第6話 恐怖の名を冠する魔物

 小刻みにタップする雨音とともに、雨の匂いはより一層強烈に香る。針のように細く、線を描くほどの、しとしと降る小雨であった。むろん、悉く灰色に染まるは雨粒も例外ではなく、死んだ風景のように嫌に小気味悪いのである。


 ぼうぼうと燃えるストーブは、冷え切った空気を解凍するものであり、私たちのいる空間だけが、その色彩を取り戻していた。しかし、その光は決して煌々こうこうとしたものではない。部屋のすみは池の底のようにぼんやりと、そして段々と暗さを増す様子が、恐怖というものを連想させ、不気味なのである。


 仄赤く照らされた影が生き物のように揺れる。


 気が滅入るほどの湿気によって、ふやけた木床をぐっと踏みしめ、彼女は話し出した。



「ここはサクラ村、以前はそう呼ばれていた。300年前を境に大半は廃村となってしまったが、この村も例外ではなく、その名残は以前の生活をそのままに、こうやって取り残されているんだ。お前も見ただろうが、ここにいる兵団はこういった廃村を中継地として利用している。そこにお前の仲間がやってきたそうだ。」


「仲間…。」


 同じ服装だから、仲間だと判断したのだろう。


「あぁ、その場面に俺は立ち会ってはいないが、兵士から聞いた話だとそうらしい。もともとは任務の帰りでこの村にいたそうだ。そこに彼らがやってきて仲間の救援を求めた。兵士たちはその怪我を負った者たちのいる森へ出向かうと、まぁ、こういった有様だったってわけだ。」


 彼女はちょいとベットへ顎をしゃくる。  


 無残なほど痛ましい、クラスメイトの姿が、静かに横たわっていた。


 せきかねる憐憫れんびんの情が、心臓を鷲掴みにするようであった。まるで骸のようだと感じた瞬間、まさかと思い、心臓が跳ね上がった。


「もう他には、仲間はいないのですか?」


 見える限りだと、三人しかいない。


「さぁな、王都へ向かったやつを除くとこれだけだ。」


「そう、ですか…。」


 クラスメイトはあとどれだけ生きているのだろうか。


 遺跡で見たあの光景がフラッシュバックする。


 映像が稲妻のように明滅する。あの映像が脳内を過る度に、明滅と共に脳に激痛が走る。


 苦虫を潰したような表情を見せた私を励ますように、「峠は越えた、あとは意識が回復するだけだ。」と、彼女は言った。


「ありがとう、ございます。」


 煮え切らない返事。


 見るも無残な姿でベットに横たわるクラスメイトの姿を、虚ろな瞳でみる。


 まるで生気を感じられないその姿は、ありありとその惨劇を語る。


 しかし、ささやかな生命の営みは、確かにそこにある。


 喜びとも悲しみともいえない、何とも筆舌に尽くし難い感情が渦を巻く。


 

「………うっ⁉」


「心配すんな。」そう彼女から背中を強く叩かれる。


「お前がこんな顔してたら、立つ瀬がなくて起きるに起きられないだろうが。必ずこいつらは目を覚ますさ。医者が言うんだ、間違いない。」


 彼女はニカッと笑う。


 彼女の言う言葉は、何だか私を信用できる気にさせる。


 だいぶ気が楽になった。


 考える余裕ができたのだろう。今まで奥底に沈んでいた言葉が呼び起こされる。


「私たちを助けて下さり、本当にありがとうございます。」


 彼女は目を丸くする。しかし、その言葉を意味を理解したのか、


「どこの誰であろうと助けるのが医者ってもんだ。当然の事をしたまでさ。」


と、獅子っ鼻をちょいとしゃくって、得意げにそう言った。

 

「しかしなぁ…。」


「どうかしましたか?」


 海に揺蕩うクラゲほどの、どうにもつかみどころのない彼女の呟きによって、私の奥底に黒ずんだ不安が淀みじっとしている。今にもそれは浮かび上がりそうで、夕闇へと溶けてしまいそうだ。


「お前のその足は魔物によって切断された訳ではないよな?お前の足のそれと、彼らの傷は明らかに異なっているんだ。おかしいとは思わないか。なぜ傷の種類が違うんだって。もちろん俺の患者には四肢が欠損している奴はいるが、お前みたいな傷を持つ者はいない。」


 欠損しているが出血はしていない。その状態は明らかに異質だ。しかしなぜ、どのようにしてこうなったのか、分からない。


 彼らの傷は魔物によって付けられたと聞いた。


 しかし、一つだけ気になる点が存在する。


「魔物とは何ですか?」


 彼女の言葉に登場した『魔物』というワード。セシリアからも耳にしたその言葉は、ファンタジー設定の物語の創作上の生物である。


 別にその言葉の意味を理解していない訳ではない。ただ、この状況で魔物という言葉が出ることが、私にとっては異質なのだ。もしかすると、認識上の違いであるかもしれないため、そう私は聞き返した。


「魔物を知らない?」


 彼女は訝しむ。


「魔物は純粋な魔力を宿した生物。一般の動物とは異なった特徴を有する分類体系だが…。」


 彼女は怪訝そうな顔でそう答える。


 もし、彼女が言うことが正しければ、本当に私の想像する魔物が存在するのか?


 直接魔物を目にしたことがないため、私の理解の及ばない現実に目を逸らしてしまう。しかし、彼女が冗談を言っているとは到底思えないのだ。


 信じたくなくとも、信じざる負えない。


 あぁ、本当に魔物が存在するのか。これでは本当に物語の世界へ入り込んだようではないか。


「魔物は、見たことがありません。それは聖殿にいたときもそうでした。魔物が聖殿にいたとセシリアさんが仰っていましたが、その足がその魔物によって付けられたものなのかも、分からないのです。」


「見たことがない?それはこういうやつもか?」


 そういうと彼女は、その魔物を羊皮紙に書き出し、私へと手渡した。


 顔は黒く塗りつぶされ、体毛は存在しない。異様なほどに手足の長い四足歩行のそれは、根源的な恐怖を体現したような姿であった。まるで深淵に潜む怪異のようなその姿に、身の毛がよだつ程の恐怖を感じた。生き物ではない、それは恐怖そのものなのだ。生理的に忌避感を抱かせるそれは、到底生物とは思えない。見てはいけない禁忌の存在であると、潜在意識に刻み込ませるのだ。


 あんな化け物があそこに、それもすぐ近くにいたっていうのか。


 その事実が、ことさらに恐怖を募らせる。


 背筋に張り付いた氷を払いのけるように一つ、身じろぎを取る。


「私は、その…。このような怪物を見たことがありません。」

 

「はぁ?聖殿には魔物がいて、お前もそこにいたんだよなぁ?じゃあなんで、お前だけ襲われていないんだよ⁉」


 語彙が強くなる程に、彼女は困惑の色を見せていた。彼女にも到底理解できない不可思議に直面しているようで、健康的に焼けた肌の血の気が引くのが目に見えて分かった。それも私は同じで、右足で直面した不可思議を再び、相まみえようとしているのだ。


「目を覚ますともう、仲間は死んでいて…。えっと、いつから聖殿にいたのか…、うぁあ、分かりません…。」


 何も分からなくて、しどろもどろになって、言い淀んでしまう。


「はぁぁぁぁ…。」


 彼女は低く唸るようにして溜息をする。その溜息から零れる苛立ちが私を責めているように感じ、私の肩が跳ねた。私の様子を察した彼女は「別にお前に怒っている訳じゃない。理解できないこの事情にイライラしてんだよ。」と言った。


「はぁ…、紙に描いたあれは、あの聖殿を守護する魔物なんだ。見ての通りかなりの残虐性と執着性があってな。侵入者を発見した次第には、ありとあらゆる方法を用いて対象を死へ追いやる怪物だ。生き残った奴らは奇跡といっても過言ではないほどにな。しかしだ、お前だけが襲われないなんてある筈がないんだ。」


ビー玉を溶かしたような瞳は、恐怖の色を透かす。


その瞳に映る私の姿。


「お前は一体何者なんだ?」


 

 

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