第28話(第一部・終)

(つ、疲れた……)


 最後の客が帰った時には石鹼はほぼ売り切れであった。引き札も配り終えたので、後は香雪が戻るのを待って引き揚げの準備をするだけというところに、周囲の注目を浴びながらも迷いなく近づいてくる者がいたのだった。


「大繫盛だったそうですね。姉者」

「鈴振さん!」


 居住まいを正した桃花に鈴振は「そこまで畏まる必要はありません」と、昨日より幾分か優しい口調で話す。


「残っていたら全て買うつもりで来ましたが、どうやらその必要は無かったようですね」

「すみません。鈴振さんの分を取り置きするのを忘れていました……。今朝も着物を用意して届けてくださったのに……」

「それなら心配は無用です。一つは手元にありますからね。姉者が売り子をされていたという、この露店で購入したものです」


 そう言って鈴振が袂から取り出したのは、間違いなく今日の骨董市のために桃花が油紙に包んだ石鹸であった。どうして今来たばかりの鈴振が持っているのか、目を瞬かせていると鈴振の後ろから聞き慣れた声がやってきたのだった。


「婆さんも相変わらず元気にしているな。わざわざ木の上で昼寝していた俺を見つけるなんて、勘が鈍ってないんじゃないか」

「育ての親に向かって婆さんなんて言うんじゃないよ! まったく自分の嫁を置いて仕事をさぼるなんて、そんな子に育てた覚えはないよ!」


 そんな他愛のない話をしつつ、時折、隣を歩く老婆の木の杖で足首を突かれながら、香雪は陽気な笑みを浮かべて桃花たちの露店にやってくる。

 

「香雪、と……その女性って……」

「お疲れ様。上出来だったらしいな。その時の桃の活躍について、婆さんに聞いていたところだ」

「婆さん言うんじゃないよ! さっきはありがとうね。香雪の女房さん。良い物を買えたよ」

「い、いえ……」

 

 どうして石鹸が売れるきっかけを作ってくれた老婆と香雪が親し気に話しているのか。

 首を傾げていると、咳払いをした鈴振が疑問に答えてくれる。


「こちらの老婦は私たち三人の乳母なのです。名を有明ありあけと申します。今は頭目である私の世話役をしています。有明、彼女が兄者の伴侶である桃花姉者です」

「あの悪戯小僧だった香雪お坊ちゃんが嫁を迎えたと聞いて、様子を見に行くように鈴振お坊ちゃんに頼まれてね。それがまさかこんな気立ての良い別嬪さんだったなんてね~。あの悪ガキには勿体ない娘だよ」

「別嬪なんてことは……。あれ、三人の乳母だったってことは、海石榴ちゃんとも面識がありますよね。でも最初は初対面のように話していましたが……」


 海石榴を見ればあからさまに目を逸らされる。おそらく最初から有明の正体に気付いていたものの、石鹸を売ろうと必死になっていた桃花に気を遣ってずっと黙っていたのだろう。


「海石榴お嬢さまを責めないでね。黙っているように頼んだのはわたしなんだよ。鈴振お坊ちゃんに頼まれた物も買えて満足さ」

「頼まれたものですか?」


 有明と鈴振を交互に見て、「あっ」と気付く。有明が購入した石鹸の内、一つは贈答用と答えていた。その贈り先というのが、忙しくて行けるか分からないと話していた鈴振の分だったのだろう。

 桃花の視線の意味に気付いたのか、鈴振は居心地悪そうに眼鏡の位置を直しながら、「……坊ちゃんは止めて下さい」と小声で有明に反論したのだった。


「鈴振さんに頼まれて来ていたなんて気付かなくてすみません。おかげで石鹸が売れて、とても助かりました。ありがとうございました」

「いいんだよ。楽しいものも見られて、ついでに自分の分も買って有意義な時間を過ごせたからね。それにしても薬草はひと通り知っていたつもりだけど、まさか外つ国には知らない薬草があるなんてね~。今度茶館にもお邪魔させてもらおうか」

「ありがとうございます! ぜひ来て下さい。私や海石榴ちゃん、香雪もお待ちしています」

「俺は婆さんなんて待っていないけどな」

「働いている内は婆さんなんて言うんじゃないよ!」


 そうして仕事が残っているという鈴振と、鈴振に途中まで送り届けてもらうという有明が帰ってしまうと、桃花たちは撤収作業を始める。

 他の露店はすでに撤収したようで、残っているのは桃花たちを含めても数組だけであった。


「骨董市はどうだった? 楽しかったか?」

「はい。あの、香雪……」


 まだまだ桃花が知らない香雪たちのことを知りたい。香雪たちの幼少期、三つ子の母親のこと、海石榴の誘拐と鈴振の怪我、そして香雪自身について。

 先程の女鬼たちの反応で理解した。おそらく香雪たちはまだ桃花に隠し事をしている。

 役に立つかは分からないが、ほんの少しでも香雪たちの力になれる可能性があるのなら、桃花も協力したい。

 あの日、香雪が狩谷家から桃花を救い出してくれたように、桃花も香雪を救いたい。香雪の大切な家族である鈴振や海石榴のことも。

 そのためにはもっと香雪たちのことを知りたいと心が疼く。これまでは自分以外のことに構う余裕が無かった。そんな桃花が香雪たちを知りたいと思ったのがそれもそのはず。

 こうしている今も少しずつではあるが、桃花の心は香雪に想いを寄せ始めているのだから――。


「どうした?」

「いいえ。何でもありません。今回売り子をしてみて、自分が香草についてまだまだ何も知らないことに気付かされたんです。それでこれから私も香草の良さや魅力をもっと知って、たくさんの人に伝えたいと思いました。そうしたら海石榴ちゃんと香雪の夢を叶えるお手伝いが出来ますよね……?」


 頬を朱に染めながら桃花が恐る恐る申し出ると、二人は無言で顔を見合わせたので、余計なことを言ったのかもしれないと不安が募りだす。

 今の言葉を取り消してもらおうと口を開きかけた時、ようやく兄妹は揃って相好を崩したのだった。

 

「香草について、これからみっちり教えてやるから覚悟しておけよ。俺の花妻様が淹れる香草茶は世界一美味いって鬼の世界に広めるためにも、あの茶館を有名にするつもりでいるからな」

「それは過大評価な気がします……。ねぇ、海石榴ちゃん?」


 名前を呼ばれた海石榴は、どうしてそんなことを言うのかという顔をして子犬のように小さく首を傾げたかと思うと、妖刀の中に戻ってしまう。

 海石榴が首を傾げた意味は、香雪と桃花のどちらの言葉に対してなのか。

 今はまだ知る術が無い桃花だった。

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花妻さまの香草茶館~鬼に娶られた鬼狩りの娘は愛を知って花笑む~ 夜霞(四片霞彩) @yoruapple123

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