第8話

「香雪でいい。すぐに連れて帰りたいところだが、俺にはまだやることが残っている。手伝ってくれないか?」

「妖刀ですよね? 海石榴ちゃんの魂が宿っている妖刀『落椿』……」

「ああ。お前と海石榴を連れて帰る。それが今日ここに来た目的だ」

「何か考えがあるんですか?」

「まあな。ただこれは海石榴の協力次第にもなるが……」


 桃花が首を傾げている間に香雪は片手で桃花を抱き上げると、そのまま軽々と窓を飛び越える。

 迷いなく歩き出した香雪が向かった先は、妖刀が飾られてる奥座敷とは反対に位置する屋敷の正面に位置する門だった。

 鬼が屋敷内に侵入しているというのに結界だけではなく式神も静かで、それがより不気味さを増さしていた。本来ならこういったことに一番敏感なはずの家族でさえ、身近に迫っている危険に全く気付いておらず、その事実に桃花の背筋が冷たくなる。


「妖刀が置かれている奥座敷に行くのなら、正門よりも裏の勝手口から入った方が近いですが……」

「それが一番楽だが、せっかくだからお前を嫁に貰い受けることについて許可を得ようと思う。仮にもお前の家族だからな」

「どうやって父様や義母様と会いますか?」

「まあ、見てろって」


 香雪は目の前の壁に手をつくように掌をかざすと、そのまま何かを握り潰すように掌をきつく握りしめる。その瞬間、硝子が砕けたような嫌な音が辺りに響いたかと思うと、頭上からぱらぱらと薄い硝子片のようなものが落ちてくる。香雪の腕の中で桃花が身体を縮めて頭を守っていると、香雪が羽織りの袖を翻して硝子片が当たらないように頭に掛けてくれたのだった。

 一拍置いて屋敷の奥から足音と共に叫び声が聞こえてきたかと思うと、やがて混乱と騒めきが小波のように屋敷の中に広がる。そしてその中心と思しき者たちは、桃花たちがいる正門に姿を現したのだった。


「これは何の騒ぎだ! 狩谷家の結界が破られるなど、これまで一度たりとも……。そこにいるのは鬼か。そいつと一緒にそこで何をしている?」

「八百年前の雪辱を果たしにきた。あの日、お前たちが誘拐した妹を取り返して、こいつを嫁にもらうために」

「気でも狂ったか。鬼風情が。お前の妹はもういなければ、それを奪っても痛くも痒くもない。所詮、妖刀の生贄に差し出すために、今まで生かしてきた命だ。生贄に使えないのなら、無用の長物。引き取ってもらって気持ちがせいせいする」

「そうよ。生贄とはいえ、ここまで育ててやった恩も忘れて鬼を屋敷内に手引きした上に、鬼に嫁ぐなんて、お前はわたくしたちに一体どれほど迷惑を掛けたら気が済むのかしら!?」

 

 はっきりと二人に言われた「生贄」という言葉が槍のように胸を貫く。泣きたい気持ちを堪えるように頭を低くして香雪にしがみついていると、香雪は羽織を掛ける手で桃花の身体を引き寄せてくれる。聞かなくていい、聞く必要はないと、言ってくれているかのように。


「無用の長物はお前たちの方だ。こいつの価値に気付いてないどころか、妹の魂が宿った妖刀さえ上手く扱えていない。正しく使えてさえいれば、俺の封印は解かれなかったし、こいつを生贄にしなくても、あと二百年はこの地の守護が続いたのにな」

「何だと……」

「挨拶も済んだことだし、中に上がらせてもらう。案内を頼めるか?」


 最後の言葉は桃花に掛けられたものだった。首を縦に振ると、香雪は土足のまま屋敷に足を踏み入れる。騒ぎを聞きつけた使用人たちが廊下の影から様子を伺う中、桃花は時折香雪に道を尋ねられながらも奥座敷へと向かう。奥座敷へと繋がる次の間に足を踏み入れたところで、二人を阻むように腹違いの弟妹たちが進路を塞いでいたのだった。


「ここから先へは通さないわ!」

「その木偶の坊はどうなっても構いませんが、父上より家宝である妖刀を守るように仰せつかっています。この場所から疾く去ね」


 抑揚のない弟妹の言葉に香雪は怯むこともなく、ただ冷徹ともとれる軽蔑した目を二人に向ける。


「こいつはお前らの姉だろう。なんでお前たちまでこいつを虐める。両親の真似をして大人ぶっているつもりか?」

「違うわ! そいつは姉なんかじゃない! 人の皮を被った羽虫以下の存在よ!」

「そうか。じゃあ姉が羽虫なら、同じ親から生まれたお前たちも羽虫だな。所詮、蛙の子は蛙だ。その意味に気付かない限り、お前たちは両親と同じ道を歩むだけだ。……この家も地に堕ちたものだな」


 香雪の言葉に色を失った二人を無視して、香雪は奥座敷に続く襖を開ける。部屋に入って桃花を畳みの上にそっと下ろすと、床の間で飾られていた妖刀の元へと向かう。


「迎えに来た。……うちに帰ろう。海石榴」


 万感の思いが込み上げているのか、香雪は妖刀を手に目を瞑るとその場で固まる。そんな香雪を見守っていたからか、桃花は背後から忍び寄ってきた足音に反応が遅れてしまい、気付いた時には義母によって羽交締めにされていたのだった。

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