第6話

「旦那様や女中長からは仕事をしない者に飯を与えるなと言われていますが……」


 そう言って渡された古びた銘々膳の上には、古びた吸物椀に入った白湯と欠けた食器にほんの数枚だけ並べられた漬物の切れ端が載せられていた。


「昨晩も何も召し上がっていませんよね。このままでは倒れてしまいます」

「でも……」

「膳は後ほどこっそり部屋に回収します。では」


 銘々膳を桃花に押し付けると女中は人目を気にしながら足早に去って行く。昨晩の桃花は父の命で鬼を封印しに夕暮れ時に出かけたので、夕餉を口にしていない。その前も朝早くから来客があったことで料理に残り物が出なかったとのことから、朝餉と昼餉も食べていないかった。最後に何か口にしたのは一昨日だろうか。

 ここで長く働いている女中長は両親には逆らえない。二人が桃花の食事を抜くように指示を出したらそれに従う。基本的に食事は両親と弟妹が優先、次いで屋敷で働く使用人たち、桃花はその下だった。

 余りものがあれば食べられるし、何も余りが出なければ食事は抜き。運が良ければ、野菜くずなどを貰って飢えをしのげるが、それも女中長の目がないところでだけ。そんなことを女中長に見咎められたら、両親に告げ口されて数日は食事を与えられない。そうなれば井戸の水を飲んで空腹に耐えるしかなかった。

 食事以外に着物や小物なども使用人以下の物しか与えられない。明らかに使用人が捨てようとしていたものや貧民層が使うような壊れかけたものしかもらえなかった。

 それでも桃花は生かされているだけまだ良いと思っていた。もし本当に桃花が生きていて都合が悪いのなら、母が亡くなった時に娘である桃花も一緒に息の根を止められている。狩谷家の後継者として生かされていたとしても、義母に子供が産まれた時に屋敷を追い出すくらいはしているはず。

 今日まで桃花が生かされていることには意味があると、ずっとそう考えていた。それがようやく昨日鬼の封印の任務を与えられて理解できたところだった。

 その生かされていた理由が、妖刀の生贄に捧げられるためだったとは信じたくなかった。


(でももしかしたら、本当に妖刀の生贄にするためだけに生かされていたのかも……)


 必要最低限の物以外は置かれていない殺風景な自室の窓下に座って、呆然と外を見ながら桃花は考える。せっかく貰ったからと、白湯と漬物の切れ端を口にするものの、顔が腫れて口が開かず、加えて唇の端が切れているのかじわじわ染みて痛い。


「いたっ!」


 白湯が入った吸物椀の縁が唇の傷に当たって小さく悲鳴を上げる。椀から溢れた白湯は桃花の胸元を湿らせ、濡れた箇所を中心に広がった染みがますますみずぼらしさを強調させた。桃花はほとんど襤褸切れ同然の煤けたハンカチを行李から取り出して胸元を拭くが、目からは絶えず雫が落ちてきたのだった。


(こんなことなら、やっぱりあの時、妖刀の生贄になっておけば良かった……)


 手の甲で目を拭いつつ、人知れず涙する。妖刀は屋敷に帰って引っ立てられるように奥座敷に連れて行かれた際に、父に没収されている。今頃は平時のように奥座敷の床の間に飾られているに違いない。どうにかしてもう一度妖刀に触れて、桃花の命を生贄に捧げられないだろうか。

 こんな想いをするくらいなら帰って来るんじゃなかったと、今の桃花はそればかり考えている。


(それともあの鬼の求婚を受けるべきだった? 妖刀を欲しがっていたから、妖刀を持参金代わりに渡したら迎え入れてくれたかも……)


 桃花の怪我を気遣い、丁重に扱ってくれたあの鬼が恋しく感じられる。掌に負った傷を思い出して確認すれば、男が治療と称して口付けた傷はほとんど治りかけていた。これなら痕も残さずに数日で塞がる。

 本来なら敵対しているはずの狩谷家の血を引く桃花に治療を施す必要はない。求婚を断った時点で優しく接する理由はなくなったのだから。

 それでも男が傷の手当てをしてくれたのは、男自身が本来優しい性格であることを現しているのだろう。こんな取り立てて良いところがない、貧相な桃花に愛情を向けてくれたあの男の元に行かなかったことが、今更ながら大損したように思えてくる。

 

「せめて、あの鬼の名前を聞いておけば良かったかな……」

「嫁ぐ気になってくれたか?」


 その声で弾かれたように振り返れば、窓の外にあの鬼の男が立っていた。男は友人の家に来た時のような親しさで窓硝子を軽く叩くと室内を指差す。

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