第11話

「見た目は怖いが、良い奴なんだ。これから世話になる機会が多いだろう。少しずつ慣れてくれればいい」


 桃花が朧車を怖がっていると思ったのか、香雪が優しく諭すように話しかけてくれる。ぎこちないながらもほんのわずかに笑みを浮かべた桃花が香雪に肩を支えられて朧車に足を向けた時、後ろから「待ってください!」と弟に呼び止められる。


「どうして、それなんですかっ!? 僕の方がそれよりもあやかしを退治しています! 鬼だって何匹もっ……! それなのにどうして僕じゃなくて、そいつが妖刀の真の所有者になれるんですか!? 僕の方がずっとずっと優秀で……」

「まだ気付かないのか。桃の弟。どうして自分が妖刀に選ばれなかったのか、その理由を」

「なんですか?」

「桃や俺たちあやかしを見下す傲慢な態度、自分たちが正しいという決めつけ。生まれが全てを決めると言う、その凝り固まった思考。これからも鬼狩りとして生きていきたいのなら覚えておけ。全てのあやかしが悪で、全ての人間が正義という、その善悪を勝手に決めているのはお前たち鬼狩り一族を始めとする人間だ。まして海石榴を道具や化け物扱いしたお前たちを海石榴が選ぶなど古今未曾有、この先も決してあり得ない!」


 かっと頭に血が昇ったのだろう。顔を朱に染めた弟は懐から小刀を抜くと、桃花に向けて大きく振り下ろす。油断していた桃花は反応が遅れて避けきれず、妖刀を持ったまま後ろにひっくり返りそうになるが、それを庇ってくれたのは香雪だった。二の腕に刺さった小刀を抜くと、真っ青な顔をした弟の足元に赤い血をまき散らしながら投げつける。


「お前たちはどこまでも愚劣だな。救いようがない……」


 傷口を強く手で押さえる香雪に、桃花は自分の襤褸切れ同然のハンカチを取り出して傷口を結ぶと止血を手伝う。

 

「香雪、血が出てる……すぐに手当てをしないと……」

「いい……。それより俺の角を引っ張ってくれないか?」


 言われた通りに香雪の赤錆色の髪から覗く一本の黒い角を両手で掴む。頭から生えているはずの角は少し引っ張っただけであっさりと取れると、桃花の掌に収まる。


「えっ……」


 桃花が戸惑っている間に香雪は角を取り上げると、険しい顔をしたまま放り投げる。香雪の角は畳を転がると、唖然とした父の足にぶつかって止まったのだった。


「鬼を何人も倒したから凄いというのなら、鬼の頭目だった俺から角を奪った桃はもっと凄いことになるな」

「なっ……!? そんなの僕にだって出来ます!!」

「鬼の角、妖狐の尾、そして天狗の翼。それらにはあやかしが持つ妖力が詰まっている。人間が手に入れられれば、どんな疫病や万病も完治し、不老不死にさえなれるとも……。あやかしにとって妖力は命そのものだ。妖力を失ったあやかしは姿形を保てなくなる。それ故に手に入れるのは困難な代物だ。あやかしから剥ぎ取った瞬間に、あやかし共々霞のように消えてしまうからな。だが真の実力を持った陰陽師や鬼狩りは、あやかしの姿形を維持させたまま、妖力だけを切り離せるという。……この家で桃以外に出来る者はいるのか?」


 今度こそ両親も弟妹も黙ってしまう。そんな家族を鼻先で笑った香雪は、今度こそ桃花を促すように肩を抱くと朧車に足を向ける。


「この屋敷には二度と戻らない。必要な物があれば、今の内に取りに行け」

 

 香雪の言葉に首を振ると、最後に一瞬だけ家族人たちを振り向く。怯えるように桃花たちを見つめる四人から視線を外すと、次いでどこか楽し気な様子の海石榴が目に映る。

 そんな海石榴が乗る朧車にひょいと飛び乗った香雪が手を貸してくれたので、桃花は手を取ると朧車に乗り込む。三人で乗るとやや窮屈な朧車の簾を少しだけ捲ると、産まれてから一八年間世話になった屋敷を見上げたのだった。


(母様。私、これからは香雪の――鬼のお嫁さんになるの。鬼の花嫁なんて全く想像がつかないけれど、でもこれからは今よりもっと幸せになるから……)


 ゆっくりと上昇し始めた朧車の中で、寂しさや切なさといった幾つもの感情が八重波となって胸に押し寄せる。桃花は泣くのを堪えるようにぐっと目を瞑って頭の後ろに腕を回すと、髪をまとめる欠けた桃の簪に触れる。

 父や義母、弟妹たちから虐められ、女中長からも手酷い扱いを受けて傷ついて泣いた日もあったが、今朝の年若い女中のようにこっそりと桃花を助けてくれる者もいた。

 母が亡くなって、義母が母の荷物を処分した時も、母と仲が良かった女中がこの桃の簪だけ回収してくれた。女中がここを辞めて屋敷を出て行くことになった際に桃花が譲り受け、その時に言われた。『これがお嬢様のお名前です』と。

 生前母が特に大切にしていたという簪をしばらくは大切に隠し持っていたが、ある時、桃花が屋敷の仕事をしている間に幼い妹が部屋を荒らして勝手に持ち出そうとした。たまたま桃花が気付いて取り返したものの、その際に簪を落として花びらが欠けてしまったのだった。

 それ以来、桃花はこの桃の簪だけは肌身離さず持ち歩くようにしていた。桃花にとって命の次に大切なものは、母との唯一の繋がりであるこの桃の簪くらいだろう。この桃の簪には桃花に対する母の想いが詰まっていると信じたい。

 そんなことを考えていると、後ろから優しく抱きしめられる。顔を上げると、桃花の哀愁を察した香雪が穏やかな表情を浮かべていた。

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