第16話

 一階に降りた桃花たちが炊事場を探してあちこちの部屋の引き戸を開けていると、やがて大きく開けた部屋を見つける。大切に使われてきたと思しき古びた木製の机と椅子、埃一つ落ちていない畳敷きの座敷席が数席用意されており、大きな硝子戸からは澄晴の空が見え、柔らかな白日の光が射し込んでいた。引き戸を開けて外に出ると、庭にも木で作られた丸机と背もたれのついた椅子が置かれていたのだった。


「これって……」


 いつか新聞で読んだ茶館を思い出す。客がいないことを除けば、机と椅子が並ぶ様子や庭に設置された丸机と椅子が並ぶ様子は茶館とほぼ同じであった。記憶の中の茶館との違いは建物が異国を想起させるような洋風な造りではなく、悠久の時を経たような古色を帯びた木造の民家といったところだろうか。

 築年数が何十年、もしかすると何百年に及ぶかもしれない古びた建物ではあったものの、家主が手入れを怠っていないからか古臭さは一切感じられなかった。何度も手入れをしたと思しき萱葺きの屋根や風雨に曝されたことで色が変わった木の外壁さえも、全て古式ゆかしい和の趣を味わえる雰囲気を醸しだしていたのだった。

 季節の花々が咲き乱れるよく整えられた長閑な庭を眺めながら、敷石を伝って門まで出ると門前に真新しい看板が出ていることに気付く。何が書かれているのか確認しようと門から出たところで、「もし」と声を掛けられたのだった。


「貴女はここの従業員ですか?」


 心臓が飛び上がりそうになりながら振り返ると、そこには香雪と同年代ぐらいの若い男が桃花を訝しむように銀縁の眼鏡の奥から睨み付けていた。

 皺一つない仕立ての良さそうな黒い着流しと煎茶色と白色の七宝柄の羽織を身に纏った男であったが、それよりも頭から生やした二本の黒い角に目を奪われる。鬼の男は艶のある長い濡羽色の髪を首元で一つにまとめて眼鏡をかけていたものの、顔形や背丈は非常に香雪と似通っており、そして香雪の妹の海石榴とも似ていると思ったのだった。


「従業員? いえ……」

「では、客ということですか? この茶館に来た」

「茶館?」


 男の言葉に看板を見れば、黒々とした細い筆跡でこの場所の正体が書かれていた。

 ――ようこそ、「香草茶館・椿」へ、と。


「香草茶館……?」

「その様子では客でも無いようですね。茶館の従業員でも客でも無い。そんな人間がここで何をしているのですか?」

 

 詰問されるような厳しく低い声音に縮み上がる。目を伏せて身体を小刻みに震わせる桃花に男は不機嫌そうに眼鏡を押し上げるが、その弾みで首から下げた銀のネックレスが大きく揺れる。文字が刻印されたいくつもの銀の輪が重なり合ったネックレスの内側には瑠璃色の丸い宝石が嵌まっていた。

 背筋をまっすぐに伸ばした几帳面そうな男にはやや不釣り合いな意匠のネックレスは、男との違和感を主張するように陽光を反射して光輝いたのだった。


「失礼。聞き方を間違えたようですね。貴女はここの家主とどういった関係なのでしょうか?」

「家主というのは、香雪……のことでしょうか?」

「そうです。彼を名前で呼んだということは、何かしらの関係をお持ちと見受けします。彼とはどのような関係でしょうか?」

「……っまです」

「はい?」


 妻というだけなのに、何故か喉の奥で詰まったように言葉が出てこない。屋敷を離れて気持ちが落ち着いたことで頭が冷静になったからか、本当に自分は香雪に娶られたのかと、徐々に不安が這い上ってくる。

 香雪に誘われるままついてきたものの、やはり「不義の子」と呼ばれ続けて虐められてきた桃花に、鬼たちを統制してきた首長の香雪は不釣り合いな気がしてならない。自信に溢れた美丈夫の香雪には、器量や裁量に優れたもっと相応しい伴侶が似合うのではないか。ちょっと睨まれただけで怯んでしまうような不細工な桃花では無く、堂々と胸を張って凛然するような美人が――。

 何も言えないまま、ただ真っ青な顔をして俯いていると、長いような短いような沈黙を破るように男が短息する。そうして桃花に背を向けると、敷地内に歩を運んだのだった。


「あの……」

「無駄な時間を取らせました。茶館の中で待たせていただきます」

 

 長い濡羽色の髪と不似合いなネックレスを揺らしながら、男は不機嫌な様子も隠さずに歩いて行く。桃花も男の後を追いかけるように屋敷に戻ったのだった。

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