第2話
「あっ、貴方は! どうしてこの妖刀を狙っているんですかっ!? これは
「その妖刀は八百年近く前に俺たち鬼の一族から、鬼狩りの一族と称するお前たちが奪ったものだ。俺の家族と共に」
「よく分かりませんが、この妖刀で貴方を斬って、もう一度そこの松の大木に封印します。そのために貴方が住む松に向かって石を投げて、姿を現すのを待っていたのだからっ!」
「あんなへっぴり腰な投石で俺が出てくるなんて思われていたとは片腹が痛いな。それからその情報源はどこからだ。俺が松に住んでいるなんて。完全に封印が解けて、とっくに鬼の領地に帰っている」
「で、でも。貴方の身体はまだ松の大木の下に眠っているって、父様が……」
「騙されている。その様子だと、その刀が妖刀と呼ばれる所以さえ聞かされていなさそうだな。お前が腰に帯びているその刀が、所有者の魂を糧に鬼斬りの力を増幅させる代物だというのも」
「所有者の魂を糧に……?」
男の言葉で反射的に腰の妖刀に目を向ける。見た目は普通の打刀ではあるが、自宅に飾られていた時からどこか禍々しい力が漏れていたことは否めない。家族の誰も気付いていなかったようだが……。
「鬼を狩る特別な力を宿しているから妖刀と呼ばれている。と、代々伝え聞いています。鬼の力を絶つのに必要な、善良な鬼から貰った特別な力が宿っているとも」
「半分は正解だが、実際は違う。善良な鬼から貰ったんじゃなくて奪取したんだ。呪術によって、その鬼の身体と魂を無理矢理切り離してな。身体は千斬られてあやかしから人間を守る楔として各地に埋められ、魂はその鬼を殺した一族の手で鬼が持っていた刀に移された。俺を封印して、家族の魂を刀に捧げた、あの憎き狩谷一族の手によって……!」
どういうことだろうと、桃花は混乱する。子供の頃からずっと聞かされてきた話とまるで違う。
悪は鬼で、その悪を退治した狩谷家が正義じゃないのか。その証が狩谷家に代々伝わる妖刀と、国から与えられた「鬼狩り一族」という称号じゃないのか。
「鬼の魂を宿した刀は所有者の魂を喰らう妖刀へと変わった。その鬼の名前にちなんで、妖刀『
「し、知りませんっ! そんなのデタラメです!」
「出鱈目かどうか妖刀を見ればいい。お前も感じているだろう。こうして話している間もずっとその妖刀からは負の力が発せられている。これから生贄となるお前を屠ろうと妖刀が待ち構えているのだ……」
足元がぐらつくような不安定な感覚。今まで信じていた物が瓦解していく。嘘だ、認めたくない、と自分の内側から悲痛な叫び声が聞こえてくる。
初めて父から与えられた任務が、妖刀の生贄なんて思いたくないと――。
「悪いことは言わない。その妖刀をこっちに渡してお前は親兄弟の元に帰れ。鬼は再起不能な重傷を負って逃げ帰ったと言えばいい。その辺でくたばっているかもしれないと……」
「出来ません。だって鬼の封印に失敗したなんて父様に報告したら、私、私……今度こそ母様のようになるかもしれない……」
「何だって?」
桃花の呟きに男は訝しむように眉を顰める。身体から血の気が引いて、頭の中が真っ白になる。
今まで信じていたものを否定されて、後に残されたのが絶望だけだと知った時、人はどうするべきなのだろう。桃花の身体が身震いする。
(もう、どうとでもなれ!)
自棄を起こした桃花は腰から妖刀を抜くと、男に振りかぶる。「おいっ!」と制止する声が聞こえてくるが、目を瞑ってしまえば何も分からない。
妖刀の生贄になるにしても、鬼の言う通りに逃げ帰るにしても、その先に待ち受けているのは桃花の死のみ。他の選択肢が無い以上、少しでも家族にとって益のある道を選ぶしかない。
鬼を倒して、妖刀の生贄になる道を――。
頭上に掲げた妖刀を力任せに振り下ろした桃花だったが、あっさりと男に刀身を掴まれて阻止されてしまう。
「こんな馬鹿な真似は止めろ。命が惜しくないのか?」
「あ、ありませんっ! だってどの道、死ぬ以外に選択肢はないのだからっ! だったら、ここで貴方を斬って妖刀の生贄になった方が父様だって喜びます!」
「その父親に利用をされているというのに何故慕おうとする? 妖刀の生贄にして、お前を殺そうとしているんだぞ!? そもそも鬼の封印なんて並みの退魔師や陰陽師でも出来ない至難の業だ。はなからお前の魂を吸収して力が増幅した妖刀の回収だけが目的だろう!!」
「でも八百年前の貴方は封印されました。それなら私だって……!」
「あの時は家族を人質に取られて油断したからな! 今の俺には手加減をする理由はない。ここでお前を殺して、灰になるまで地獄の業火で燃やし尽くすことだってできる」
刀身を掴んだ掌から血が流れだしてもなお、男は顔色一つ変えなかった。それどころか冬の空気のような険を帯びた眼差しに委縮してしまいそうになる。
脅しでもなんでもなく全て本当のことなのだろう。妖刀のことだけではなく、桃花一人を狂焔で灰にすることも――。
そんなことを考えていると、男は空いている手で桃花の首を捻り上げる。桃花は「ぐっ……!」とくぐもった声を漏らすが、やがて気道を圧迫されて息が苦しくなる。身体から力が抜けると、男は桃花の手から妖刀を奪って地面に放り投げたのだった。
「これでもまだ死んだ方がいいと言うつもりか……?」
「ぅ……ぐうぅ……ぅ……」
「もう一度言おう。お前に俺は封印できない。このまま俺に殺されて妖刀を奪われるか、大人しく妖刀を置いて逃げ帰るかのどちらかしかない。本当は殺したくなかったが仕方ない……」
桃花の首を捻り上げる男の手に力が込められる。両手で男の手首を掴んで抵抗するが、体格の良い男はびくともしなかった。
もう駄目だと桃花の視界が明滅し始めた時、どこからともなく現れた幽霊のように半透明な少女が男の腕にぶら下がったのだった。
「
男は圧倒されたように呟くと、急に首元を掴んでいた力を緩める。解放された桃花は咳き込みながらその場にへたり込むが、そんな桃花を庇うように桃花よりずっと年下と思しき少女は男の前で両腕を広げると、身長差のある男をじっと睨みつけたのだった。
(あの子は……!)
桃花の頭の中で在りし日の思い出が蘇る。まだ少女だった桃花の心を救ってくれた存在。もう二度と会えないと思っていた大切な友達――。
「しきちゃん……」
その呟きに少女は振り返ると、柔和な笑みを浮かべる。質の良さそうな白椿柄の黒地の小紋と白地に赤椿の帯、そして背中に流したよく梳かれた長い黒髪からいかにも育ちの良さそうな華族のお嬢様といった雰囲気を纏っていたが、頭からは一本の黒い角を生やしていた。二度と会えないと思っていた霊体も同然の少女の身体ごしには男の憤る姿が見えたのだった。
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