第2話

 2日後、国神からの許可が下り、クォギアはディルギスの専属裁縫師になった。

 同じ工房で働く裁縫師達は、ディルギスの専属になるのに驚き、ある人は考え直すように言ったが、クォギアは聞く耳を持たなかった。

 そして更に5日後、彼は城下の都にある賃貸アパートを解約し、ディルギスの神殿へ向かう為に、中央広場の一角に設けられた駅馬車の中継所へ向かった。

 裁縫道具一式、服のデザインを描き記したスケッチブック、筆記用具、散髪用のハサミと櫛、自分の服を数着と財布などの貴重品。全て納めたトランクケースを手に持ち、工房長から化粧箱に入った祝いの品を小脇に抱えるクォギアは、ディルギスの神殿のある北区行きの駅馬車へ乗る為に切符を買う為に受付へ向かおうとする。


「クォギアさん。こっちです」


 女性が彼を呼び止めた。

 大きな三つ編みの深緑の髪をした眼鏡の女性。襟元には月を模した金のブローチが付けられ、法の神の配下であるのが見て取れる。

 書類が入っていると思しき複数の封筒を抱える彼女の後ろには、栗毛の天馬の引く六頭立ての馬車が待機している。


「どちらさまですか?」

「私は法の神の一柱であるビルジュ様の配下、経理財務部所属のメリンと申します」


 契約書は工房で事前に書き、渡していたはず。クォギアが不思議に思っていると、御者が天馬馬車の扉を開ける。


「神殿まで送りますので、どうぞこちらへ」

「ありがとうございます」


 クォギアとメリンは天馬馬車へと乗り込む。栗毛の天馬6匹は御者の合図とともに、翼を羽ばたかせ、馬車を引きながら空へと飛び立つ。

 あっと言う間に馬車は、建物を眼下に一望できる高さまで登り、クォギアは物珍しそうに窓から下を眺める。

 落下対策の魔法や特殊素材で作られた馬車、天馬の飼育、彼等の扱いに長けるだけでなく高度に慣れた御者の育成には、高い金が必要だ。大衆にとっては、移動であれば馬車で事足りる。天馬馬車は、神や貴族、豪商などの限られた人しか利用しない為、富の象徴とも言えるものだ。


「ところで、その封筒の山は何ですか?」


 外を眺めるのに満足したクォギアは、メリンに問う。


「こちらは必要な書類とカタログです」

「え? カタログ?」

「どうぞ」


 受け取った封筒を開けてみると、薄い冊子が出て来た。その表紙を見て、彼は眉を顰める。


「用意した封筒には、雇用契約書の控え、神殿の見取り図、それと今後人を雇い入れる際にかかる目安となる金額表、繊維や装飾等の会社や工房の名簿、道具や家具類カタログに、えーとそれから……」

「……裁縫師には不必要では?」


 耳にしたことがある高級家具店のカタログを手に、クォギアは困惑する。

 契約書と見取り図、服飾関連の工房の名簿以外は、裁縫師の仕事中にはいらないものばかりだ。


「ディルギス様に仕えると決めた人は、現段階でクォギアさんだけです。なので、神殿の管理もおのずと貴方が担う事になります」

「無茶苦茶な……」


 横領の事件もあり、経理担当の使用人がいると思っていたが、まさか誰もディルギスの元へ行かないなんて予想外だ。クォギアはため息をつきながらも、ディルギスの現状が心配になって来た。


「こちらがディルギス様の資産です」


 メリンは上着の内ポケットから、折り畳まれた紙を取り出す。


「え? それ開示して良いモノですか?」

「服を作る際の参考に。デザインによっては宝石の装飾品も必要でしょうから。これは単なるメモと思って、目を通すだけにしてください」

「は、はぁ……」


 式典の衣装のように、頭の上からつま先まで全ての服飾を考える場合もある。神に在位する者達は金額なんて気にしないが、管理者として神殿の生活を支えるとなれば話は変わってくる。

 横領の件もあり、支払いについてはメリン含め法の神の配下達が目を光らせている。あえてここで開示し、反応を見るためだろう。

 とりあえず見るだけ、と紙を受け取り、開示してクォギアは絶句した。

 1、10、100、1000、10,000…………現実味が持てない程に、ゼロの数が多い。桁違いの金額に現実味が無く、命の危険すら感じてしまう。


「浄化は国に溜まる不浄を払うものです。報酬が多くて当然です。ですがディルギス様の場合は全く使わないので、貯まる一方です」


 神に在位した人は、老いや飢えから解放される。だが、人としての心は捨てることは出来ない。ある神は酒を好み、またある神は音楽を好み、またある神は宝石を、と一般人では考えられない金額を消費し、彼らのお陰で成り立つ商売が存在する。


「ディルギス様は、お役目以外には興味が無い方です。神殿がどうなろうと、人間関係がどうなっても気にしないので……前任の裁縫師が好き勝手やっていたのもそのせいだとされています」

「そうでしたか」


 メモをメリンに返し、クォギアは納得する振りをする。

 神殿の主であるディルギスが無関心であろうと、管理するのが使用人の務めである。花々が咲き誇る庭園。時が経ち風化しようとも手入れが行き届き、威厳を保つ建築物。お役目の時に姿を現す以外は、神殿が神の顔とも言える。それを疎かにしたとなれば、ディルギスがどのような扱いを受けていたのか示唆できる。


「あなたの給料は城の工房同様に、国から支払われます。神殿管理と服飾の材料費に関しては、ディルギス様の口座から引き落とされます。その申請の手続きに関する案内も封筒の中に入っていますので、のちほど確認をしてください」

「わかりました」


 他の封筒を開け、ざっと中身を確認するクォギアをメリンは見つめる。


「クォギアさん。なぜ、ディルギス様の専属裁縫師になると決めたのですか?」

「なると決めたからなった。それだけです」


 メリンと目線を合わせず、工房の名簿と書かれた封筒を開ける。


「ですが浄化の神は」

「不浄が常に付きまとう」


 彼女の言葉を遮り、クォギアはやや大きな声で言った。


「そんなの馬鹿げた噂は、最初から知っていますよ。浄化の神は4人いらっしゃる。なのに、なぜディルギス様だけ不遇を受けているのか。そちらの方が、私は知りたいですね」


 冷ややかに笑みを浮かべながら彼は、メリンを見る。

 横領は5年間続いていた。裁縫師しか神殿にいなかったとしても、奇妙な金の動きは法の神々やその配下の目に留まっていたはず。なのに、ずっと動かなかった。

 横領が発覚したきかっけは、不浄を取り除いて貰った礼を伝えにディルギスの神殿へ参拝しに来た小さな子供。その子が、神殿の荒んだ有様に驚き、両親に報告し、噂となって街に広がり始めた。そこから、とんとん拍子に事が運び、専属裁縫師の逮捕に至る。

 あまりに奇妙で、滑稽な事件だ。


「そ、それは……」

「私の事は気にせず。世間知らずの裁縫師が、出世したいと後先考えずに決めたとでも思ってください」


 クォギアは完全にメリンを視界から外し、書類を読むのに没頭する。

 

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