第30話
「子供じみているでしょう!? 俺も、聞いた時は驚きましたよ! 何ですかあの神!!断るつもりが、何故かその提案を飲んでしまって、工房に戻ったら手が勝手に動いて、この様な事態に……」
顔を赤く染め、早口で捲し立てるように言い、項垂れるクォギア。
僅かにクォギアから権能の力の残り香を感じ、ディルギスはため息をつく。
愛の権能の中でも、恋愛に関する力はかなり厄介だ。人間だけでなく神も有効なだけでも腹立たしいが、恋は盲目と言うように夢中になり過ぎるあまり冷静さを失い、己を客観視できなくなってしまう。後先考えない行動によって悲劇を呼び、破滅へ向かう者も少なからずいる。
クォギアの場合は〈庇護欲〉をくすぐられ、一時的にアスティアの虜になってしまったのだろう。そして、ディルギスと対面すると効力が切れる仕組みだった。
なぜ彼女がこんな事を思いつき、行ったのか、ディルヒスは理解に苦しんだ。
「本当に、本当に申し訳ありません!」
「わかった。わかったから……もう十分だ」
この世の終わりの様に謝罪するクォギアが可哀そうになり、ディルギスは宥める。
気を引く。それは、子供が親や大人相手への行動とは違う意味合いを持っている。
〈おまえに気がある男の子だろ?〉
ベルーニャの言葉。そしてつい先程までの自身の中にあった感情の激動。それだけで自分の中でクォギアの存在の大きさが分からない程、ディルギスは疎くはない。だが、それは恋愛と呼べるような代物ではない。
「お茶を飲んで、心を落ち着かせよう」
「はい…………」
使用人を呼び、紅茶と茶菓子を用意してもらい、2人はソファに座り、改めて話をする。
目を泳がせ、顔を赤らめていたクォギアだったが、紅茶を飲み、事の始まりを話していくうちに顔色が落ち着いた。
「大変申し訳ありませんでした」
「おまえは被害者だろう。もう謝罪はいらない」
対席に座るディルギスは、紅茶のカップをソーサーの上に置いた。
「そのドレスは、完成させて納品するんだぞ。抗議したところで、あの女神に通用はしないからな」
「はい。わかっております……」
「あの女神には困ったものだ」
ディルギスはあの日、中央区の戦神を通じでクォギアの周りに聖騎士を配備させていた。ディルギスが神殿に籠っている間に異様な頻度でやって来た配下や、クォギアの報告に上がった噂をまき散らす若者のように、命令を受けて動く者がいる可能性があったからだ。
クォギア自身は配慮しての行動であるが、誘き出す為の餌の役割を担ってもらっていた。
今回は、警戒されているのを見越していたのか、それとも予測不可能なアスティアの登場に動揺したのか、怪しい人物や周囲をうろつく者は発見できなかった。
「……それにしても、以前自分は大人だと豪語しておきながら、生娘のような反応はどうしたんだ? 近い年頃の子と交際した事は無いのか?」
ディルギスは不思議に思う。意識しているにしては、再会時にこちらは全裸だったのに気にしていない様子だった。どの様な尺度で物事を見ているのか、全く分からない。余計にややこしい。
「ありません」
即答されるとは思わず、ディルギスは驚いた。
「一度も?」
火傷の跡があるとはいえ、クォギアは美男であるとディルギスは思う。青空と海の様に美しい髪と瞳。背が高く、立ち振る舞いや物腰柔らかい。裁縫師として確たる実力を持ち合わせ、身嗜みに気を使い、常に清潔感がある。言い寄られても、不思議ではない。
「はい。付き合ってくれと何度も頼まれて、出掛けた事はありますが、交際とは言い難いです」
交際を経て恋愛感情が生まれる。それを期待して相手はお願いしたのだろう。しかし、クォギアの中では、頼み事を引き受けた程度に線引きが成され、踏み込んだ関係には至らなかった。
「中には良い人もいただろうに」
「あなたの服を作ると約束したではありませんか。他の事に目移りしている暇はありません」
そうだった、とディルギスは頭を抱えそうになった。
小さい頃から、何か目標を達成するまでは、周りが見えなくなる程に集中力を持っている。そのお陰で、高度な刺繍や服をより早く製作できる。だが鈍感と言うべきか、時に自分の健康状態すら気にしなくなってしまうので、短所でもある。
服の制作技術を上げる事に全力で取り組み、交際は二の次になり、結果別れた。
容易に想像が出来てしまい、ディルギスは相手が哀れに思えた。
「約束は果たされたんだ。継続して服は作ってもらうが、それ以外は自由だ」
「自由、ですか」
青い瞳が揺れ動きながらも、真っ直ぐにディルギスを見ている。
世の汚い部分を見てきたはずが、その眼差しは出会ったころと変わらず、清らかさを保っている。そんな目で見られる程の価値は自分自身には無いと、ディルキスは思っている。
浄化の神だから清らかとは限らない。いや、その役割を担うからこそ、最も汚れた場所にいる。
「子供の頃の親愛を、恋愛感情と誤認するな」
ディルギスは普段よりも低い声で、クォギアに警告する。
浄化の旅路で出会い、そして共に過ごした日々は過酷であったが代え難いものだった。あの時、クォギアにとってディルギスは唯一の存在に等しかった。しかし、今は違う。多くの人々が行き交うこの国に暮らしている。幼いころの記憶に縛られていてはいけない。
「誤認なんかではありません」
それに対してクォギアは言い切った。
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