第21話

「本当ですね……」

「鬼の中には先天的に角が生えない者が稀に存在する。そういった鬼のことを、あやかしたちは『角なしの鬼』と呼ぶんだ。俺たちが生まれた頃はまだ珍しかったが、今では生まれてくる鬼の一、二割は『角なし』だ。当然、怪我や病気で角を失う者もいるから、人工的にはもっと多いけどな」

「確か鬼の角には妖力が詰まっているんですよね。その妖力はあやかしにとっての魂みたいなものとか……。角が生えていない鬼っていうのは、妖力を生み出せないんじゃないですか。でも香雪は私の傷を治して、屋敷の結界を破りましたが……」

「『角なし』だからといって、必ずしも妖力を持っていないとは限りません」


 鈴振は眼鏡の奥から黒曜石のような目を真っ直ぐに向けてくる。


「『角なしの鬼』は大きく分けて二通りに分けられます。一つは何らかの理由で妖力を持てなかった鬼。角が生えていないことを除けば、見た目は鬼ですが、妖力を持たない以上、人間と同じように歳を重ねて、身体も老化します。対して、もう一つは生まれながらに強力な妖力を持つ鬼です。角が生えていなくても、自らの体内で妖力を生成することが出来ます。寿命も他の鬼と同じかそれ以上、身体の成長も好きな時に止められます。兄者は後者の鬼なのです」


 あやかしが持つ妖力というのは、人間が持つ精力とほぼ同じものを指す。違いがあるとすれば不可思議な幻術を使うところと、人間離れした見目麗しい姿、そして果てしなく長い寿命であるが、あやかしも決して不老不死では無い。一定の年齢に達すると身体の成長は止まるが、それでも少しずつ老いていく。

 少しでも若さと長寿を長引かせるのに必要なのが妖力だが、その妖力も生きた年数だけ少しずつ衰えていく。角からの妖力の配給が滞ると、やがて寿命は尽きてしまうが、強力な妖力を持つ『角なし』はそうしたことが無い。

 体内で生成された妖力に身体を満たされた『角なし』たちは、角による妖力の制御が無い分、自由に妖力を使用できる。身体の成長や老化の操作に限らず、永遠に近い寿命を生きることも可能であるが、その代わり妖力の使用に制約が無いため、一歩間違えれば力の使い過ぎで命を落とすこともある。

 自分で生み出せる妖力の許容範囲を超えた場合、角を失った鬼と同じように『角なし』も霞のように消えてしまう。体内で妖力を生み出せると言っても、一度に生み出せる量には限界がある。それを超えてしまうと、たとえ強力と呼ばれる『角なし』であってもひとたまりもない。

 そんな『角なしの鬼』にとっての妖力の使用というのは、まさに自分の命と引き換えになる諸刃の剣と言えるだろう。


「妖力の制御を担う角が無い分、昔は力の加減が出来なくて苦労したよ。今はどうってことないけどな」

「大変でしたね……」

「大変だったのは、力を暴走させた俺を止める親父や鈴、海石榴だよ。鬼の力すら操れないこんなのが次期頭目って言われても信じられないだろう。だから俺より鈴が適任なんだって。人には向き不向き、得意不得意があるからな。俺には多忙な頭目よりも、のんびり出来る香草茶館の経営が向いているってだけ」

「この茶館って香雪のお店だったんですね。時の流れを忘れて寛げるような、和と洋が混ざり合った素敵な茶館です」

「ありがとな。まだまだ閑古鳥が鳴いてるし、海石榴ほど美味い香草茶は淹れられないけど、これから腕を上げて従業員を集めて、豪勢な祝言を挙げられるくらい稼ぐからな」


 眩いばかりの笑みを浮かべながら桃花の頭を愛撫する香雪に、「その件ですが」と鈴振が意外なことを口にする。


「茶館の経営を姉者にも頼んでみるのはいかがでしょうか。姉者が淹れる香草茶は海石榴が淹れたものと同じくらい絶品でした」


 先程まで海石榴の仇である狩谷家から嫁いできた桃花に渋面を作っていた鈴振の提案に全員が驚嘆する。注目を浴びた鈴振は自分が言い放った言葉の意味に気づくと、頬を赤く染めて横を向いてしまう。


「誤解の無いように言っておきますが、私が否定したのはあくまで狩谷の娘であって、貴女の香草茶の腕まで否定した覚えはありません」

「へぇ〜。そんなに美味かったのか、桃が淹れた香草茶は。俺にも淹れてくれるよな? 花妻様」

「わ、私は海石榴ちゃんに教わりながら淹れただけで、すごいところなんて何も無い……です……」


 顔を赤くして桃花は首を何度も振るが、香雪と鈴振だけではなく、海石榴までもが桃花の話を信じていないようだった。意味深な笑みを浮かべる海石榴に同意するように鬼の兄弟はそれぞれ頷く。

 

「俺たちも海石榴に淹れ方を教わったけど、どっちも海石榴が淹れた香草茶には遠く及ばないよな」

「左様です。姉者は香草の効果や性能を発揮させる才能をお持ちなのでしょう。これはこの茶館になくてはならない才能です。他の人間だって持っていないかもしれません」

「止めて下さい! 本当に私は何もしていないんです。全部海石榴ちゃんのおかげで……」

「桃花」


 急に低い声で名前を呼ばれたかと思うと、香雪に両肩を掴まれて上を向かされる。いつもの飄々した顔ではなく、狩谷家でも見せた真面目な表情に自然と胸の鼓動が早くなる。

 両親たちと違って桃花が勝手に発言したり、笑ったりしたとしても、香雪は叱らなければ殴りもしない。それならこの胸の高鳴りや顔の火照りは緊張や恐怖じゃなく別のものが原因となるが、この感情の正体は何だろう。

 香雪の艶やかな唇が開くまでの刹那の間、逡巡するがその答えは見つかりそうになかった。


「狩谷の屋敷で言っただろう。お前はまだ何も知らないだけで、これから俺の元で知識を詰め込んでいけばいいって。早速得たんだよ。すごいじゃないか」

「そうですか……?」

「ああ。その才能は大切に成長させて特技にしたらいい。ここからお前の新しい人生が始まるんだよ」


 香雪の言葉がくすぐったい。おまけに頭まで撫でられて、自然と桃花の頬が緩んでしまう。顔を上げれば自信に溢れた香雪が、次いで機嫌が良さそうな鈴振の姿が目に入ったかと思うと、海石榴が抱きついてくる。

 ここまで誰かに愛されたことも、必要とされたことも無かった。ここを自分の居場所にしていいのだと、ようやく光明が射したような気がした。


「私、香草のことをもっと知りたい。香雪や海石榴ちゃん、鈴振さんが大切にしてきたものを……。私も茶館を手伝ってもいいかな?」

 

 暗く閉ざされていた桃花の世界が、光り輝きながら開かれていく。もう誰かの影に怯えなくてもいいのだと、自分らしく生きていいのだと。

 それに気付いた時、頭や胸がうずうずして身体中に広がっていくのを感じた。歓喜で打ち震えるとはこういうことなのかもしれない。


「勿論だ! これからよろしくな。俺の花妻様」


 今なら自信を持って名乗れるだろう。自分は香雪に嫁いだ花妻なのだと。

 桃花は雪消の中から芽を伸ばした花のように、わずかに顔を綻ばせると頷いたのだった。

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