第15話
「んっ……」
そっと目を開けた時、最初に映ったのは年季の入った木の天井だった。優しい木香に包まれながらぼんやりと天井の木目を見つめていた桃花だったが、次第に頭がはっきりしてくる。
(夢を見ていたの……?)
夢を見たということは熟睡していたということ。明日も生きていられるか、五体満足な状態で一日を終えられるのかと、これまで怯える日々を過ごしていた桃花にとって、高級品と思しきふかふかの布団で満足がいくまで眠れたのは久方ぶりのことだった。
「海石榴ちゃん……」
枕元の妖刀を胸に抱きながらそっと呼びかければ、傍らに海石榴が姿を現す。にこりと笑う海石榴の姿を見ただけで、胸の奥から熱いものが込み上げてきそうになる。
幼い桃花の心の拠り所だった海石榴。家族や女中長からどんなに酷い目にあっても、海石榴と会えばそんな悲しみは吹き飛んだ。海石榴だけは桃花を否定しなかったから。
義母からは「不義の子」、女中長からは「グズ」と呼ばれ続けてきた桃花を「一人の人間」として扱ってくれたのは、「友人のしきちゃん」こと海石榴だけだった。ある時から呼んでも現れなくなった大切な友人にまた会えたことがこんなにも嬉しいなんて……。
溢れそうになる想いを堪えていると、海石榴の半透明な白い指先が頬に触れる。きっと桃花を心配してくれているのだろう。
「私……どれくらい寝てた?」
海石榴は上を向いて考えると、指を五本立てる。美男美女の見た目もそうだが、考える時の仕草まで香雪と同じだったので、本当に二人は兄妹なのだと実感させられる。
「あれから五刻も寝てたんだ」
香雪たちと朧車に乗って狩谷家の屋敷を出て、香雪の膝枕で眠りについたところまでは覚えている。いつの間にか目的地に着いて、香雪が部屋に寝かせてくれたのだろう。狩谷家で与えられた桃花の部屋の何倍も広く、それでいて客間のように必要最低限の物しか置かれていない殺風景な部屋を眺める。
「ここは香雪の家なんだよね?」
自信が無いのか、はにかみながら小さく頷く海石榴と、記憶の中の「しきちゃん」の姿が重なる。子供の時と今の海石榴が寸分違っていないからか、まだ全てに絶望する前の幼い自分まで思い出して、愛おしさと懐かしさで身体中が温かくなる。
歳を重ねた分だけ、桃花は絶望で打ちひしがれた。家族による先の見えない虐めと味方がいない孤独に怯え、やがて感情は薄れていった。いつか家族に愛してもらえるかもしれないという希望は、果てしない虐めと罵倒の数だけ失望へと塗り変わり、擦り切れて摩耗した心は重く堆積した土埃に覆われ、二度と払われないかと思った。
それを海石榴が、そして香雪が取り除いてくれた。今はほんのわずかしか陽の光が届いていなくても、いつか完全に桃花の心から土埃が無くなる日は訪れるかもしれない。香雪が桃花を「花妻」として、存在を求めてくれたあの時から、そんな淡い期待を抱けるようになった。早く元気になって、香雪の力になりたいとやる気に満ちる。
「香雪はどこにいるの?」
布団から出て身支度を整えながら海石榴に尋ねるが、分からないというように困り顔で首を傾げられてしまう。香雪も疲れたと言っていたので、どこかで休んでいるかもしれない。寝て疲労が回復したのなら、次は空腹を訴えるだろう。
何もしなくていいと言われたものの、これまでの習慣なのか身体を動かさないと落ち着かない。
「炊事場に行ってみたいの。海石榴ちゃんも一緒に来てくれる?」
恐る恐る頼めば、海石榴はぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべる。妖刀を腰に帯びると、先を行きたがる海石榴の後について行くように部屋を後にしたのだった。
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