第9話

「こいつが……この親娘が悪いのよっ! わたくしの人生を邪魔して、泥を塗って! こいつさえ生まれなければ、こいつさえ生まれなければぁぁぁっ!」


 鼻息も荒く、憤怒の表情を浮かべた義母の手には小刀が握られていた。その切り先を桃花の首に当てながら、義母は猛り続ける。けれどもその様子を見ても、香雪は取り乱すどころか顔色も変えずに、ただ冷徹なまでに義母を見つめていた。


「本当にこいつだけの責任か?」

「そうよっ! この娘の母親は女中でありながら少し手を付けられただけで、たった十日で身ごもった上に、産まれた子供をわたくしに押し付けて勝手に死んだのよ! 十日で孕んだ子供だからって、桃花なんて名前だけ残して! 生きているのも恥に思うような、もっと惨めな名前を付けてやったというのに……! 桃の花なんて贅沢な名前、この娘には似つかわしくないわ!」

「それだけか?」

「自分が腹を痛めて産んでもいない不貞を働いた婢女の娘を我が子として育てなければならない苦痛、殺したくても狩谷家の後継者として生かさなければならない痛惜。たかが鬼ごときには理解できないでしょうね」

「そうだな。よく理解した。お前たち一家はももの家族に相応しくない。やはり桃は俺が嫁にもらう。お前らは勝手に堕落しろ」


 吐き捨てるような香雪の言葉に義母だけではなく、弟妹や遅れてやって来た父までもが息を呑む。桃花が義母に捕らわれてからというもの、香雪からは怒気と共にあやかしの力の源である妖気が立ち昇っていた。室内を満たす瓦斯のように妖気は広がり、徐々に奥座敷の間の空気を重くする。このいつ爆発してもおかしくない妖気を感じ取っているのは桃花だけのようで、他の家族は誰も気付いていない。

 鬼を始めとするあやかし狩りを生業にする狩谷家にとって、あやかしが発する妖気を感知できないのは前代未聞だろう。あやかしの存在に気付けないまま、命を失ってもおかしくない。これではあやかし退治など夢のまた夢。

 それでもなお、鬼狩り一族としての誇りを自負する家族の姿に、桃花の背筋がぞっと冷たくなる。


「お前たち、何をしている? 鬼の話など聞く必要もない! 早くあの鬼から『落椿』を取り戻すのだ!!」


 一触即発な空気に圧倒されながらも、父は震え声で弟妹たちに妖刀を回収するように指示を出すが、そんな弟妹たちは香雪から発せられる怒気と桃花を人質に殺意を向ける実母にすっかり気圧されたのか一歩も動けないらしい。父は舌打ちをすると香雪を捕らえる呪術を唱え出すが、香雪は鼻で笑って一蹴したのだった。


「いいぜ。『落椿』が必要なら返してやってもいい。その代わり、一つ条件がある」

「なんだ? その能なしなら好きにしていい。持参金は一銭も出さないが」

「お前らが何と言おうと、はなから桃はもらうつもりだ。金なんて必要ない。条件と言っても簡単だ。お前たちがこの妖刀の主に相応しいかを見るために、『落椿』を鞘から抜いて、俺に斬りかかってくるだけだ。最もこの妖刀を鞘から抜いた時点で、妖刀の贄として捧げられてしまうが……。そっちの小さい奴らでもいいぞ」


 香雪は妖刀の柄を父や弟妹に向けるが、誰もが厳しい顔をしたまま固まってしまう。さっきまで恨みを込めて語尾を強く発言していた義母でさえも悔し気に唇を噛み続けていた。

 

「つまりわたしたちに妖刀の生贄になれ、と言っているのか?」

「富と名声を守るためなら命の一つを捨てることくらい造作もないだろう。遥かな昔から鬼狩りの一族として、人間とあやかしどちらからも名の知られた狩谷家が、鬼狩りを拒否したという不名誉な噂を流されるよりずっといい。妖刀に気に入られれば、鞘から抜いても何ともないはずだからな。……それに近いことを桃にも言ったんじゃないか? 妖刀を抜いて、命を捧げる覚悟で俺を斬れと」


 桃花は肯定するように首を小さく上下に動かす。最初に父から香雪の退治と再封印を命じられた際、狩谷家の人間たるもの妖刀で刺し違えてでも鬼を倒すように言われていた。

 実際のところは妖刀の生贄になることを指していたが、あの時の桃花は父の言葉を額面通りに受け取っていた。香雪に教えられる前にもっと早く父の意図するところに気付いていたら、さすがにこの家から逃げ出していたかもしれない。


「どうした? 誰も妖刀を抜けないのか? 桃は妖刀を抜いて、俺に斬りかかってきたぞ。桃には命じた癖して、お前たちは我が身かわいさに出来ないのか?」

「このっ……! 好き勝手言わせておけば調子に乗って、夫や子供たちになんてことを……!」

「黙れ」


 侮蔑とも言える香雪の冷ややかな声に室内の温度が下がる。香雪の目は本気で殺意を帯びている。いつ家族に斬りかかってもおかしくない。

 

(私が止めなきゃ……。だって香雪について行くって決めたんだから……)


 昨晩求婚された時に香雪は言っていた。狩谷家への憎悪で我を忘れた時にそれを諫め、止めてくれる存在が必要で、その役割を狩谷家の血を引く桃花に担って欲しいと。初めて桃花を必要として、生きる意味を与えてくれた香雪の役に立ちたい。そんな香雪が狩谷家のへの怒りを鎮めるための止め栓としての役割を桃花に求めているのなら、桃花はそれを果たさなければならない。

 桃花は乾いた口をどうにか舌で潤すと、震えるような声で香雪に嘆願する。


「駄目……。駄目です、香雪。そうやって怒ったら駄目です……」

「桃……」


 驚いたように香雪が黒目を見開く。そして満足そうに顔を綻ばせると、桃花に向けて妖刀を差し出す。

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