第7.5話(追加の話)
細い針が薄い皮膚に刺さり、紅玉のように綺麗な赤い玉が生み出される。
ハンカチを使い、丁寧にふき取り、切られた黒髪と共に焼却炉にくべられ、煙となって空へと消えていった。
「ディルギス様。どちらに?」
着替えを終えたディルギスは、どこかへと歩き出した。
「浄化の間だ。あの場へ行かなくとも浄化を行えるが、災害に備えて機能しているか、確認をしに行く」
「わかりました」
それを聞くと、クォギアも彼の後ろについて行く。
「来るのか?」
「護衛代わりに。私がここに来たのを見て、おかしな奴が侵入して来るかもしれません」
「見ての通り金目のものは無いんだ」
「貴方がいるでしょうに」
「何を言い出すかと思えば……まぁ、良い。ついて来なさい」
ディルギスは呆れ、そのまま一緒に行くことを許した。
海と距離があるこの国に降りかかる自然災害は、主に豪雨、大地震だ。豪雨の場合は国の天上に傘をつけるように、大地震の場合は地表から浮かせるように、神の権能によって守られ、最小限に被害は抑えられる。ディルギスの言う災害は、魔獣の大繁殖と暴走だ。戦の神や兵士達が戦うとはいえ、魔獣は大小様々であり、知能がある。水路や狭い路地、どこからか国へ侵入してしまう場合があり、取りこぼしが発生する。対策はされているが、家や店、公共施設には、結界と防御魔法が施された部屋を必ず作る様に義務付けられている。
しかし、ここは神殿だ。不浄と淀みに感化されやすい魔獣達が、清浄な地に率先して来るとは思えず、クォギアは疑問に思う。
「着いたぞ」
装飾の無い質素な白い扉の目の前に、ディルギスは立つ。
「……厳重ですね」
目の前の扉だけで100を超える封印魔法が掛けられている。
「浄化の神は常に不浄が付きまとう、なんて噂を耳にした事はあるか?」
「ありますよ。しかし、浄化の神の務めを悪く言うなんて、気が知れませんね。ディルギス様や浄化の神々のおかげで、俺達の生活が成り立つのですから」
「そうだな」
ディルギスはクォギアの言葉に、僅かに笑みを溢すと扉を開けた。
中は何も置かれておらず、一見ただ白い空間が広がっている様に見える。しかし、魔法を少しでも学んだ者から見れば、冷や汗が出てしまう程の異常な景色が広がっている。一つをとっても何か月、何年も掛けて書き込まれた複雑怪奇で異常に緻密な魔方陣が1000以上も連なり、常に発動状態が継続されている。
その魔方陣は、吸収と封印の二種類に大きく分かれ、これが何のためにあるのかクォギアには即座に分かった。
「これ以上、中には入るなよ。私が居るとはいえ、おまえの体に影響がでないとは限らない」
「はい。気を付けます」
クォギアは扉の前を動く事は無い。
好奇心や興味本位で足を踏み入れられる程、クォギアは馬鹿でも恐れ知らずでもない。
いや、生物であれば、ここから即座に逃げ出したいと思えるほどの、脅威が部屋には蔓延っている。
「うん。大丈夫そうだな」
ディルギスは部屋をぐるりと周り、確認をする。
「常に発動していれば綻びが出そうですが、恐ろしく正常ですね。こちらは、どなたが作られたのですか?」
「神殿が作られた際に、国神が施した」
「そうですか……凄まじいですね」
もはや感心しか出来なくなり、クォギアは扉に背を預ける。
「部屋を出ても良いんだぞ?」
「いえ。一度見てみたかったので、ここに居ます」
ここで何が行われるのか察しがついたクォギアは、そう言った。
「わかった。では、はじめるか」
ディルギスが言葉を発した瞬間、部屋は黒く染め上げられる。黒に中には多くの色が混じり合い、何かが動き回っている。音は全くしない筈が、鼓膜が震えているかのようにうるさく感じる。
怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみ、恨み、嫉み……負の感情と呼ばれるものが魔力を侵食し、不浄となる。そして、恵みを与える代償として生じる老廃物である淀み。
北区に溜まる消え去るべきモノが、この場所に集まっている。
高濃度ともなれば、人が触れれば忽ち精神は汚染され、心と体が崩壊する。魔獣であれば常に枯渇状態となり、生物の血を得る事で一時的な渇きを癒え、結果無差別の殺戮が行われる。
なぜ不浄と淀みが産まれたのか誰も知らない。一説には、完璧な生物になる為に星神より与えられた試練だとされる。
「クォギア。意識を保てよ」
「大丈夫です」
そう言いながらもクォギアは、冷や汗をかいていた。
話には聞いていたが、実際に見て感じるのとでは訳が違う。肌が粟立ち、体中を虫が這い回る様な、肉食獣に背中を舐められている様な、命の危機と不快感が重なり合い、頭は警鐘を鳴らしながら、現実逃避を試みている。それでも、クォギアは真っすぐにディルギスを見続ける。
黒い存在はディルギスの元へと渦を巻き、集まり、縮小し、小さな球体へと形を変えた。
「うん。いつも通りの大きさだ」
ディルギスは平然とそう言うと、黒い球体を右手で包み、握りつぶした。
その瞬間、右手からは光が溢れる。
開かれたその手には、もう何も残ってはおらず、今まで空間に満ちていた存在は消え去っていた。
「お疲れ様です」
クォギアは息を大きく吐き、安堵する。
簡単に見えるが、人間の身では到底扱えない。あの塊に人間が触れた瞬間、何が起こるのか予測がつかない。瞬時に身体が液状化し、死するならマシだろう。魂が現世に縛り付けられ、常に崩壊し続ける体のまま死ぬ事もできず、五感を失ったまま彷徨い続けるなんて事態もありえそうだ。
他の分野を担う神であっても、何か影響が出かねない。浄化の神でなければ成せない御業だ。
「ディルギス様。質問してもよろしいですか?」
「良いぞ」
「先ほどの球体ですが……隣国のものは、どうなさったのですか?」
一連の流れから、クォギアは嫌な予感がした。
「体に内包する為、食した」
「……」
当然とばかりに言われてしまい、返す言葉が無くなる。
不浄と淀みを集めるために作られた浄化の間。そして、一連の流れから、ディルギスが嘘を付いていないのは明らかだ。先程の浄化する〈いつも通りの大きさ〉ですらクォギアは致命的だと感じた。隣国カイリオンがどれ程不浄と淀みに塗れていたのか、そしてディルギスの体がどれ程蝕まれていたのか想像を絶する。
「少しずつ浄化し、これでも減った方だ」
袖をまくり、自身の腕を見ながらディルギスは言う。
「無理だけはしないでくださいね」
「していないから、心配するな」
「そう言われましても……」
心配なものは心配、と言いたそうなクォギアに、ディルギスは小さくため息をつく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます