盗をして商品を手に入れたわけです」
「そんな! 警察に捕まってしまう」
「何を言っているんです。三人に一人が無敵の人のこの時代にたかが強盗ぐらいで警察は来ませんよ」
本当だった。俺はしばらくの間、部屋の中に溜まった包丁を使って生活していた。
あらゆる所に包丁通貨は手を広げていった。それに反比例するように誰も欲しがらなくなった日本円は価値を失い超がつくインフレとなった。
リュックサック一杯の札束でアンパンが一個買えるか買えないかになってしまった。上級国民が溜め込んだ資産のかなりがそのまま消滅した。一方で借金で喘いでいた世帯はすべての借金を綺麗に返した。ゴミ捨て場に行ってそこに捨てられている札束を拾ってそれで借金を返したのだ。
次の給料日、信じられない額となった日本円の給与額と一緒に包丁通貨が渡された。高額な包丁通貨は18金で作られた小さな包丁の形をしていた。刻印までちゃんと入っている。金兌換制の復活である。
企業の順応は早い。こうなると包丁通貨は事実上の通貨として流通し始めた。
相も変わらず日本円を使っているのは国の中枢、つまり公務員だけとなった。
いくら日本円で最高額の給与を貰おうがそれではマトモに買い物ができない。
公務員たちはどこからか包丁通貨を手に入れて買い物をしようとした。
その結果、あらゆる商店から警察に通報が入った。
包丁通貨とは言え、それでの買い物は商取引ではなく基本は強奪行為だ。つまり包丁通貨を使おうとした公務員たちがすべて強盗として通報されたのだ。
いつの間にか顔認証アプリが配布されていて、すべての公務員や官僚はその家族も含めてスマホで身元が判明する。それを使って彼らが行う買い物がすべて強盗とされた。おまけに包丁通貨を使った公務員たちはその場で私人逮捕され突き出された。それぐらい長い間の格差政治で公務員は憎まれていたんだ。
特に政治家への風当たりは強く、包丁通貨を使おうとしたお偉い政治家たちが街角で皆に地面に押さえつけられるという光景が繰り広げられた。
真っ先にこの変化に追随したのは警察だった。包丁通貨の使用を認められる代わりに民衆の側に立つことにしたのだ。
消防などのインフラ系の公務員もそれに追随し、町内会がその維持費を徴収して払うようになった。
海外市場もじきに包丁通貨を認めるようになった。ある国の通貨の価値を保証しているのは単に数字が描かれた紙ではなく、それを使う国民にあると初めて誰もが認識したからだ。
政治家そして一部の財務官僚たちだけは最後まで許されなかった。もはや乞食をする以外に食物を手に入れる方法はない。一部の人間は外国に逃げたが、持っていた円はすべて紙屑となっているので、その生活は厳しいものとなった。
一年で日本人はこの変化に馴染んだ。
無意味な日本円は完全に崩壊し、包丁通貨が誰にも管理されない通貨として成立した。そしてこの通貨には政府の手が一切及ばなかった。
だが官僚たちはしつこかった。誰にも分からないように法律を少しづつ改変し、混乱の中でついには包丁通貨を税体系の中に取り入れてしまった。
つまり包丁通貨を税として取り上げて、公務員の給与としたのだ。
またもや消費税が始まった。
昨日、隣人がうちのインターホンを押した。
手には小さなこん棒を持っていた。
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