第15話

 1人は着ている服の生地が良質であり、履いている牛革の靴は手入れが行き届いている。

 どこかの役職を持った一家の息子。

 残り2人はそれ程でもないが着古した服ではないので、余裕のある一般家庭出身だと伺える。


「噂通り、若い男が来たんだな」


 3人は値踏みをするような、見世物を見る様な目線をクォギアへと向けている。


「噂? なんでしょうか?」


 明らかに不浄の噂とは異なる。本当に分からないので、小さく首を傾げながら訊いた。


「知らないで来たのかよ。浄化の神は、若い女と男を侍らかせているんだって」

「浄化には強い精力が必要なんだろ? 英気を養うために、毎日違う人を国が神へ宛がう。人の方も良い酒が飲めて、高い金貰えるから喜んで行くんだと」


 性に開放的な神がいるのは知っている。国がそのような援助をするのも知っている。だが、その援助されてやって来る人間は国の工作員。そういった神は役割を放棄しやすいので、見張り、時に矯正をする。

 城の裁縫師は、彼ら向けにも服飾を作るので裏事情を知っている。

 その神が何か言ったのだろう。真に受けた使用人によって、壮大に尾ひれの付いた噂が民衆を渡り歩き、ディルギスに泥を塗った。


「区長はその事実を隠す代わりに、甘い汁を吸わせてもらっていたんだ」

「あんた、どれ位金貰ってんの?」

「いいよなぁ。神と寝るだけで、贅沢な暮らしが出来るなんて。俺らにも、少し分けてくれよ」


 クォギアの中に、燃え上がる程の怒りよりも冷ややかな軽蔑が生まれる。

 世代が違えば、噂の内容も変わって来る。店主たちとは違い、活動的な彼らが好むのは、神や貴族達のスキャンダルとゴシップを張り合わせた想像豊かな作り話。

 この際、誰が作ったなんて、どうでも良い。

 彼らは神にすら悪口を言えるといきがっている。噂だからと面白半分、冗談半分と言い訳を付けるための愚かな予防線を張っている。 

 ここで彼らを上手く片付ければ、自ずと作り話を吐く口は減っていく。


「あなた方、常に性的趣向しか頭に無いのですか?」


 思い上がった餓鬼と取り巻きの餓鬼。クォギアは煽るように、ただ淡々と言葉を並べる。


「だから〈男は股間に支配されている〉なんて偏った陰口言われるんですよ。まともに働く男性にとっていい迷惑です」


 若い男二人は目を丸くするが、次第に怒りを滲ませていく。


「ちゃんと、頭で考えていますか?」

「この野郎!!」


 一対一の時点で、勝敗は決まっている。

 取り巻きの1人が拳を振り上げ、クォギアに襲い掛かるが、即座に彼は組み手で捻じ伏せる。あまりにも速く、まるで手本の様に綺麗に地面に打ち付けられた若者は、状況が理解できずにいた。


「裁縫師の仕事は体力勝負。なにより、城勤めだったので、身を守る術は身に着けているんですよ。甘く見ないでいただきたい」


 裁縫だけでなく、魔法や体術まで叩き込んできた工房長の姿を思い出す。争いとは無縁で穏やかそうな風貌でいながら、針仕事には似つかわしくない強者。

 だが、そこまで弟子を鍛えあげる理由は、針仕事ゆえだ。裁縫師は、服を着る相手の身体を知っている。傷や病気、人によっては欠損した手足。快適に、時に弱さを覆い隠す服を作る。相手の弱みや急所を知るとなれば、情報を欲する悪しき者が近づいて来る。

 神は、元々は人だ。首を落とされれば死ぬ。

 隣国の様に殺し合いが発生する可能性は、どこにでも転がっている。人で在れ、神で在れ、相手に情報を渡してはならない。神に仕える職人は、それ相応に身を守り、戦える力を持っていなければならない。


「調子に乗りやがって!」


 もう1人が殴りかかろうとするが、クォギアは雷の魔法による轟音を発生させ、威嚇をする。余りの大きな音に、若者は思わず足を止めた。

 大衆の目線が、より集まり始める。


「馬鹿の一つ覚えで、配慮皆無で、全てに蔑視する自己中心的な頭の固いクズのせいで、こっちはどれ程苦労させられていると思っているんですか」


 クォギアは呆れた様子で、演技のようなため息をつく。 

 性的趣向への興味はクォギア自身にもある。相手に触れたい等の性的欲求も持ち合わせている。しかし、それは仕事や常日頃からは表に出さず、私生活のごく限られた場面にのみ抑えなければならない。

 工房長から強く言われ続けただけではない。クォギアも少年から青年、そして男性へ成長するにつれ、女性の目が警戒の色に変わっていくのを目の辺りにした。それは、仕事として対面している時ですら、だ。

 寸法を測り、服一着一着を仕立てる度に実感をする。

 性。心と身体。相手の最も大事であり、重要な領域だ。

 たとえ言葉であっても、それは鋭利な刃物となり相手を傷付けてしまう。

 自分の欲求のみを押し付け、感情を制御せず、偏り膨張した妄想の色眼鏡を着けたまま相手に触れる。

 それは人の尊厳を奪う暴力であり、犯罪だ。


「な、何が言いたいんだ」


 中心人物が言葉を発する。取り巻きよりも頭が良いからか、額に汗を滲ませている。


「自分の犯した過ちが理解できませんか? それとも、とぼけていらっしゃる? それでは、話題を変えましょう」


 中心人物の左足が、ほんのわずかに後ろへと引いた。


「知っていますか? 国の辺境。国境沿い。神々の加護をほとんど受けられない大地を」


 クォギアは微笑みを浮かべるが、その目は感情を映さない程に冷ややかだ。


「浄化の力は届かず、不浄と淀みにより水は白く濁り、一口でも飲めば喉は焼けた様に激痛が走る。土は乾ききり、何時間を歩いてやっと一本の草が見つかる程度。しかし、魔獣は闊歩し、強風と落雷は毎日のように続く」


 やや膨張しながらも、最悪の場合はそうなってしまう胸糞悪い事実。

 丹精込めて作った作物は濁流に流され、建物は暴風でなぎ倒される。

 今を生きる事に必死で、未来なんて見る暇がない。

 必死に、必死に、必死に生きては、諦める日々。

 それでも、地に縛られた人々は生に縋りつき、燃え尽きそうな灯を守りながら、神に手を合わせ祈る。

 神々は役割があるからと、見て見ぬ振りをする。


 ただ一人を除いては。


「……これ以上のディルギス様への侮辱は、法の神へ報告せねばなりません」


 クォギアはあくまでも優しく、優しく微笑んでいる。


「現実は見えましたか? さて、あなた方の明日はどこでしょうか?」


 3人の顔は一気に血の気が引き、口を何度も開けては閉じる。中心人物が後ずさりしたかと思えば、即座に走り出す。慌てて取り巻きの2人も逃げ出した。

 店主たちによって北区の外堀が埋められ始め、噂好きの若者達が何を言おうと事実無根であると突き付けられ黙る事になる。

 観衆の一部は目が泳ぎ、中には怯えている者がいる。

 脅しは、成功したようだ。



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