第29話 決意と閉幕

「潔く……死ねよ」


 抑揚よくようを抑えられた口調に、私の身体は、へびに睨まれたかえるみたくすくみきっている。


「レイニー構えろ!」


 骨の芯まで響く声が全身に警鐘けいしょうを打ち鳴らす。鼓膜を震わす音の波は、徐々に息の詰まる静寂せいじゃくへと沈み込んでいった。まるで嵐の前の静けさのようだ。私は不吉な前触れの前に身をゆだねる他なかった。


「うっ」


 胃から込み上がる不快感に頭が項垂うなだれる。


 落ちた視線の先にある指先に目が触れる。いつのまにか拳は力強く握られており、地面をえぐる爪の付け根は血で滲んでいた。


 目線を戻すと、やなぎのように脱力気味に立ち尽くす彼の姿があった。ただ、眼光だけは確かな意志を持って私をにらみ据えている。たずさえられた剣は不気味に薄暗く光っていた。


 彼は腰を深く落とし、片足を踏みしめる瞬間、地面に深く足跡を残した。彼の一挙一動に神経が張り詰められる。


 足が勢いよく蹴り上げられ、戦闘開始の合図を告げた。


 すかさずレイニーは前方に短剣を投げる。


 後ろに飛び退く彼の前に氷の粒が現れる。すぐさま中心に蜘蛛くもの巣のような氷の糸が根を張って、氷の壁が立ち塞がる。氷の壁に当たる寸前、短剣は瞬時に暗闇へみ込まれた。


 彼はかかとを軸に反転する。彼の目前に突如とつじょとして短剣が出現した。


 彼はすくいあげる上げるように腕を振る。下から先端の鋭利な氷の塊が隆起りゅうきする。


 再び暗闇が短剣をみ込む。ただ、以前と異なって、壁を通り抜けた。


 彼は重心の移動のみで攻撃を避けた。頬を横切る短剣。


「防壁を避けた最初の攻撃は、通り抜けられるとは思わせないためのブラフかな?」


「ちっ」


 彼女の舌打ちには、自身の思惑おもわくが見透かされていたこと対してだけでなく、至近距離の一撃を簡単に回避されたことにも苛立いらだっているように感じる。


 彼女は私の傍から離れずに、間接的な攻撃にしぼっていた。その理由は私にある。接近戦を持ち込めば、私と距離が空き、私への攻撃に対処できなくなる。私が十全に動けさえすれば、幾分いくぶんか楽な試合展開に運べたのに。


 短剣は彼女の前で再び消える。


 次はどんな攻撃を見せてくれるの?と、彼は期待に満ちた妖艶ようえんさを笑みに浮かべている。


 現れた先にはグラフィがいた。


「っ⁉……そういうことか」


 彼女は瞬時に意図を読み取り、飛んでくる短剣をつかむと体をのけ反らす。上半身を起こし、そのまま腕を地面に向けて振り抜いた。その瞬間、空気は圧縮され、泥の飛沫ひまつを上げる音の壁が発生した。


 弾丸で打ち抜かれたような衝撃が空気中を駆け抜けた。


 彼は手の平を向ける。うねりをあげる氷槍ひょうそうが強烈なスピードの飛翔体ひしょうたいへと進んでいく。


「弱っててこれかよ」


 仮面のように表情一つ変えなかった彼は、一瞬だけ苦笑いを口の端に浮かべた。


 短剣の一撃は氷を貫き、音を立てながら破片が崩れ落ちた。


 横に踏み出した彼の足は、地面に沈み込んだ。影から足を引き抜けない様子で、疑問と困惑が交錯こうさくした顔をする。レイニーは彼の背を斬りかからんとする。彼が反撃したところで彼女に攻撃が効かないことは、前の一戦で明らかになっている。


 短剣は彼との距離を詰める一方。まさに前門の虎、後門の狼だ。


 戦いの終結はすぐそこかに思われた。その時だ。


 茫然ぼうぜんと立ち尽くし、自身の敗北に身をゆだねるかのように伏せられた顔が、みるみると不敵な笑みに変わる。


「馬鹿の一つ覚えみたいに、単調なんだよ!」


――万雷ばんらい


「雷魔法だ!逃げろ!}


 グラフィの忠告がとどろく。


 氷魔法のみに頼っていた彼が、初めて雷魔法を使った。私たちは氷魔法ばかりに意識が縛られ、幼少期に彼が修練していた雷魔法の存在を忘れていた。


 一筋の光が地上を照らす。上空へと無意識に視線が向く。網膜が焼き付くほどの稲妻いなずまが漆黒の空を貫き、まるで銀河のようにさえ思えた。


 レイニーは圧倒的な光度こうどに攻撃を止め、怯んだ様子を見せる。


 彼の邪魔をする影は消え去った。彼は上体を反らしてかろうじて回避する。


 今もなお、猛烈なスピードを維持した飛翔体はレイニーへと対象を変える。


 彼は余裕たっぷりにマフラーを巻き直し、そのまま目元をレイニーに向けた。


「君はもう能力を使えない。避けてもいいが、その瞬間、君の大切な人に当たるんじゃないかな」


 レイニーは咄嗟とっさに振り向く。一番危険な彼女は己のことよりも、私を第一に考えているのだ。穏やかな彼女の瞳には憂慮ゆうりょが漂っており、倒れかかるように私へと手を伸ばした。


「大丈夫」 


 彼女は優しく微笑ほほえみかけると、全身が一瞬にして硬直した。そのまま私に覆いかぶさる。背中には短剣が突き立っていた。


 まるで時間が止まったみたく、心臓の鼓動が凍り付いたように感じられる。彼女の手足から体全体に脱力が広がるにつれ、重さが増していく。まるで手の平から命が零れ落ちたかのような喪失感そうしつかんに襲われ、自分の存在すら分からなくなった。


 私の体は彼女の影にみ込まれる。粘着質の液体のようなものが、体にまとわりつくのを感じる。腰まで沈み込んだ頃には、ダンテは中腰で私を見下ろしていた。彼の背後には巨大な氷の壁がそびえ立っている。


「時間稼ぎのつもりかな?まぁいいさ。冥途めいど土産みあげに見せてあげよう」

 

 言い終わるや否やきびすを返え、人差し指を地面に伸ばす。徐々に溝が彫られていき、幾何学的きかがくてきな図形と奇妙な文字が組み合わさる。立ち上がると親指の付け根を噛み、手首をらす。付け根から指先へと大量の血液が流れ落ち、溝を血液がめぐった。


「血を体外に排出するほど魔法の威力は高まるんだ。下のそれは魔力を効率よくエネルギーに変換するための装置。つまりは……」


 彼の背後にできた氷壁が突き破られる。崩れ落ちた先には彼をにらむグラフィの姿があった。


 私は思い出す。"数秒足止めできれば目的は達成できる"という彼の言葉を。壁の向こう側にいた彼女はこの状況を知らないのだ。


 彼は片腕を正面に伸ばす。そのまま指を拳銃のように構えた。


「グラフィさん避けて!」

 

 彼の行動の理由に気が付いた時には既に準備は完了していた。


「魔法陣だ」


 指先から放たれた大木のような氷槍がグラフィに衝突する。不可避な一撃は対象を巻き込み、樹木をへし折りながら地響きを伴って樹海の奥へと彼女を押し込んだ。足元の確かな振動が全身へと伝わる。しばらくすると、あれほどの騒きが嘘のように静まり返った。


「あのですねぇレイニーさん」


 静寂を切り裂く不気味な足音が響き渡る。一歩ずつ距離が近くなるにつれて鼓動の速さを増す。


「じゃま」


 彼は軽やかにレイニーを蹴り飛ばす。どこからともなく現れたラインハルトにぶつかると、彼に被さったまま木々の間をすり抜けて消えた。


 私は影から弾き飛ばされた。

 

「ギリギリセーフだ」


 周囲には再び夜のとばりが落ちる。


 まぶたの裏に焼き付いた白光が徐々に消えてゆくと、夜空には星々が点々を輝くさまがあった。星々の中には野生の獣がひそかに狙っているような冷酷な瞳が一対ある。


「守ってくれるものがいなくなった気持ちはどうかな」


 孤独や恐怖ではなく、自分に対する不甲斐なさにつくづく嫌気が差す。それを十分理解しているのにも関わらず、体はとっくに恐怖によって支配されていた。


 役立たずの自分を恨みつつも、心の底ではその状態のまま甘んじている自分に反吐が出る。

 

 自分の弱さが招いた種だ。


 うつ伏せの体勢で見上げる視線には、あざ笑うかのように私を捉える彼がいる。


 私は尋ねる。


「グラフィさん達は……」


 彼は言葉を途中で奪って、含みを持つように答えた。


「死んだよ」


 まただ。自分はまた人を殺した。肺を両腕で締め上げられるような圧迫感が体中を支配する。嗚咽おえつが止まらずに唾液だけが漏れる。


「短剣には猛毒が塗られてたようだ。まぁ、自分に刺さってちゃあ本末転倒だけど。ばかだねぇ。自分の能力に過信しすぎて視野が狭くなる。グラフィさんは……」


「これ以上喋るな」

 

 彼の体を支えによじ登る。右足の欠損した体を必死に持ち上げた。指先の血が彼の服を赤く染める。両肩を掴んだ腕に力を込めた。


 このまま己の不甲斐なさに目を塞ぎこんでしまえば、一生くそったれた自分のままだ。これ以上自分の所為で人が死ぬのはごめんだ。


 今でもこのまま何事もなかったかのように消えてしまえばと思っている。ただ、それを行動に移せば私は死んだも同然だ。


 本当に自分は馬鹿だ。笑いが込み上げてくる。誰もいなくなった今、自らの運命に立ち向かう覚悟を決めたのだから。


 私は見上げる。やはりその顔には高慢こうまんさが滲んでいた。周囲の人々を見下すような瞳で私を見下ろしている。だから接近をここまで許した。


「……殺してやる。殺してやるぞダンテ!」


 口にした言葉に反して、思考は異常なほどに澄んでいた。勃然ぼつぜんたる激高とそれ以上の冷静さに戸惑いを持ちつつ、咄嗟に思い付いた一縷いちるの望みに命をけた。


 私は右拳を彼の顔面に向けて放った。


「うっ」


 私の拳は氷に覆われた。まるで拳の中に燃える炎を握りしめたような激痛が広がる。


「右手にかすかな膨らみがあるな。何を持ってるのかな?」


 やはり筒抜けだった。苦痛の顔を彼に向ける。


「……爆弾かな?したたかな女だ。あの時に渡していたのか」


 影に私がみ込まれた際にレイニーが渡した爆弾。小粒だが、私の手で隠すには大きすぎた。


 だけど……。


「なにこの音」


 彼は怪訝けげんに眉をひそめてみせる。


 閑寂かんじゃくとした空間にはそぐわない、連続した異音が鳴り響いていた。氷の内側には気泡がいくつも沸き立っている。


「馬鹿かよ!お前の体に回復魔法は効かないんだぞ!」


 彼の眉間で停止する拳は、爆発も轟音もなく、ただ静かにその場に留まっている。氷はみるみる乳白色に濁っていく。


 拳に握られているのは煙玉。あの時に手渡されたものの一つだ。


 前の戦闘中、彼は動く必要のない攻撃には氷魔法で対処していた。私の攻撃も彼の行動パターンに当てはまっている。そして、私の予想は的中した。拳に隠された爆弾が見破られることも想定内だ。


 しかし、彼はだまされた。爆弾を使った相打あいうち覚悟の捨て身ではなく、煙玉を用いて拳の中を誤認させることに意味があった。わざわざ退避用の煙玉を至近距離で投げつけるだなんて考えもしなかっただろう。


 わざわざ煙玉を点火させたのにも理由がある。


 煙玉が起爆し終えた今でも、燃える音は途切れずに静寂な空間にこだましている。


 下は泥濘ぬかるみで落下音を吸収するのに最適だ。拳を彼の顔面に突き出したのも、彼の意識を拳に集中させるためだ。燃える音は煙玉の燃える音と一体化する。


 レイニーをけなした言葉、そっくりそのまま返してやる。


「……自分の能力を過信しすぎなんだよ」


 彼の背後で爆発音がつんざいた。


 


 爆発の衝撃により意識は白濁はくだくに包まれる。まるで荒波の中にいるかのような錯覚に襲われた。


 地面に手をつき、肺に溜まった熱を外気にさらした。右手は真っ赤にただれている。煙玉といっても火薬が使われているのだ。そのため、拳や氷に覆われても燃焼してくれたのだろうが、爆発の衝撃で骨の何本かは折れている。激痛によって、体全身が熱く感じられた。


 耳鳴りがだいぶ収まってくると、うつむきがちの顔をダンテに向けた。彼は地面に突っ伏していた。彼の足は、それが足だったのか判別できないほどに無残な状態であった。彼ほどではないにしろ、私の足も例外ではなかった。


 彼の足をれた砂や石によって、左足はずたずたに引き裂かれている。ただ、骨までは至っていないようだ。力を振り絞れば短い距離、たぶん生きているグラフィの下へたどり着けるだろう。あのような攻撃で死ぬビジョンが見えなかった。


 地面に転がっている松葉づえを持って立ち上がる。


 人を殺めてしまった罪悪感にほだされるように、私の視線は彼へと向く。すると、彼の体は液体のように徐々に溶け始めていた。何が起こっているのか分からず、ただ見つめるしかなかった。しばらく様子をうかがっていると、溶けているのと同時に、それまで赤々としていた液体が透明に変わりつつあることに気が付いた。


「……水?」


 半透明に変化していき、そこには彼の姿そっくりにかたどられた氷の彫刻があった。


「やられちゃいましたか、僕の分身」


 アパナ聖殿からこちらに歩いてくる人影が見えた。


「いつからですか?分身と入れ替わっていたのは」


「村であった最初から」


「だからあなたの体に触れた時、氷みたいに冷たかったんですか」


「体が冷たいのは元からっすよ」


 ダンテはアパナ聖殿で分身を操作していただけ。元から私の勝つ可能性はどこにもなかったのか。その点を踏まえれば、彼の見せた余裕そうな態度にも合点がいく。


 視界がぼやける。目に涙が溜まっているのを感じる。


(自分は死ぬのか)


 意識の白濁に伴って力の抜ける体を支える腕があった。ダンテの腕かと思ったが、彼の姿は曖昧でぼやけた視界に映っているだけだった。私を支える筋肉質で無数の傷がある腕。暗転する視界と共に、意識は微睡まどろみの奥へと沈み込んだ。

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