第3話

「海石榴、どうして止めるんだ!? そいつはお前を攫って、妖刀なんかにした一族の末裔だ。こいつの一族を根絶やしにしなければ気が済まない。俺たち兄妹を苦しめた罪は償ってもらわないと!」


 男がどんなに息巻こうが、それでも海石榴と呼ばれた少女は嫌というように泣きそうな顔で何度も左右に首を振る。もう争ってほしくないと、これ以上諍わないでと、私たちに伝えようとするかのように。

 やがて怒りが冷めたのか、男は徐々に顔を曇らせると脱力したように息を吐く。


「お前が止めろというのならそうする。だが家族を奪われたこの怒りは、妹を妖刀にされたこの悲しみは、どこにぶつけたらいい……。俺はどうすればいい……」


 悲痛な声と共に男は片手で顔を覆う。恐らく、この男は妹と別れる原因を作った狩谷一族に長らく憎悪を募らせていたのだろう。封印されている間もずっと……。

 悲しみに打ちひしがれる男にかける言葉もなく、ただその姿を眺めていた桃花に対して、海石榴は何か閃いたのか男に近づいて行く。


「つっ、海石榴……ちゃん?」

 

 桃花が止める間もなく、海石榴は男に話しかけるように肩を叩いて注意を引くと、次いで桃花の元に駆け寄る。そうして男に見せつけるように、桃花に抱きついてきたのだった。


「ど、どうしたの!?」


 海石榴の行動に桃花は驚く。霊体である海石榴の身体は桃花を擦り抜けてしまうが、それでも不思議なことに本当に抱きしめられているような温もりを感じた。海石榴が人懐こい笑みを浮かべているというのもあるかもしれないが、誰かにこうして抱きしめられたことはほとんど無いので悪い気はしない。

 男は唖然とした顔で桃花たちを見つめていたが、やがて「なるほどな」と柔らかな笑みを浮かべて桃花に歩み寄る。及び腰になっている桃花の前で膝をつくと、男は海石榴ごと桃花を抱きしめたのだった。


「あ、あの……! 今度は何をするつもりですか……!?」


 妖刀が手元から離れた以上、身を守るものを何も持たない桃花はただ当惑するしかなかった。腕を振り解こうにも、男は愛おしむように桃花の頬や髪を撫で、それを見る海石榴も嬉しそうにしているのでどこか悪びれてしまう。


(こ、これはあれよ! 捕食する前に獲物を弄ぶ獣と同じよ……!)


 猫が捕食対象である鼠を食べる前に玩具として遊ぶのと同じように、きっとこの男も殺す前に桃花を愛でているだけだと考える。そうじゃなければこの状況に説明がつかない。

 赤面しながら飽きて離してくれるのを待っていると、男は耳を疑うような言葉を口にする。


「お前、俺の嫁に来ないか?」


 その瞬間、桃花の思考が停止してしまう。すぐに正気に戻ったものの、口から出てきたのは「へっ……?」という間の抜けた言葉だけだった。


「こ、殺すんじゃなかったの……?」

「海石榴は……妹は憎しむのではなく、愛せと言った。憎悪に注いでいる活力を情愛に注げと。俺は妹の言葉を尊重する。それが妹を助けられなかった兄貴にできる贖罪だ」

「それと、今の求婚にどんな繋がりが……?」

「俺は妹を妖刀にした狩谷家の祖先たちを許すことは出来ないが、海石榴が守ろうとするお前は許そうと思う。すぐには出来そうにないが、いずれ今の狩谷家の者たちも……。そのためには狩谷家に対する憎悪を抑える存在が必要となる。俺が怒りや憎しみを抑制できなくなって、殺意を向けそうになった時、それを諫め、踏み留めてくれる存在が……。出来れば、ソイツはすぐ近くに居てくれると助かる。手を伸ばしたら触れられて、こうして抱き寄せて愛撫すると心が和らいでいく存在が……」

「それなら私じゃなくてもいいんじゃあっ……!」

「海石榴のことで頭に血が昇った時に、それを狩谷家の血を引くお前が止めてくれるのなら、今の狩谷家には罪がないと頭を冷やせる。それに言っていたな? 自分には死ぬ以外の選択肢がないと。それなら別の選択肢を与えてやる。俺の嫁に来い。生贄なんて馬鹿なことはさせない。俺が愛してやる。身も心も蕩けるまで愛し尽くす。俺に身を委ねて、共に来い」

 

 居場所を与えてくれるという男の温かい言葉が胸に染み入る。この言葉が今までずっと欲しかった言葉だと気付いて、桃花の目頭が熱くなる。

 妖刀を奪おうと甘い言葉で誘っていた時とは違う力強い言葉。どこまでも真っ直ぐで、でもどこか脆さを感じさせられる。ようやく支えになるものを見つけて、それを離したくないというような、喪失感を知っている者特有の不安と寂しさを含む声さえも。

 きっとこの男はその言葉の通り、本当に桃花を愛してくれるだろう。そうじゃなければ、こうして壊れ物を扱うように抱きしめ、身を寄せてこない。明らかに脆弱な桃花の身体に合わせてくれている。体格や力の差を理解しているだけではなく、喪うことの悲しみを知っているから……。

 このままこの男の手を取ってしまおうかと、考えてしまう。この先の桃花の行く末を気に掛けてくれたのはこの男だけだった。父を始めとする桃花の家族は、妖刀が所有者の魂を吸収することを知っていたはずだが誰も気にしてくれなかった。

 それでもまだ心のどこかで父を信じたいと思う自分がいる。鬼斬り一族の血を引く者でありながら、一族を裏切って鬼に嫁ぐという矜持も許せなかった。

 桃花は自分と男の身体の間に手をつくと、そっと力を込めて身体を離す。「ごめんなさい」という言葉と一緒に。


「貴方の気持ちには答えられそうにありません。急に嫁入りの話をしても困りますし、鬼狩り一族が鬼に嫁ぐなんて、これまで鬼狩り一族を信頼してくれていた人たちを裏切るような気がして……」

「そうか……。ところで怪我をしているんじゃないか。お前」


 男は着流しの袖を捲ると、手首に付いた乾いた血を見せる。先程首を絞められたて抵抗しようと男の手首を掴んだ際に、掌の血が付いてしまったのだろう。自分の掌を開けば傷口を縛っていた手拭いが消えており、代わりに血が擦れた跡があった。

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