第31話

 ディルギスの言う通り、子供の頃の親愛から始まった。

 傍に仕えられて嬉しい。服を作らせていただけて嬉しい。純粋にただそれだけで、役に立ちたいとクォギアは買い出しを兼ねた北区の調査や、服の材料の調達の為に動き回った。

 集会の為の服を作る三ヵ月間は忙しく、当時は完成の為だけに心血を注いでいた。

 その日々は工房から神殿へとクォギアが通う様に、ディルギスもまた彼の様子を必ず見に来ていた。ディルギスは制作状況の確認や彼が無理しないように、休憩をさせる為であった。毎日、毎日繰り返し、其れが当然となっていた。

 そして、アスティアの気まぐれによって、依頼されたドレスしか作れないよう愛の権能の影響を受けていた10日間。クォギアは殆どの時間を工房で過ごし、ドレスの事しか頭にない状態だった。

 けれど、その支配は無意識の領域へ至れなかった。

 クォギアは2日目にして、これまでの日々をなぞる様に、目線が、足が、手が、神殿へと向き、ディルギスに挨拶をするようになった。最初の内は理解できず、直ぐにドレスの制作へと意識を向け、使用人に誰も工房へ入れないよう頼んだ。日が経つにつれて疑問に思うようになり、ふとドレスから目線を外すとソファを見るようになっていた。

 そこは、今、ディルギスが座っているソファだ。

 あの3ヵ月間。必ずその席に座って〈お茶をしよう〉と誘い、クォギアがそれに応えて、対席に座る。

 記憶喪失の人間がふとした出来事をきっかけに思い出すように、クォギアは6日目にしてアスティアの権能から脱却した。

 同時に、ディルギスと共に過ごす時間が掛け替えのないものだと、クォギアは自覚した。

 あの人の傍に居たい。もっと話がしたい。笑った顔が見たい。触れてみたい。

 一度気付いてしまえば、流されるまま。せき止めようとしても流れは勢いを増すばかりで、欲望が渦となり、心をも飲み込もうとする。

 違うと思えば思う度に、感情は鮮明になり、制御が効かない恐ろしさから、よりディルギスから距離を置いてしまった。


「……そうか。大変だったな」

「はい……」


 顔を赤らめながらも一生懸命に話す彼を見て、ディルギスの中から拒絶の言葉は浮かんでは来なかった。

 集会を終えてからの2日間のディルギスは、聖騎士達の雇用の手続きや動きの確認もあったが、一山過ぎ彼も休んでいるだろうと工房へ向かわず、神殿で過ごしていた。4日、5日目辺りから違和感を覚え、痺れを切らした10日にこうして行動を起こしたが、この様な事態になるなんて、ディルギスは全く予想をしていなかった。


「今の体調はどうなんだ?」

「え?」


 思わぬ問いかけに、クォギアは驚いた。


「昔、言っていただろう。悲し過ぎたり、感情が大きくなる程に、体が思うように動かなくなると」

「あっ……今のところは平気です」


 クォギアは自分の胸に手を当てる。

 小屋から出て、ディルギスと共に旅をした日々の中で、何度か起きた症状だ。

最初は、皆を失った悲しさから。次は、旅の中久方ぶりに1人で夜を過ごす寂しさから。次は、難民の男が鬱憤晴らしにディルギスを殴った怒りから。

 感情の激しい起伏に体が追い付かず、胸の奥で何かが割れたような違和と共に襲い掛かる体の不調。身体が思うように動かず、金縛りの様な症状が出る。年と経験を重ねるうちに落ち着き、クォギア自身も意識しなければ忘れる程に何年も症状は出てはいない。


「それならば、良かった」


 ディルギスの口元が僅かに緩んだ。それを見たクォギアの心は春の小川の様に、確かに思いを抱きながらも穏やかだ。


「覚えていてくださったのですね」

「宿に戻ったら、おまえが床に倒れていたんだ。印象に残る」

「あの時は、また帰って来ないのではと思って、探しに行こうとしたんです」

「一人にしてすまなかった」


 被害が少なかった町を訪れたある日。危険な場所にいるから、とクォギアは宿で留守番をする事となった。夜になっても帰って来ないディルギスが、皆のように帰って来ないのではと心配と寂しさで気が気ではなくなり、ベッドから出ようとした。しかし思うように動けず、クォギアは床に落ちてしまった。怪我自体は額を軽く打った程度だが、傍から見れば一大事だ。役目を終えて帰って来たディルギスは、大いに驚いた。

 余りの悲しい現実を告げられ、その衝撃から動けなくなった。小屋での出来事でそう理解していたクォギアは再度症状が出た事に大いに驚き、ディルギスが慌ててやって来ると、安堵から泣き散らかした。

 誰にも非が無いが、クォギアにとってはどこか恥ずかしさを感じてしまう思い出だ。


「気にしないでください。俺自身あんな事になるなんて、予想もつかなかったんです」


 謝罪するディルギスに慌ててクォギアは言った。

 話を変えなければ、と話題を探そうとしていた時、扉をノックする音が聞こえた。


「クォギアさん。お客様がいらっしゃいました」

「客人の名前は? 教えないようでしたら、容姿や性別を聞かせてください」


 来訪予定はないが、北区の住人の可能性もあり、クォギアは訊いた。


「法の神ビルジュ様の配下メリン様と辺境の商人の方です」


 メリンは様子を見に来たと予想できるが、あの辺境から来た商人がこちらに来るなんて考えもしなかった。特徴的な髪の色から、北区の人々に尋ねて歩いたのだろう。そうまでして会いに来た理由がクォギアは気になった。


「ディルギス様、行っても宜しいでしょうか?」

「行って来い。聖騎士と神官には、念のため警戒するよう伝えておく。後ほど、報告をするように」

「はい。ありがとうございます」


 クォギアは一礼すると、足早に工房を後にする。

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