第28話 変革者

 ダンテは前屈みの姿勢で腰を深く落とす。腕はだらしなくれる。明瞭めいりょうだった輪郭はたちまち風景との境をなくしてゆく。


「…………」


 人格が抜け落ちるみたく沈んでゆく彼の表情。森の音に遮られずに声が届く距離にいるものの、心はずっと遠くにあるように思えた。


「ダンテ!」


 見返るグラフィの金髪が大きく振れる。反射的に声の主へと意識が向いた。すぐさま視線を戻すと彼の姿は煙を払ったように消えていた。


 息をするのにも慎重になるほどの緊張が、森の陰湿な空気を上書きする。


 あまりにも脈絡に欠けた彼の行動は、すくみ切った足を後退させるには十分すぎた。


 その時は唐突に訪れる。


(いつのまに⁉)  


 眼前の者は片足を前に踏み込み、腰にたずさえたさやに手をける。腰を落とすと黒髪は軽く浮き、現れたのは月明りよりも冷徹な眼光だった。


 瞳には私の姿が鮮明に映り込んでいた。


 光が跳ねた。


 さやから解き放たれた剣身は斜め上に切り上げられる。白刃しらはは稲妻のようにひらめく。彼の背後から吹き抜ける疾風しっぷうが私の髪を巻き上げた。


 このまま死ぬのだと思った。ようやく死ねる。死の実感を持たぬまま、数秒後には電源が落ちるみたくプツリと。。残りの命は余剰よじょうのようなものだ。自殺できる器量なんてなかった。だから今の状況は相応の結末なのだろうと、彼の瞳に宿る殺意にてられる直前は本当に思っていたのだ。


 だが、寸分違すんぶんたがわず喉元を狙う剣筋とは裏腹に、いとも呆気あっけなく空を切った。


 攻撃が空振りに終わったことに安堵あんどする自分がいる。死を覚悟した自分には大層惨めだった。自分で死ぬこともできず、自らが望んだ死にすら揺らいでしまう薄弱さに。


 大きくのけ反った私への二撃目が来る。すると、私と彼とのわずかな隙間に割って入る者の姿が見えた。乱入者の体は剣に突き抜かれたかのように思われた。


 「⁉」

 

 ただ、不自然なことに体を貫かんとする途中、体内で剣が突如とつじょ消失したかのように、背中を突き破るまでは至らなかった。


 根本まで腹に剣が突き刺さったまま、漆黒の衣服に身を包んだ者は短刀をいだ。


「チッ」


 ダンテは横に腹を裂き、遠心力で回転するように回避、流れるように距離を置く。彼の手にある剣身は以前と同じように途切れてなかった。


 私は吸い込まれるように尻餅をついた。


 未だに意識は死のふちに取り残されたまま。しかし、首筋に伝わるぬるい感触だけはハッキリと感じられる。


 おもむろに首筋へと手をわせる。目の前でひるがえすとそこには黒々とした血液がこびり付いていた。見た目以上に傷は深くないようだ。最初はそれがなんなのか分からなかったが、自分から流れ出た血液であると認識した途端、現実味を帯びる死が虚脱状態きょだつじょうたいにある私を無理やりに現実へと引き戻した。


 大きさを増していく木々の騒めき。まるで停止した世界が意識の回復とともに動き始めたようであった。意識の復活は先刻せんこくの記憶をありありとよみがえらせた。


 あの時、彼は確かに喉元を狙っていた。大きく踏み込んだ一撃はどうにも回避できるようなものではなかった。だが、剣先に喉元が触れようかといった瞬間、体は後方に投げ出されたのだ。


 腰の抜けた私の眼前でダンテと対峙たいじするレイニーの背中。影に潜れる能力を用いて剣をみ込み、攻撃を無効化したのだろうか。なんにせよ私を救った者の正体は想像に難くなかった。


 徐々に状況を把握するにつれて感じる、ことの異常さ。なぜ彼は私を殺そうとしたのか。その考えが腹の奥に居座り始める。一度は脈を止めた心臓は今では収まりがかずに痛いほどであるものの、裏切りの三文字が濛々もうもうと意識内によどみ始め、もはや自分にとって痛みなんぞした問題ではなかった。


 私たちの前でみせた彼の姿はまるっきり演技だったのだろうか。私の中で築き上げた彼の印象、信頼が音を立てて崩れたように思えた。


 当惑する気持ちを整理できないまま、おずおずと顔を上げる。視界の先には、まぶたを細め冷ややかに私を見据える彼がいる。額の影に潜む黒目には人情にんじょうなぞありはしなかった。


 山道から降りてくる風が耳障りな音を立て吹き抜ける。


 しばしの静寂せいじゃくの後、口火くちびを切ったのはグラフィだった。


「てめぇが何をしたか分かってんのか⁉」


 彼が振り返るあまりの速度に、瞳が帯状の光を放ったように思えた。


 半身を反らす。彼女に向けられる手のひらから突如として現れた円錐状えんすいじょうの氷が地面をった。


「動くな」


「グラフィさん!」


 村での時のように足を狙ったかのように思われた氷は突然軌道を変え、彼女の眉間でぴたりと止まった。


牽制けんせいのつもりかよ。そんなもので止まるとでも?」


 彼女は身じろぎ一つなく視線を向ける。今にもみ殺さんとする剣幕けんまくだ。


「もちろんそのつもりっすよ。平和ボケでカンが鈍ったんじゃないっすか?そもそも村に居たときより弱くなってません?」

 

 彼女が少し怯んだ顔を見せた。


「やっぱし洗脳者に何かされたみたいっすねぇ。すーっごく動きが緩慢かんまんになってますもん。グラフィさんの反射神経なら軌道を変えた時点で避けられたんじゃないっすか?」


「避けるまでもない、そう思ったからだ」


「おーおー、強がっちゃって。まぁ、今の状態のグラフィさんに勝とうだなんて微塵みじんも思ってないっすよ。戦って互いに五体満足とはゆかないでしょうから。んでも、そんなことは重要じゃないっす。知りたかったことはグラフィさん相手にも数秒足止めできること。それさえ分かれば目的は達成できる」


 再び目線は私へ向く。ほとんど体温が凍り付いてしまったような無表情である。私は血の気が引いてゆく。


 レイニーの喉奥から空気が漏れ出している。思わず耳を塞ぎたくなるうなり声だ。


「これ以上ふざけるなら殺す」


「……んっ?あぁ!」


 初めから居なかった者を見るような目つきで彼女に顔を向けた。


「そういえばレイニーさんってばいたんっすねぇ。いやぁもう、図体がデカい癖して存在感が薄いのなんのって」


「……殺す」


 しゃくさわることばかり饒舌じょうぜつくし立てる。イラつかる彼の言動には意図があるのか、それともただからかっているだけなのか、今の私には判断できない。


「あなた達って本当に、おめでたい頭っすねぇ」


 彼はニタニタと笑みを浮かべるも、目の奥に潜むゾッとする冷徹さまでは隠しきれていなかった。


「はぁぁあぁぁ」


 肺に溜まった鬱憤うっぷんを吐き出すみたく溜息を漏らす。彼の眼前には白い煙が滞留たいりゅうした。空気をき混ぜるように、鉾先ほこさきを背後にいる私へと向けた。するとかすみが渦を巻きながら移動し、ハッと息をむほど端正たんせいな顔立ちが現れた。顔が隠れ出現する、その一瞬で雰囲気がどことなく変わったためか、見慣れた顔つきが別人のように思えた。


 彼は斜め上の空白をじっと見つめている。暗に無関心さを示しているようであった。レイニーの放つ殺気にすら少しも動じていないように思える。二人の敵意に挟まれながらも平然とした態度を崩さないのは慢心まんしんのためか、それともこの状況を乗り越えうる算段を持った悠然ゆうぜんさからくるのか。  


 一身に視線を浴びる彼は、我々が真っ先に考えた最悪の事態を見通していた。


「あらかじめ言っとくけど、洗脳されてるわけじゃないから」


 レイニーの肩越しに私を見据えた。彼の黒々とした瞳に私の顔が映ると、すぐさま私はグラフィに目線を移した。洗脳のこともダンテのことも、この中で一番詳しい彼女なら発言の正否を明らかにしてくれると思った。


 ……いいや多分違う。瞳に映った私への嫌悪感に耐えられなかったのだ。


 視線の先にはしわを深く刻ませた顔が遠くに浮かんでいる。


「残念だがダンテは素面しらふだよくそったれ」


 彼女の目は確信に満ちていた。医者としての知識と経験が見立ての正しさを裏付けるのだろう。ただ、だからこそ豹変ひょうへんに一番の困惑を見せていた。


 レイニーは胸の位置で構えた短剣を強く握る。


「アザミ様を狙う理由は何だ」


「……あなた達の甘さが招いた結果でしょうよ。ちゃんと説明してれば転移者としての自覚が芽生えたはずなのに」


 説明って何のことだ?自覚って何の話だ?


「ねぇアザミ君?」


 なに被害者ズラしてんだよ。


 確かにそう聞こえた。


 冷静だった瞳はみるみる憤慨ふんがいの色に変わる。しばらく私の顔をめつけ、「ふう」と何かを吹っ切るみたく、理解力のなさをあわれむみたく、腰に手を当て溜息をついた。


「転移者は厄介者だって伝えたはずじゃないか。自国に対して害になる存在を排除しようとして何が悪いんだよ」


「自分をおとりくだんの術師を捕まえるって……」


「死にたがってる癖して死にたくないって、そのふざけた態度がイラつくんだよ」


 またも彼は目を閉じて溜息をつく。今度は私に対し見切りをつけたみたいに。間をおいて「めんどくさ」と呟く。すると底冷えする冷気と息が詰まるほどの圧迫感が綯交ないまぜとなった一陣の風が吹く。あの時の村で起きた異常な寒さと同じだった。


 凍てつくような口調で朱色の唇を揺らした。


「あなた達転移者によって、世のことわり足りえたものは根底からくつがえされたんだ」


 頸動脈けいどうみゃくを指先でもてあそばれるみたいに、頭にのぼった血が引いていくのを感じる。


「転移者が現れる前の大昔さ。その時代には魔族による人類領土への侵攻が苛烈かれつを極めていたんだ。魔族の圧倒的な能力には歯が立たなかったのさ。んで、袋小路ふくろこうじの状態から脱却だっきゃくするために発明されたのが、別世界の者を召喚する魔法陣ってわけ。その結果がさっき言ったことさ」


 世のことわりは転移者によってくつがえされた。


 まるで神の使徒である天使がこの世に降り立ち、統制を始めたみたいに。


 混乱を極めた時代に魔族を打ち破る存在の出現は、人類にとってまさしく神の御業みわざそのものだろう。


「彼らは気づいたんだ。転移者は英雄ではなく、自己意志を持った兵器であり、必ずしも味方になるとは限らないのだと。だから、かの戦争後の戦力が低下したすぐに魔王の件を槍玉やりだまに挙げ、提示する要求を認めざるをえない状況を作り出し、今後アパナ聖殿の立ち入りの一切を禁止する制定を策定したんだ」


 魔族への抑止力のために生み出され、なおかつ意志を持った存在。人は制御できないものに恐怖を覚えるという。だから転移者は恐れられた。  


 異世界の事柄ことがらに詳しくない私はいまだ、情報の精査と把握が難しくあった。また、それらを理解しても受け入れる時間が足りなかった。ただ、途方もない話がでまかせではないと思わせる説得力がある。グラフィ達が反論しないのも説得力を増幅させる一因であった。


 だが納得できない点もある。


「でも、転移者がいなくなったらまた魔族が攻め込んでくるんじゃ……」


「いいや、もう転移者は必要ない。その力は子孫に受け継がれたのだから。転移者とまではいかずとも、魔族に対抗しうる力を持つ新たな存在『神と人の子へロス』が生まれたから」  


 彼は招くように両腕を広げた。


「そしてそれは、僕だ」


「魔法の才能は血統によって決まるんだ。魔法と血液とは関係が深いからね。貴族らは転移者の血が濃い者を自らの親族と掛け合わせ、一族の力を高めていった。その結果が僕ってわけさ。一般人の中で魔法が得意といえどもせいぜいコップ一杯を凍らせれる程度。これくらい言えば、この世界にうとい君にも分かるだろう?」


 彼の発言は、彼ほどの力を有する者の存在を示唆しさしている。転移者ほどとはいかずとも、魔族に対抗できる新たな存在が生まれた。だからこそわざわざ転移者に頼る必要はなくなった。


「この国に現れた転移者の存在を知られちゃいけないんだよ。世界を一変する能力が一国に集中していることが流出すれば危険視する国が現れ、結果的に戦争はまぬがれないだろうしね。芽は早めにむべきだ」


 彼は語調ごちょうを整えるように深く息を吸ってみせた。


「つまりは、このデメリットを抱えてまで君を生かす理由はないってこと。これで襲う口実こうじつは伝えたわけだし、気兼きがねなく君を殺せる。これ以上迷惑をかけたくないなら、……いさぎよく死ねよ」

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