第27話

(どうして? やっぱり私に原因があるの? 香雪が悪いってどういうこと……?)


 香雪は桃花に愛想を尽かしていなくなってしまったのだろうか。一緒に居ても役に立たないどころか、商売の邪魔になるからと。

 香雪を追いかけて謝った方が良いのか逡巡していると、年嵩の女鬼二人が桃花たちの露店に近づいてきたので桃花は表情を明るくする。


「こ、こんにちは。ここでは香草を使った石鹸を……」

「嫌だわ。『逢魔の角なし』が視界に入るだけでも不愉快なのに、その連れの下賤な人間に声を掛けられるなんて……」


 袖で鼻や口を押さえて、汚いものを見たというように表情を歪ませると足早に通り過ぎようとしたので、すかさず追いかけると「待って下さい!」呼び止める。


「私のことはどう言おうと構いませんが、『逢魔の角なし』ってどういうことですか? 角が無い鬼は駄目なんですか?」

「貴女は何も知らないのね。鬼にとっての角は鬼そのもので、存在意義でもあるのよ。角がない鬼なんて、鬼もどきじゃない」

「でも香雪は妖力を持っています。角が無くても鬼としての妖力を持っている以上、皆さんと同じ鬼で間違いありません。今は身につけていませんが、つけ角だってしていましたし……」

「あんな角! 先代鬼神様の形見じゃない。瀕死の重傷を負われた頭目様の命と引き換えに、自らの命を捧げたと言われているあの先代鬼神様の!」

「その頭目様が怪我を負ったのも、『逢魔の角なし』が鬼狩りに誘拐された家族を救おうとしたのが原因なんでしょう。角が生えていない無い半端者の分際で図々しいこと。封印されて良い気味だったのに」

「封印が解けたからって、こんな怪しげな草花を売り歩かないで、身の程を弁えて蟄居していればいいのに。変な臭いに鼻が曲がりそうだわ。おまけに芋みたいな娘からも臭って」


 愉快そうに笑い合いながら去っていく女鬼たちに桃花は言葉を無くす。

 鈴振が命に関わる怪我を負ったことがあるのも、香雪たちの母親が鈴振を救うために自らの命を捧げたことも。

 その全ての原因が狩谷家に攫われた海石榴を助け出そうとした――『角なし』の香雪にあることも。


(違う。香雪は悪くない。悪いのは海石榴ちゃんを妖刀の生贄に捧げようとした私たち……狩谷家)


 狩谷家が奪ったのは海石榴だけじゃ無かった。

 三つ子の母親と彼ら逢魔家の平穏な日々、そして『逢魔の角なし』として後ろ指をさされながらも、頭目としての務めを果たしてきた香雪の立場。

 到底、桃花一人で償えるものではない。

 

(どうしたら香雪の力になれるの? 私に何が出来るの?)


 涙が溢れそうになって、ぎゅっと目を閉じていた桃花だったが、すぐ後ろから聞こえてきた声に振り返る。


「あら、可愛いお嬢さん。一人でお留守番? 露店の人はどこに行ったの?」


 ござの上で正座をしながらこてんと首を傾げる海石榴に話しかけていたのは、木の杖をついて額から角を生やした鬼と思しき老婆だっだ。

 桃花が近づいていくと、顔を輝かせた海石榴がしきりに桃花を指して何かを老婆に伝えたがる。老婆にはそれだけで充分伝わったようで、愛おしむように皺の寄った頬を緩めたのだった。


「あら、貴女はこの露店の方?」

「はい……。香草の石鹸を売っています」

「香草……? 薬草のことかしら。薬草の石鹸なんて初めて聞いたわ」


 杖で石畳を叩きながら、老婆は朗らかな笑みを浮かべる。その表情で桃花はハッと気付いて、袂に手を入れると丸めた手拭いを取り出す。


「石鹸、試してみませんか? ここに同じものがあるので……」


 手拭いを開くと、中からは昨晩香雪に貰った石鹸の切れ端が姿を現す。もしかしたら石鹸の宣伝をする際に使えるかもしれないと考えて、手拭いに包んで持ってきたものだった。


「あら〜。見た目は蝋燭に似ているのね」

「手作りですが、使い心地だけじゃなくて、洗い終わった後の手触りや匂いも良いんです。石鹸に使っている薄荷と薫衣草は肌の保湿にも最適で、私も今朝使って感動したところです。匂いはあまり強くないので、薫きしめている香の邪魔にもなりません」


 香雪が持っていた荷物の中に水の入った竹筒があったのを思い出して取り出すと、中の水を自分の手と石鹸に掛ける。老婆が注目する中、湿り気を帯びた手で石鹸を擦っていると、やがて掌が白い泡に満たされたのだった。


「不思議な香りね。でもどこか懐かしいわ」


 泡に呼応するように薫衣草と薄荷の爽やかな香りが辺りに広がっていくと、その香りに気付いた通行人たちが足を止めてくれるようになる。白い泡に包まれた桃花の手から小さなしゃぼん玉が飛び立った頃には、桃花たちを中心として石鹸に興味を持った人たちが集まっていたのだった。


「何をやっているのかしら?」

「変な臭いって思っていたけど、なんだか心が落ち着くわ」

「石鹸なんてどれも一緒だろう。ただあの嬢ちゃんの石鹸は泡立ちが違うな……」

「かあちゃん、見えないよ!」

「静かにしなさい! 今良いところなんだからね!」


 そんな老若男女の話し声が耳に入ってきたことで、ようやく自分が注目を受けていることに気付いて膝がガチガチに震え出す。

 次の言葉を発しようにも口が乾いて、上手く言葉を乗せられない。そうしている間にも見物客は増加して、桃花の注目もより増していった。

 頭の中が真っ白になって、早くこの時間が去らないかと思い始めた時、視界の隅で桃花の腰に抱きつく少女の姿を捉える。

 桃花の大切な友人である海石榴であった。


(海石榴ちゃん……)


 桃花を勇気づけるように身を寄せる海石榴に気持ちを奮い立たせると、最後の仕上げとして竹筒の水を自分の手にかけたのだった。


「石鹸で洗うと、こんなに綺麗になりました……。どうですか? 泡立ちや香りの良い石鹸が一五銭。値切りも出来ます。そしてもっと石鹼が欲しいと思った人は、ぜひ『香草茶館・椿桃』に足を運んでください。石鹸にも使っている香草を使った美味しいお茶が飲めますよ」


 集まった観客に向けて石鹸で洗った手を見せていた桃花だったが、その瞬間に先程まで騒いでいた人だかりが水を打ったように静まり返ってしまったので、全身から冷や汗が流れ出す。観客たちが興味を持っていたのは石鹼ではなかったのだろうか。それとも香草茶館の宣伝を混ぜ込んだのがおかしかったのか。

 頭の中で嫌な想像を繰り返していると、どこからかか細い拍手が聞こえてくる。音の出所を探すと、両手を叩いて桃花を賞賛してくれたのは最初に声を掛けてくれた老婆であった。


「面白いものを見せてもらったわ。香草だったかしら。薬草なら昔から柿の葉やクマザサ、紫蘇があるけど、あれとは違うの?」

「今紹介した石鹸に使われている薫衣草はこの国の外……異国から伝わった植物なんです。海を渡った先にある諸外国では『自然の薬』として昔から利用されています。そこでは飲食以外にも身体に塗ったり、部屋に飾ったり、香のように焚きしめると疲れが取れて、心が安定したりするそうです」

「言われてみれば、その石鹸の匂いを嗅いでから、少しだけ身体が役になった気がするかも。そう思えば、悪くない香りかもしれない」

「本当ね。朝から働き詰めで疲れていたけど、まだまだ頑張れる気がしてきたわ」


 桃花の説明に同意するような言葉が広がっていく。すると、先程の老婆が銭貨を掌に載せて差し出してきたのだった。


「二ついただけるかしら。一つは自分用に、もう一つは贈答用に欲しいのよ」

「あっ、ありがとうございます!」


 老婆の購入する声が呼び水となったのか、女を中心に購入を希望する声が増える。桃花は傍らの海石榴と顔を見合わせると、後を絶たない買い込みの声に対応したのだった。

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