第19話
海石榴に教えてもらいながら人生で初めての香草茶を淹れた桃花は、身体をビクビクさせながら男の元に運ぶ。男は相変わらず外を眺めていたが、桃花が近づくと何かに気付いたように振り向く。
「お待たせいたしました。香草茶をお持ちいたしました……」
運ぶ前に自分が試飲した時は平気だったのに、いざ男の目の前に運ぶと自信が無くなってしまう。桃花の消え入りそうな語尾に男はわずかに眉を寄せたものの何も言ってこなかったので、それを良いことに木製の盆に載せていた神目帚の茶葉が入ったティーポットと呼ばれる白い陶器製の急須と、同じくティーカップと呼ばれている白い陶器製の湯呑みを机に置いたのだった。
「ティーポットの中に香草茶が入っていますので、お好みの量を注いでください。抽出は完了しているのですぐに飲めます」
桃花が話し終わるかどうかという前に男はティーポットの蓋を開けると、訝しむように湯面に浮かぶ翠色の草を見つめる。
「これは何の香草ですか?」
「神目帚を使った香草茶です」
「何故、この香草で茶を淹れたのですか?」
「えっと……なんとなく、貴方に似合う気がしたので……」
本当は海石榴に言われたからだが、それを説明すると話がややこしくなりそうだったので適当な嘘を吐く。すると男はティーポットの蓋を戻して、躊躇いなくティーカップに香草茶を注ぐ。とぽとぽという音と共に注ぎ口から溢れ出る黄金色の液体を眺めていると、清々しい香りが辺りに広がる。
深緑の森に包まれているような爽快感のある香りに心を癒されている間、男は白い湯気が立ち昇るティーカップをじっと見つめていたが、やがて手にすると口をつける。固唾を呑んで見守る桃花だったが、やがてティーカップから口を離した男が安堵の息を漏らしたのだった。
「こんなに心安らぐ美味なる香草茶を飲んだのは遠い昔以来です。人間と思って、完全に侮っていました。この
「よかったぁ……」
緊張が弛んだからかつい安心して声を発してしまう。すぐに桃花は「すみません……」と蚊の鳴くような声で謝罪するが、自らを鈴振と称した男は小さく笑みを浮かべただけであった。
「この香草茶はかつて妹が淹れてくれたものと同じ味なのです。もう遥か古、人間にとってはそれこそ気の遠くなるような往古のこと。二度と口にすることは叶わないだろうと思っていた思い出の味です」
「その妹さんというのは、今は……」
「もういません。人間に連れ去られて、それからはもう……」
「すみません。辛いことを聞いてしまって」
「いいえ。往時を思い出させてくれた貴女には聞く権利があります。この香草茶を飲んでいると、兄や妹と過ごした日々を追想します。まだ兄妹が揃っていた幸せな幼少期を……」
ティーカップに口を付けながら過去に想いを巡らせている鈴振の横顔を見つめていると、桃花の後ろに海石榴が顕現する。追憶に浸る鈴振の邪魔をしないように、桃花は小声で海石榴に話しかけたのだった。
「神目帚のお茶、喜んでもらえたよ。これも海石榴ちゃんが茶葉や淹れ方を教えてくれたおかげだね……」
「海石榴!!」
鈴振の叫び声に桃花は飛び上がると、咄嗟に盆で頭を庇う。これまでの条件反射で目尻に涙を溜めて身を小さくして身体を震わせるが、鈴振の眼中には海石榴しか映っていないようだった。桃花を押し退けると足早に海石榴の元にやって来る。
「どうしてお前がここに……。狩谷家はどうなった? お前を攫ったあの憎き鬼狩り一族は……」
言葉を発せない海石榴は助けを求めるように桃花を見やる。海石榴に釣られて鈴振も視線を向けるが、その瞳には目線だけで相手を射貫きそうな怒りが込められていた。
「娘、お前は狩谷家の者か?」
「わ、私は……」
「答えろっ! 返答次第ではただでは済まさない!!」
後ずさる桃花に怒気を露わにした鈴振が詰め寄る。海石榴が鈴振を止めようと動くが、それより先に間の抜けたような声が割って入ってきたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます