第16話
荷馬車は別館に程近い裏手の門へと止まった。御者の協力の元、クォギアの使う別館の中へと運び入れた。
その後クォギアは1人で、掃除道具等の備品を一階の倉庫部屋へ置き、食糧は調理室に隣接する貯蔵庫に仕舞い、最後に服の材料を工房となる部屋へと持っていく。
「帰って来たか」
「ただいま戻りました……?」
トランクケースの上に置いておこうか、とぼんやり思っていたクォギアは、まだ部屋にディルギスがいた事に驚いた。
「この家具、どうしたんですか?」
さらに驚き、戸惑う。
壁沿いにならぶ重厚感のある棚が3台。左は小さな引き出しの多いボタン用の棚。真ん中は、上は巻き糸が差し込む棒が並び、下の引き出しは刺繍糸が入れられる糸棚。右は布をしまう棚だ。
布の裁断等の作業を行う広く大きな机。腰に負担の掛かりにくい構造の椅子が2脚。マネキン2体。
「家具に関する冊子にマルを付けていただろう? まず一式揃えた方が良いと思い、優先して買わせてもらった」
ディルギスの手には、裁縫師用の家具を記したカタログがある。昨晩、クォギアは工房となる部屋に置く家具に、まずはこれだけ、と一通り赤インクのペンで丸を付けていた。
「ありがとうございます。これで、作業がしやすく……」
机の横に立つディルギスの背後に、あるモノが置かれている事に気づき、目の色が変る。
「アラクネ社製の足踏みミシンじゃないですか! しかも最新式!」
クォギアは子供のように目を輝かせながら、感激をする。
漆黒のミシンには〈アラクネ〉と金の印字が施され、それを支える金属性の柱は蔦に糸を張る蜘蛛の巣がデザインされている。
アラクネ社は機織りや染色、そしてミシンと布に関連する機械の品質がとても良く、様々な業者が愛用している。クォギアは、自分専用のミシンを買う為に貯金をしている最中であった。
「1週間前に、新しい専属裁縫師が住み込みであると知らせが来たので、注文していた。これで、よかっただろうか?」
「はい! 勿論と言うか……ありがとうございます!」
クォギアは思わず握手をお願いしたい程に、感謝を述べる。
魔石を利用した自動のミシンが街で話題になっているが、クォギアは足踏み式を好んでいる。今後開発が進むのは確定だが、現段階の自動ミシンは速く縫える半面、何かズレや失敗が発生した際に制止が効き難い。縫い目を解き、やり直す際に時間が掛かる。
対して足踏みミシンは適度な速さで縫え、分厚い生地にも針が通り、構造が単純なので修理がしやすく、原動力が足なので魔石の交換が不要。
要望に合わせ1着1着丹精込めて作る裁縫師は、クォギア同様に足踏みミシンを好む傾向が高い。
「私室の方にも、家具を入れた」
このままではずっとミシンに噛り付いて良そうなクォギアを見かねて、ディルギスは声を掛けながら、彼のシャツを軽く引っ張る。
「おい」
「あっ、はい。行きます」
机の上に材料を置き、クォギアは私室となる部屋を見に行く。
あまり興味が無さそうな簡素な答えに、ディルギスは彼の私生活が心配になる。
ミシンを目の前にした表情から、仕事に対する強い熱意があるのが伺える。勤勉で熱心なのは好ましいが、熱中し過ぎて時間を忘れ、何日も徹夜をしてしまいそうだ。
まだ何も始まっていないに等しいが、注意は必要だと彼は胸に留める。
「ベッドは無いのですね」
私室となる部屋には、クォギアがカタログから選んでいたクローゼット、机と椅子、チェストが置かれているだけだ。
「おまえの身長では、一般的な人間のベッドは合わない。だが、獣人の品では大きすぎる。だから買わなかった」
「ですよねぇ」
クォギアは置きっ放しになっていたリュックから、寝袋を取り出す。
長身であるクォギアは、一般的な人間サイズのベッドでは足が余ってしまう。獣人は大小あるが、中には平均2mを超える種族用のベッドが作られている。それを買えば良いと思ってしまいそうだが、横幅も広いので部屋によっては半分以上を占めてしまう。
カタログの家具では、クォギアに合った一人用のベッドは無かった。
「アパートに住んでいた時に、ベッド専門店に依頼した事があるので、オーダーメイドで作る予定です」
「持ってこれば、良かったではないか」
「それが、足が納まれば安くても良いと思って依頼したせいで、寿命が割と早かったんですよ。横になると床板の真ん中あたりから嫌な音を立てて軋むので、思い切って捨てました」
金が貯まったらもう少し良いものを、と思って依頼し、案外使えるからと買い替えなかった自分が悪い。マットレスも安物で、板とさして変わらない状態だった。
いつ壊れるのかと心配していた自業自得の日々を思い出し、クォギアは苦笑する。
「わかった。他の家具同様に、金を出そう」
「申し訳ありません。即製品だったら、もう少し安く済むはずなのに……」
「気にする必要は無い。おまえが私の為に服を作り、その代価として良い生活を送れるように整えるのは、こちらの役目だ」
ディルギスの口元にほんの少し笑みが浮かぶ。
直視できずに目を一瞬泳がせたクォギアは、裁縫師として重要な事柄を思い出す。
「……あっ、そうだ。ついでの様で申し訳ありませんが、寸法を測らせていただいても宜しいですか?」
「あぁ、かまわない」
クォギアは工房へと戻り、トランクケースの中から裁縫用のメジャーを取り出す。
「……」
よくよく考えてみれば、ディルギスは大人用のシャツとサンダルの姿で、家具の業者たちと会っている。応対し、別館の部屋へと案内し、置く場所の指示をした。
「ん? どうした?」
工房へ戻って来たディルギスは、不思議そうに小さく首を傾げる。本人は、全く気にしていない所か、無自覚のようだ。
相手が神と理解していても、そのような姿は、色々と勘繰ってしまう要素が散りばめられている。それこそ、あの馬鹿共の喜びそうな内容も想像する奴がいても、おかしくはない。
「……いえ。何もない、です」
クォギアは、業者によって変な噂が流れない事を切に願う。
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