狩谷家の秘密

第5話

「この役立たずっ!!」


 朝の空気をつんざくような父の怒鳴り声に桃花は身を委縮する。そして間髪を入れず、義母からの平手打ちを左頬に受けるとその場に倒れ込んでしまったのだった。

 明朝、自宅である狩谷家の屋敷に帰った桃花を待ち受けていたのは、家長である父の叱責と桃花を嫌う義母からの暴力であった。

 出迎えくれた父の書生に帰宅を伝えたところ、寝間着姿で血相を変えて飛んできた父の政仁まさひとと、同じく寝間着姿で現れた政仁の正妻であり桃花の義母でもある早桐さぎりによって、奥座敷へと連れて行かれた。そうして桃花が鬼と会ったことや話した内容を語る前に父は烈火のごとく怒り狂い、義母からは体罰と称して執拗に暴力を振るわれたのだった。

 

「この一八年間育てた恩も忘れて、鬼も退治できないとはなんと嘆かわしい!」

「さすがはあの卑しい女中の子供ね。鬼斬り一族として名高きこの狩谷家の名声に泥を塗るのがなんて上手なのかしら!」

「ち、違います……。母様は関係ありません……」

「おだまりっ!!」


 今度は繰り返し腹を蹴られて桃花は「うぅ……」と声を漏らしながら身体を曲げる。空っぽの胃から胃液がせり上がってきそうになるのを口を固く結んでどうにか堪えると、助けを乞うように父に目を向ける。しかしその父も、情けの無い目でただ桃花を見下ろしているだけだった。


「生き恥を晒して帰ってくるくらいなら、せめて命を捨てる覚悟を決めて妖刀で刺し違えてきなさい! 育ててもらった恩を仇で返すつもりね!」

「この妖刀は、使い手の魂を吸収すると聞きました。魂の数だけ強くなるとも……」

「それが何だと言うのだ! 鬼狩りの狩谷家の一員たるもの。誰かの犠牲失くして鬼は狩れない。一族のために魂を捧げられる名誉を不意にするとは、なんと罰当たりな……。お前など一族の恥だ! せっかく与えてやった死に花を咲かせる意味も理解できない無能に生きる価値は無い! 金輪際、お前に鬼狩りの任務は与えん! 命じるまでこの敷地内から出ることも禁ずる!」


 義母の罵倒、父の発狂寸前の声を聞き流しながら、桃花は心の中で落胆する。やはり桃花の父と義母は知っていたのだ。妖刀が所有者の魂を喰らって力を増幅することや、妖刀を使った桃花が命を落とすことも――妖刀の生贄になることさえも。

 両親の声が聞こえたのか、縁側に繋がる襖からは父と義母の子供たちである桃花の腹違いの妹と弟が事の始終を見ているが、止める気はないらしい。それどころか面白いものを見ているように嫌な笑みさえ浮かべている。

 桃花の腹違いの弟妹にして父と義母の血を引く正当な狩谷家の子供たちでもある、華麗な妹の早映さえと優秀な弟の剛仁たけひとは、使用人たちからも慕われる将来有能な鬼狩り姉弟だが、その実態は裏で両親と同様に桃花を虐める極悪非道な姉弟でもあった。

 普段は両親の顔色を窺って平静を装い、厳しい両親たちよりも優しく使用人に接することで、使用人たちの間でも評判の良い穏やかな主人を演じているが、実際は人目がないところで桃花を殴り、悪し様に扱うような冷淡な一面を持っていた。桃花と違って、二人は物心がついた頃から鬼狩りの訓練を積んで、政府の命令で鬼狩りを行ってきたので、腹違いながらも姉である桃花を見下しているのだろう。

 加えて、鬼狩りについては一切の妥協や失敗を許さない父と義母の苛酷とも言える教育によって、溜まった怒りや苦しさの捌け口として桃花を利用しているのかもしれない。

 二人からの暴行を受け続ける中で、桃花は薄々考えるようになったのだった。

 

(分かっている。誰も助けてくれる人なんていない。いつものように父様と義母おかあ様の怒りが収まるまで、何も考えずに堪えているだけ……)

 

 これまでも義母からは暴力を振るわれてきたが、誰も桃花を助けてくれなかった。父や腹違いの弟妹たち、使用人でさえも。

 それも全て父が正妻である義母を差し置いて女中として働いていた桃花の母に手を出して、十日で桃花を孕ませたから。よりにもよって父との間に子供ができないと義母が嘆いていた時期に……。

 桃花は産まれたものの、母は産後の肥立ちが悪くてすぐに亡くなってしまった。当時を知る使用人の話によると、父が母を助けずに見捨てたとも、嫉妬に狂った義母が母を殺したとも言えるような酷い扱いをしたらしい。

 女中が産んだ子供ながらも鬼狩り一族の血を引く桃花を捨てるわけにもいかず、産まれたばかりの桃花は使用人たちによって育てられて、生きるためにこの屋敷の使用人になった。最低限の読み書きや計算は教わったものの、学校に通うことも、お洒落をして出掛けることさえも許されなかった。それどころか外からの来客に桃花の姿を見られることさえ憚り、少しでも来客や出入りの商人と話しただけで今のように激しく罵倒し、乱暴をされた。中には父と義母を止めようとしてくれた使用人もいたが、主人の怒りを買って解雇されただけであった。次第に桃花と両親の間に関わる者はいなくなり、桃花は孤独となった。

 ようやく桃花が解放されたのは朝餉の時間になってから。実に数時間もの間、桃花は両親から責め苦を受けた。当然使用人も同然の桃花の朝餉は用意されておらず、炊事場に行って使用人用の食事を分けてもらうしかなかった。


「桃花。なんだいその化け物みたいな顔は!」


 炊事場に立ち入った途端、女中たちのまとめ役である年嵩の女中長が声高に怒鳴る。その声で他の女中たちが振り向き、そしてすぐにまたかというような顔で興味を失くす。桃花は事情を説明しようとするが、顔が腫れていることで上手く口を開けず、ただ口を開閉させて、情けない呼吸音を漏らしただけであった。そんな桃花にやがて女中長はわざとらしく大げさな溜め息を吐いたのだった。


「そんな顔で屋敷内をうろつかれても迷惑だよ。あたしが旦那様と奥様に怒られちまう」

「ず、ずみま……」

「仕事はいいから部屋に戻ってな。腫れが引くまで出て来るんじゃないよ!」


 邪険に手を払われると、桃花は背中を丸めて与えられた部屋に戻るしかなかった。とぼとぼと壁伝いに使用人部屋の並びにある自分の部屋に戻っていると、後ろから「桃花お嬢様」と年若い女中に小声で呼び止められる。

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