第23話
「海石榴ちゃんもすごいですが、それを覚えている香雪だってすごいです。香雪も香草が好きなんですね」
「香草が好きというよりは、香草が好きな海石榴と鬼の世界に香草を広めようとしている鈴、そして香草について勉強したいと思っている桃が好きだから、俺も好きなようなものだけどな。俺がしていることって、お前たちの手伝いみたいなものだよ。茶館の経営もその一つだ。海石榴の夢だったからな」
「海石榴ちゃんの……?」
「おそらく海石榴はこの国で誰よりも早く香草が持つ効能に目をつけていた。幼少の海石榴にとって、香草は自分を生かす薬みたいなものだったからな。人工の薬が身体に合わない海石榴のために、親父が西洋から見つけてきた自然の薬だ」
「海石榴ちゃんって持病を抱えていたんですか? 今は全然そう見えませんが……」
「子供の頃はな。生まれた時から身体が弱くて長く生きられないって言われてた。そんな海石榴のために、親父は色んな薬を取り寄せては試した。当時はまだ高級品だった香草もな。それを薬として服用していた海石榴も次第に興味を持つようになって、やがて自分で育てるようになった。鈴からもらった温室の鍵があるだろう。あの温室も元々は香草を育てていた海石榴のために、俺と鈴が作ったんだ」
鈴振から貰った温室の鍵はこの家の鍵と共に部屋に保管している。茶館だけではなく温室まで三つ子にとって大切な思い出の場所だと知らなかった。
「海石榴は自分を救ってくれた香草をもっと多くの人に知ってもらって、誰でも安価な値段で手に入れられる世の中になって欲しいって願っていた。そうしたら救える命がもっと増えるはずだからって。そういつも自分の夢を話していたよ。結局その夢は叶わなかったけどさ。それなら俺が代わりに叶えてやろうって。封印が解けて暇を持て余していたし、何かしていないと見合い話や頭目の話ばっかりくるし、多忙な鈴の代わりに温室の管理をする奴も必要だったしで、俺が一番適任だからな。時間も潰せて、生活費も稼げて、海石榴の夢も叶えられて、この上なく最高だろう。美味い香草茶を淹れる可愛い嫁も来てくれてさ。果報者だよ」
「茶館の名前が『香草茶館・椿』っていうのも、もしかして……」
「そう。海石榴の名前から名付けたんだよ。『香草茶館・椿』。あいつが生きていた証が、この茶館だ」
桃花が出会った時には既に海石榴は妖刀の一部となっていた。だから妖刀になる前の海石榴のことを聞いても、どこか空を掴むようで現実味が無かった。それが香雪の話を聞いて、本当に海石榴はこの世界に生きていた一人だったのだと気付かされる。海石榴と海石榴を愛する二人の兄の幸せを奪ってしまったのは、間違いなく桃花の先祖に当たる狩谷家の者たちだと。
「ごめんなさい。海石榴ちゃんの夢を奪ってしまって……」
「何でお前が謝るんだよ。それより明日の骨董市の準備の続きをするから、手伝ってくれよ」
香雪は立ち上がると、窓辺から豆腐箱に似た木製の箱を持ってくる。中には香草らしき草花が固まった乳白色の石鹸がぎっしりと入っていたのだった。
「元から店に置いていた石鹸だけだと足りないからさ。追加でこれも出そうと思って」
「何の香草を使っているんですか?」
「薄荷と
戸棚を振り返れば「薫衣草」と書かれた硝子瓶が置かれていたので、試しに蓋を開けて香りを嗅いでみる。清々しい香りから紫や青の花畑の情景まで想像が膨らんで、うっとりと夢見心地になる。
「気に入ったか?」
「こんなに心癒される香りに包まれて湯浴みを出来るのなら、湯浴みの時間が楽しくなりそうです」
「そいつは良かった。切り分けるから油紙に包んでくれるか。手荒れするから布手袋を忘れずにな」
用意してもらった布手袋を嵌めると、香草が包丁で切り分ける石鹸を受け取る。石鹸の大きさに合わせて油紙を裁断して包むのは大変だったが、慣れてしまえば簡単だった。あっという間に包み終わると、最後に切り残った石鹸の両端が残る。
「それも包みますか?」
「う~ん。箱から出す時に断面が削れて見栄えも良くないし、大きさも半端だから、これは売れないな。捨てるのも勿体ないし、茶館に来た客におまけとして渡すか……」
「良かったら、その石鹸をいただいてもいいですか?」
「えっ。欲しいなら、売り物用の綺麗に切った方をやるよ」
「それは売り物ですから……。私も使ってみたいので、捨ててしまうのなら欲しいです。石鹼らしい石鹸をあまり使ったことが無いので、明日から湯浴みの時に使ってみたいです」
狩谷家で暮らしていた頃、女中同然の桃花には石鹸と言いつつも、いつも使用後の質感や品質がいまひとつな偽物ものしか回ってこなかった。
数年前に庶民でも買えるような質の良い石鹸が発売されたが、まだ石鹼が高級品と呼ばれていた頃には石鹸を名乗った偽物が多く流行していたそうで、当時狩谷家で働いていた書生も本物と間違えて偽物をつかまされたことがあったらしい。
桃花に渡されていたのはその時に買って余っていた偽物ではないかと、当時から屋敷で働いている女中に教えられたのだった。
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