第26話

「本当に人間もいるんですね……」

 

 すれ違う人たちに目を向けると、やはり客の大半は鬼のようで頭や額から角を生やす者の数が圧倒的に多かったが、そんな中でも時折桃花と同じ人間を見かけた。人間たちの傍らには必ずと言っていいほど鬼たちが付いており、手や腕を絡ませながら親し気な様子で歩いていたのだった。

 

「全ての鬼が人間と仲が悪いわけじゃない。鬼狩り一族一部の人間たちが鬼退治に躍起になっているだけで、地域によっては人間と鬼が当たり前のように共存している。俺たちが住んでいるこの辺りもそうだ。鬼の領地だが人間の伴侶を迎えて、夫婦で仲睦まじく暮らしている者が多い。今の頭目である鈴の統制が取れているからか、人里に下りて人間に悪さをする鬼も少ない。……俺の時とは大違いだ」

 

 香雪が自分自身を嘲笑するように吐き捨てたので、反射的に桃花は「違います」と答える。


「鈴振さんがしっかりと統制が取れるように香雪が根底を作っていたから、鈴振さんが辣腕を振るうことができるんです。頭目として香雪がこれまでやってきたことは、決して無駄ではありません」

「……ありがとな。慰めてくれて」


 香雪の言葉に胸が温かくなるが、先程から鬼狩り一族の血が影響しているのか、この喧騒の中でも鬼たちが無意識の内に放つ妖気とその中に含まれる威圧感の両方を感じ取って、桃花の肌はずっと粟立っていた。

 性別や年齢、身長に体格もてんで違う鬼たちが一様に揃う姿は、圧巻と同時に恐怖さえ感じられる。救いなのは桃花に興味を持つ者が少ないことだろうか。

 桃花を――というよりは香雪を品定めするように見ていく者は多いが、傍らを歩く桃花にまで注意を払う者はいない。それでも腰に差す妖刀を見て、桃花の出自に勘付く者がいないともしれないので、どうにかして紬の袖で隠せないか試しに身体の内側に寄せてみる。

 それだけで何が変わるともしれないが、気持ちが多少楽になったのは確かだ。境内に足を踏み入れた途端、妖刀に戻ってしまった海石榴の気配を間近で感じ取れるのも心強い。

 ここに来て狩谷家や鬼狩り一族のことを口外にしないと約束させた香雪の言葉が、ようやく身に染みる。

 ――今ここで、桃花が狩谷家の血を引く鬼狩りの娘だと知られたら、どんな恐ろしい目に遭うことか……。

 身震いすると、無意識の内に桃花は香雪の着流しの袖に手を伸ばして頼ろうとしていた。荷物を持った香雪の両手が塞がっていることに気付いて手を引っ込めかけたものの、それを見逃さなかった香雪にすかさず掴まれてしまう。


「想像以上に人の出が多いから、はぐれないように手を繋ぐか。これも逢引の基本だ」

「あっ、あいびき!?」

 

 てっきり桃花が慄いていることに気付いて手を貸してくれたのかと思っていたが、まさかの理由に声が裏返ってしまう。素っ頓狂な声を上げた桃花に対して、香雪は片手で荷物を持ち直すと、何ともない様子で「そう。逢引」と返しただけであった。


「これが俺たちの初めての逢引だからな。お互い楽しい思い出にしたいだろう」

「それは……そうかもしれませんが……」

「恥ずかしがらなくても、俺たちに与えられた区画はすぐそこだ。それまでの辛抱だから我慢しろよ」


 香雪に腕を引かれる形で歩く桃花だったが、心なしかさっきよりも注目を集めているような気がした。骨董市で逢引をしているのが場違いなのか、それとも鬼たちを束ねる元頭目の香雪が連れているからか。いずれにしても羞恥を覚えることに変わりはない。

 目線を下にして頬を染めながら歩いていると、ようやく桃花たちが与えられた区画に辿り着く。荷物を並べるござは主催者が用意してくれたようで、辛うじて大人二人が並んで座れるくらいの大きさのござが敷かれていた。持ち込んだ物を広げればすぐに露店を始められそうだった。


「石鹸を並べたらすぐに始めるからな。最初は一五銭から。値切り交渉をしてきたら、相手に合わせて少しずつ価格を下げて、最低でも九銭くらいで止める。銭貨は人間たちと同じものを使っているが、計算は問題ないか?」

「簡単な計算と読み書きは教わったので大丈夫だと思います。女中の仕事をするのに必要だからって、渋々女中長が教えてくれました」


 弟妹たちと違って桃花は小学校さえ通わせてもらえなかったが、万が一にも狩谷の娘を名乗ることになった際に最低限の教養はあった方が狩谷家の体裁が保てると、父が女中長に命じて教えさせた。

 自分の仕事が増えることに腹立たしさを隠さない女中長に半ば脅されるように、桃花は最低限の読み書きと計算を叩き込まれたのだった。

 

「それなら一安心だな。後は石鹼を買った客にこの引き札を渡す。買わなくても香草に興味を持った客がいたら遠慮なく渡してくれていい。宣伝は多ければ多い方が良い。伝聞で広めて貰える可能性もあるからな」

 

 手渡された引き札には香雪の流麗な文字で香草茶館の新しい名前が書かれていたので、つい桃花は読み上げてしまう。


「『香草茶館・椿……と桃』?」

「『香草茶館・椿桃つばいもも』って読むんだ。桃に似た果実の一種だ。仮だけどお前たちらしい名前だと思ってそれにした。茶館の門前に出している看板も昨夜の内に直したから心配いらない」

「そんな名前の果物があるんですね……。用意も早くて、手伝えなくてすみません……」

「いいって。お前にはこれから宣伝を頑張ってもらうからな。今日は張り切って香草と茶館の魅力を客に売り込んでくれ」


 そう意気込んだのも束の間、しばらくしても桃花たちの露店に立ち寄る者はいなかった。

 時間の経過と共に往来には人が増え、すぐ隣や近くの露店には鬼や人がひっきりなしに来ている。それなのに何故か桃花たちの露店は遠巻きに見られただけで素通りをされてしまう。

 危機感を覚えた桃花がなけなしの勇気を振り絞って、近くを通った鬼や人に自ら声を掛けたものの、皆一様に桃花とその後ろに座る香雪を見た途端、蜘蛛の子を散らすように去ってしまうのだった。


「どうして誰も立ち寄ってくれないのでしょうか……。私の声の掛け方が原因? それとも狩谷家の血を引いているから……?」

「桃は悪くない。原因があるとすれば……俺だな」


 項垂れた桃花の頭を軽く叩くと香雪は音もなく立ち上がる。両手を握りしめて、縋るように見上げるが香雪はござから出てしまう。


「しばらく席を外すから店番を頼む。俺がいなくたって、海石榴がいれば大丈夫だろう」

「そんなことを急に言われても……。あの、香雪が原因ってどういう意味……」


 桃花の問いに答えることもなく、香雪は足早にその場を去ってしまう。入れ違いに妖刀から海石榴が姿を現したので、再度同じことを聞くが、海石榴も首を傾げただけであった。

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