第22話 低迷
幌馬車にはグラフィがいる。その様子は落ち着きがなく、自身の怒りを自制できないで震えているように思えた。彼女の表情は陰り、それが緊張感となって辺りに充満する。ダンテは時折、何かを訴えるような
「そんな風に見られても彼女の怒りを宥めることはできません」なんてはっきりと言える胆力が私にあれば良かったのだろうが、彼女が隣り合わせで座っている状況ではてんで無理な話であった。彼の瞳に宿る悲痛な叫びを無視して、知らぬ存ぜぬといった風に、私は風景に意識を飛ばした。
「俺たちはいつまで同じ道を往復してたらいいんだよ。本当にこの道で合ってんのかよ……」
誰を責めるでもない彼女の嘆きが夜のしじまに消えていった。彼女の言う通り、森の中を縫う荒涼とした悪路を幌馬車は進んでいた。しかし、代り映えのない木々と漫然とした暗闇があるだけで、私から見ればどの道も大差ないように思えた。目をじっと凝らすもそこには不鮮明なモノクロの景色があるだけで、いたずらに瞳を冷たい風に晒すのみであった。そんな風景が風と共に流れていった。
「レイニーはこの状況を把握しているのか?」
彼女は馬の手綱を握るレイニーへ呼びかけた。ほぼ自問自答のような口調であったが明確なまでにレイニーに向けられており、暗く沈んだ声の響きには明らかな怒り以外の感情が読み取れた。彼女は少しの間の後に返事をした。
「あの時と状況が異なりますから、今の状況に関しては曖昧な認識です。確かにこの方法なのですが、いささか疑問に思えてきました。さすがに大丈夫だとは思うのですが……。ご期待に添えない回答で申し訳ございません」
彼女の丁寧な話しぶりが風切り音の僅かな隙間から流れてくる。幌から外と内とでは別世界のようで、レイニーの言葉はフィルター越しにくぐもって聞こえる。案内役であるにも関わらずその曖昧さにグラフィは語気を強めた。
「なんなんだよその漠然とした説明は!お前が道筋を知っているから幌馬車に乗っているんだろうが!それを分からないってなんだよ!?」
そこでしばらくの沈黙が続いた。レイニーの感情を雄弁に語っていた。
「私は道筋を知りません。そこまでの身分は私にはありません。私はただ、目的地へ至る“行き方”を知っているだけです」
抑揚を抑えた冷ややかな口調は、未だ判然としない目的地への焦燥感や、グラフィの厳しい批判を含んだ語勢への不満をありありと伝える。決して熱を帯びたような口調ではなかった。しかし、拍車のかかる淡々とした様子には苛立ちが感じられた。
それからというもの、互いに押し黙ったままこれ以上の会話はなかった。ちらりとグラフィを盗み見ると、ただ頬に手をやって外の景色を眺めているだけであった。今度はレイニーの姿に目線を向けるも、背中だけが哀愁を漂わせて顔色を見なくともそのありようが現れていた。どちらも不貞腐れていた。四方から沈黙に圧迫されるような雰囲気に私は息が詰まる思いであった。
グラフィは私の視線に感づいても、気持ちを悟られまいとぎこちなく笑ってみせた。それは彼女なりのやさしさ。いつもなら快活さを漂わせる笑い方も、その鳴りを潜めているさまは実に痛々しかった。
グラフィの主張には一切の綻びがない。私もそれについては同じ意見であった。目的地を教えられないまま、幌馬車に揺られているこの状況は決して望んでの行為ではない。曖昧で重要な所は省かれた説明でしぶしぶといった感じなのに、説明した本人が「分からない」などの
しかし、それ以前にもグラフィの様子はどこかおかしかった。反応がワンテンポ遅れることがままあり、その時は大体、瞼の裏に思案を浮かべているような表情をしていた。彼女が何か確信に迫ろうとしているのではないだろうか。彼女がレイニーにみせた怒声に怒り以外の感情が含まれているのを私に思わせたのも、たぶんこの所為だろう。具体的には何に気が付いたのか、それが分からないのは実にもどかしい。
そんな各々の感情が重なり、グラフィとレイニーには心の乖離が生まれていた。
遠くばかりと漫然と見つめるグラフィに代って、蝋燭の仄赤い光に不安げな影を映しているダンテがひそひそと、そのくせ淋しさを顔いっぱいに溜めてレイニーに質問を投げかけた。
「セシリアさんのときはどうだったんすか?」
唐突なセシリアの名前に少々驚きはしたが、口を挟んでも仕方がない。冷たい湯気が煙る空気に私は耳を澄ました。
「セシリアさんは目的地をご存じでしょう。今と同じ状況で彼女は降りられたので、そこから先はどのような経路で通ったのかは不明ですが」
グラフィは顎に手の甲を置いたまましばらく唖然としていた。横顔から見える彼女の閉じられた瞼は少しの痙攣を残して、思案を浮かべている仕草をみせた。ピクリ、ピクリとした不規則な震えは、流麗なまつげを棚引かせていた。
「ないことはないだろうが可能性は低いだろう」
艶やかな影と肌とを同化させて、暗闇にじっと潜ませていたグラフィが、ふいに言った。いささか突然だったので私はおもわず肩を跳ねさせた。
「セシリアは騎士団長の称号を持つが、騎士としての経験は数年程度だ。そんな若輩者に重要な情報を伝えるとは思えない。今の現状を知った王族が、やむを得ずアイツに伝えた可能性も否めないが、こうなる以前にセシリアは情報をどこかで入手していた。じゃなきゃ兵士にわざわざ嘘の情報を流布できないし、村から王都まで片道二日もかかるのにどうやってセシリアに情報を伝達したか疑問が残る。アイツがもともと知っていたと考えた方が辻褄が合う。じゃあどうやってその情報を入手したんだ?その情報を知る王族だって特定の人物に限られるだろうし、そもそも誰が持っているのか分からない」
セシリアは目的地を知っているはずなのに、その情報は知りようがないんだ。
彼女は言い終えてからしばらく唖然とした表情を顔に張り付けていた。セシリアに対する猜疑心の表れが言葉の波となって吐き出されたのだ。彼女自身、取り憑かれたような饒舌さに驚きを隠せないようであった。彼女は下唇を噛みながら、目元ほとんどが分からなくなるくらいまで俯く。そのまま再び暗闇の中に溶け込んでいった。
さも関係がないように存在感を消していたダンテを私はキッと睨む。彼は自身の潔白を証明するように首をぶんぶんと振ってみせた。騎士団長の補佐をする彼ならセシリアの秘密を知っていそうだが、態度が嘘を付く者のそれではなかった。だから視線を逸らしてやる。
幌馬車によって着崩れした衣服を整えると、その目の端にグラフィの横顔が見えた。ただ落ち着かない気持ちを取り繕うだけの動作で彼女を視界に捉えた。妙な不安が瞳のガラスから彼女を透かしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます