二章
第17話 過去1
空に浮かんでいながら、重量感を感じさせる黒い陰影作り出す濃灰色の雲の群れがゆっくりと流れていく。陰影の中で、蠢く様に光が走っては消えてを繰り返す。
荒野の大地は空を映すように濃灰色に染まり、風が徐々に強まっている。
あぁ、落雷が降る。また橋が駄目になる。
遠くで誰かがそう呟き、誰かが慰める。
「クォギア。どこにいる?」
ローブのフードを深くかぶり顔を隠すディルギスは、難民キャンプの中で小さなクォギアを探す。
天候が安定せず、復興もままならない。半年もの間、難民達は身を寄せ合っている。少年のような姿のディルギスに対して、下の子を探しているのだろうと思い、気に留める余裕のある者は少ない。
日照りと豪雨を繰り返す荒野で、多くが生きる気力を失いながらも、明日を紡ごうと必死に足掻いている。
「おーい、坊主。もう直ぐ雨が降るから、屋根のある所へ行けよ!」
どこかの誰かが、キャンプの外れにいる子供に声を掛けるのが聞こえた。
ディルギスは急いでそこへ向かうと、穴を手で彫る6歳位のクォギアがいた。
「クォギア」
「ディルギスさま!」
鮮やかな空色の髪を布で覆い隠し、額に汗の粒の浮き出たクォギアが、顔を上げる。
「雨が近い。帰るぞ」
穴へと近づいたディルギスは手を差し伸べるが、クォギアは首を振る。
「ううん。まだやる」
クォギアは、地面を掘り続ける。
硬い土に柔らかな爪は割れ、血が滲み、白いはずの手は黒く染まっている。
すでに自分がすっぽりと収まるほどの穴が出来ているが、それでもまだ足りないと広げている。
浄化の旅路の道中。休むために留まると決めれば、彼は自分を傷付けながら穴を掘り始める。
気が触れた子に見えるだろう。しかし、彼は正気だ。
やらなければならないと自分自身を鼓舞し、献身するその姿は痛々しくも、目を離せなくなってしまう。
これを、あと何百回繰り返すのだろうか。
「……駄目だ」
「どうして?」
ディルギスはその穴の中へと入り、クォギアの小さな手を優しく両手で包み込んだ。
傷ついた小さな手はとても温かく、血と泥の匂いがした。
「豪雨が降れば、水が穴へと溜まってしまう。土は柔らかくなり、崩れ落ちる」
「でも」
「ここには、誰も入れられない」
クォギアは泣きそうな顔で抗議しようとしたが、指先の痛みを自覚してしまったらしく、手が震えている。
「わかっている。きみは、名も無き彼らの死を悼み、皆の為に墓を作ろうとしている」
彼らの遺体は無い。心臓の光を失った彼らは崩れ落ちる様に、大地へと還った。
ここに入れられるのは、クォギアが彼ら1人1人に贈る想い。
とある村で作った際には、何時間もかけて見つけて来た花と緑を。
ある廃墟では、道中で見つけた綺麗な石を。
心を動かす事を許されなかった彼らへ、美しいものを見せる様に……
「だからこそ、やめなさい」
ディルギスの両手から淡い光が溢れ出し、クォギアの手を癒していく。
血で汚れた泥は消え去り、本来の白く小さな手へと戻っていった。
死者は蘇らない。どれ程強く想おうとも、生者は其れに足を絡め捕られてはならない。
彼らが望むのは、追悼ではない。
「クォギア。きみは、彼らの生きた証そのものだ。従う事しか許されなかった彼らが叛逆し、守り抜いた命だ。彼らの為にもこれ以上、自分を傷付けてはいけない」
海の様に青い瞳が涙で歪み、ディルギスは右手で雫を掬い取る。
とても美しいと思う。ここまで感情を振るわせ、想い、心を砕く彼の存在そのものが、眩しい位に輝いて見える。
「私も、きみが傷付く姿は見たくはない……このままでは、大切なきみの手が壊れてしまう」
吹き抜ける風に、湿り気が増す。
もう直ぐ、視界の全てをかき消す程の豪雨と落雷が降り注ぐ。
「クォギア。おいで」
ディルギスは穴から出ると、クォギアへと左手を差し出す。
「……うん」
クォギアはディルギスの手を握り、穴の中から出て来た。
その小さな足で歩み出す人生が、温かなものであるように。
彼は静かに祈りを捧げる。
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