三章
第28話 過去2
クォギアは物心つく頃から、暗い部屋の中にいつも居た。冷たい手の皆に〈出て来てはいけないよ〉〈いい子で、中にいるんだよ〉と優しく声を掛けられながら、ずっとそこで暮らしている。皆が帰って来る度にお菓子や絵本、玩具を持って来てくるから、我慢が出来た。
絵本の中に広がる果ての無い大空に、憧れた。
大地を踏みしめ、木々の実りを皆と分かち合い、穏やかに暮らす日々を夢に描いた。
扉の向こう側から皆の足音が聞こえなくなり、ランプの油は切れ、日にちの感覚を忘れた頃。
その日が訪れた。
1人の足音が聞こえる。固く閉ざされた扉が開き、部屋の中に光が差し込む。
「……生き残りか」
クォギアは眩しさに目を細めていると、その人は言った。
ウサギとクマのぬいぐるみ。色とりどりの積み木。天井から吊り下がる星と鳥のオーナメント。積み重なる大量の絵本。
玩具箱をひっくり返したかの様に、小さな其の部屋には絵本や玩具で溢れかえっている。その中に、簡素なワンピースに似た服を着た小さなクォギアが立っている。髪が伸びてしまったが、垢に塗れず、やせ細らず、まるで人形のように無機質な表情を浮かべている。
「製造番号は?」
淡々とした冷たく、皆と同じ優しい声。
初めて聞く声に驚きながらも、クォギアはじっとその人を見る。
ことん、と何処かで硬いものが落ちる音がした。
「……知らない。みんなは、どこにいるの?」
恐る恐る聞いてみると、その人は驚いた様子で目を見開いた。
茶色の肌、黒色の髪、金色の瞳。皆とは違う色が、不思議で、とても綺麗だとクォギアは思った。
「残念だが……もう、誰もいない」
言葉に迷った様子でその人はそう言い、クォギアに歩み寄る。
「どうして?」
その人は右手の細い指の腹で、白く美しいクォギアの額に痛々しく残る火傷の跡を撫でる。
「彼らは、全て壊された」
静かにその人が告げる。
強く打ち付けられたかのように、痛みが駆け巡る。凪の海の中にいたクォギアの心は、一瞬にして嵐に飲まれ、舵の効かない体は倒れ込みそうになる。
その人は、すぐさまクォギアの身体を支え、抱きしめる。小さな冷たい彼の体は小刻みに震え、青い瞳から涙が溢れ出す。
「……君は」
「知っていたの」
静かに涙を流すクォギアの背を、その人は優しく摩る。
その人の体は温かい。皆と違い、血の通った人間だとクォギアは思った。
「皆が来なくなる前に、言われた。僕たちは壊されるけど、クォギアは大丈夫だから、逃げなさいって」
行き場なく力が籠り続けるクォギアの拳を解き、代わりにその人は手を握る。
「クォギア……それが君の名前か」
「うん。みんなが、考えてくれた。でも、僕はみんなの名前教えてもらえなかった」
教えてもらえなかったのではない。最初から彼らには無かったんだ。
言う事を聞いていると、皆は嬉しそうにしてくれた。だから、今更気付いた。皆が自分にしてくれたように、名前を考えるべきだったと後悔し、クォギアは益々涙を流す。
「もしかしたら、誰か迎えに来てくれるかもしれないって、だから、だか、ら……」
扉の鍵は開いていた。けれど、クォギアは開けずに、ずっと待っていた。
いつものように誰かが家に帰って来て、〈ただいま〉と優しい声を掛けてくれる。
そう信じて、別れが恐くて、部屋の中で過ごしていた。
「……寂しかったな」
声を上げることなく泣き続けるクォギアは、無言で頷いた。
その人は寄り添い、もう一度部屋の中を見た。玩具箱をひっくり返したように、物で溢れた小さな部屋。醜いモノから遠ざけ、綺麗なものだけを集めた歪な場所。
ひどく懐かしく寂しさを感じるこの部屋に、クォギアはもう2度と戻る事は無い。
やがて、泣き止んだクォギアはその人に連れられて、小屋の外へと出る。
小屋の周りには、大量の水色に輝く結晶の欠片が大量に散乱している。クォギアは触れようと手を伸ばすが、欠片はまるで泡のように砕け散り、無へと消える。ひと月もしないうちに、全てが消えてなくなるだろう。
「…………歩けるか?」
「うん。大丈夫」
涙で目元が腫らしながらも、彼はしっかりと頷いた。
空の色に溶ける様に、水色の髪が風になびく。
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