第13話

 幼い頃の桃花は今よりももっとのろまで鈍臭く、何か失敗をする度に両親に手を上げられ、女中長に怒鳴られた。その度に屋敷の裏庭で泣いていたが、そこに姿を現したのが海石榴だった。

 その頃は名前さえ分からず、実体を持たない霊体のように急に現れては消えてしまう海石榴のことを、父が屋敷内に放っている式神の一体だと思っていた。勝手に「しきちゃん」と呼んで、時に慰めてもらい、家族の部屋を掃除した際にごみ箱から見つけた新聞や雑誌をこっそり拾ってきては二人で読んだ。しばらくは定期的に海石榴と会っていたが、徐々に姿を見かけなくなり、ここ数年は全く現さなくなった。

 父が屋敷の警護以外の仕事を海石榴に与えたのだろうと思っていたが、海石榴が妖刀に封印されていた鬼だったというのなら、桃花の前に姿を現さなくなったのには何か理由があったに違いない。

 そんな桃花の心情に気づいたのか、代わりに説明するように海石榴はじっと香雪に視線を向ける。


「海石榴が姿を現すには妖刀の所有者が持つ霊力が必要となる。霊力というのはお前たち鬼狩り一族や陰陽師たちが持つあやかしを見聞きする力だ。それくらいは知っているな?」

「はい。父様や義母様、弟妹たちもみんな霊力を持っています。霊力が高いとあやかしを祓い清めることも出来るんですよね? うちのような鬼狩り一族や陰陽師の家系というのは、代々その霊力が高い一族と言われているとか……」


 人間は誰しもが、生まれつきあやかしを見聞きする力――霊力を持っていると言われている。歳を重ねるごとに弱まり、成人する頃には消えてしまうと言われているが、中には残っている者もいる。それが陰陽師や鬼狩り一族であった。

 彼らが持つあやかしを視認し、祓う力はこの生まれ持った霊力の大きさに比例する。修行次第では高めることもでき、日々あやかし退治で消費する霊力の回復を促進することも可能であった。

 桃花のように霊力を持ちながらも修行を受けていない者の霊力は時間を掛けて英気を養う以外の方法が存在せず、全快までの空白の間は無防備になる。あやかしと遭遇して命を狙われないように用心が必要であった。

 

「お前の屋敷に張り巡らされていた結界というのは、元は海石榴が宿る妖刀から発せられたものだ。その妖刀の力の源流というのは所有者の霊力。霊力と人の魂というのものは直結されているから、どちらかが力尽きればもう片方も枯渇してしまう。妖刀に霊力を注ぎ過ぎても、やがて持ち主の魂まで妖刀に持っていかれる。これが妖刀に捧げられる生贄の原理。その最初の生贄が海石榴だった」


 香雪は淀みなく滔々と話し続ける。

 

「妖刀に魂を喰われるというのも、所有者の霊力切れによるもの。生まれつき桁外れの霊力を持っていれば、そう簡単に妖刀に魂を飲み込まれないし、海石榴は自由に姿を現せて、屋敷の結界も弱まらない。例えばお前のようにな、桃」

「わ、たし、ですか?」

「お前の霊力は桁違いに高い。あの家族の中で誰よりも。だからこそお前だけが海石榴の姿を認識して、妖刀の所有者になれた。もしお前が妖刀の真の主として、鬼狩りの修行を受けていたのなら、俺も入れないような強固な結界が完成していただろうな」


 今でこそ妖刀の所有者は桃花になったが、前の所有者は父であった。香雪が侵入できるまでに結界が弱まり、海石榴が姿を現せないほどに弱まっていたということは、父の霊力が少なかったと考えられる。

 父が妖刀を抜いた姿は見たことがなったが、鞘から抜いたら妖刀の生贄になることを知っていたのだろう。妖刀を抜いた瞬間になけなしの霊力ごと魂が妖刀に持っていかれると知っていれば、そう簡単に抜刀できるはずがない。

 それは他の家族も同じで、香雪に妖刀を抜くように勧められた時に桃花以外の誰も手を伸ばさなかったのは、自分が持つ霊力の弱さと妖刀が欲する生贄の仕組みを知っていたからに違いない。


「お前の家族はお前が桁外れの霊力を持たない小物だと考えたのだろう。それで妖刀の生贄に捧げようとした。俺を退治する命令をして、妖刀の生贄に捧げて、後々妖刀だけ回収しようと……。他の親族や鬼狩りの奴らだって、俺のような強い鬼が相手なら、お前が蒸発した理由は幾らでも想像できる」


 そうして父は桃花の魂を取り込んで力を取り戻した妖刀で再度屋敷の結界を強化させて、鬼狩りとしての地位を不動のものにしようと目論んだのだろう。その企ては香雪と桃花、そして海石榴の手であっさりと外れてしまうことになるが。


「香雪が妖刀を取り返した今、あの屋敷はどうなっているのでしょうか……?」

「自尊心の高い一族のようだからな。きっと今頃、妖刀に見立てた刀を元通りに床の間に飾って、秘密裏に結界の張り直しを頼んでいるんじゃないか。長いこと鬼狩り一族として名を馳せていれば、協力者となる陰陽師くらいいるだろう」

「そうですか……」

「あいつらのことは放っておいて、お前は海石榴との旧交を温めたらいいんじゃないか。妖刀の真の主になったことで、今後海石榴は妖刀から自由に姿を顕現できるようになる。鬼の世界で生きていくのに必要な知識は、海石榴からも教えてもらえるだろうからな。妖刀の扱い方なんかも、俺たちよりずっと詳しいだろう」

「えっ……。妖刀は香雪が持ち歩くわけじゃないんですか?」

「俺は妖刀に頼らなくても自分の力でどうにか出来る。対して、お前は丸腰だろう。身を守るためにも妖刀は扱えるようになった方がいい。全ての鬼が人間に好意的とは限らないからな。……もしかすると俺の花妻になったことで、これまでよりも危険な目に遭うかもしれない」

「それは香雪が鬼の頭目だから……ですか?」


 厳密には鬼の頭目らしいが、香雪はそれ以上を語るつもりはないらしい。朧車の壁に寄りかかって「……まあな」と翳りを帯びた顔をした。

 

「悪いけど、到着までまだしばらく時間が掛かるから、少し休ませてくれないか。お前たち二人を迎えに行くのに不眠不休で動いたからか、ようやく疲れが出てきたらしい。急に身体が重くなった。桃も少し休め」

「そうですね。私も徹夜だったからか、少し眠い……です」


 あの屋敷から遠ざかって安心したからか、それとも香雪と同じように昨晩からの疲労が出てきたのか、桃花は「ふぁ」と小さく欠伸をする。

 両手で妖刀を抱えて、朧車を背に目を瞑ろうとすると、香雪が枕代わりとして膝を貸して、海石榴が母親のように頭を撫でてくれる。

 二人の優しさにこそばゆい気持ちになりながら、桃花は朧車の揺れと微睡みに身を委ねたのだった。

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