第21話 黒髪の子供

 静寂を焦がすようにパチパチと鳴る焚火の音が、かすかな風と共に流れ込んでくる。息を吸い込むと、湿り気のある夜露と一緒に清々しい樹木の香りが胸いっぱいに広がる。自然の匂いと呼んでいいのか分からない程に濃厚で空気に溶け込んでいるのに、茂る雑草や草花の香、炭化する小枝の輪郭が仄かに感じ取れる。


 そんな沈黙の中で、私たちはスプーンを使ってお椀の液体を掬っていた。


 透き通った琥珀色のキノコスープは塩気も何も効いていないような素朴さであったが、口の中に含ませると仄かに野性的な旨味を感じさせる。表面に浮かぶ脂の玉がスプーンに付着する。その上にくすんだ乳白色パンの切れ端を乗せて金色の汁に潜らす。すると酸味が酷くてぼそぼそとした触感のパンは、たちまちスープの旨味と調和するように空気の穴へと浸み込んでいく。嚙み切れなかったスポンジのようなものが、ようやく食べ物になる。


 焚火を囲む皆がいまいち心の内を読み取れない表情で、もそもそと口に運ぶ。その静寂さに呼応するように、あれこれくだらない考えが浮かんでは消えていった。考えたくないことも、考えてはいけないようなこともわずかな空白の縫い目から這い出てくる。それをどうにか押し留めようと何か話題を振ることに決めた。


 そうやって取捨選択の末に、グラフィとダンテがどのように出会ったのか、その一点だけが私の琴線にぶつかった。そうはいっても内気な性格のため、自分から話題を振るのは酷なことであった。だから喉に詰まっている言葉を呑み込もうか吐き出すべきか、口を開けたり閉じたりさせていた。


 よし言おうと意気込んでも、喉の奥につっかえて仕方がない。私は澄ました顔を見せていたつもりではあったが、周りからみればそうではなかったらしい。ダンテが「どうしたんすか」と、幌馬車の荷台に乗る私を見上げるようにして、蠱惑的な笑みを浮かべた。


「あのぉ、少し聞きづらいことなんですが」


 目尻を下げて俯く。すると彼は優しく笑って見せた。


「いいっすよ。なんっすか?」

 

 子供にやさしく問うような、秋夜に歌う鈴虫の如き丸みのある声音に触れると、私の喉に突っかかっていた蟠りが晴れるようにして、徐々に舌の痺れも引いていくようであった。私は意を決したように、「フン」と鼻を鳴らした。


「あの!グラフィさんとダンテさんはどのようなお付き合いを……、あっ」


 あぁ、緊張するといつも失敗してしまう私の悪い癖だ。ここぞという時に言い間違えてしまった。緊張をほぐすために行ういつものルーティーンを忘れた。私は手を目の前でわちゃわちゃさせる。


 意味が理解できないといった様子でグラフィとダンテは顏を見合わせるが、徐々に笑いの波が込み上げたようで、そして「ぷっ」と吹き出した。そうして、寂寞とした夜闇を吹き飛ばすかのように、仰け反りながら笑い転げた。


「ふははははははは!俺たちが付き合っているだって⁉こんな骨に皮を被せたような奴と付き合うなんてぇ、んな馬鹿な話があるもんかよ。最低でも俺くらいには上背があって腕っぷしが強くなきゃなぁ。はぁ、涙がでるわ」


 目の端に涙を浮かべる彼女を傍目に、ふくれっ面で睨むダンテ。もともと色素の薄かった頬をリンゴのように赤らめている。


 彼女は小刻みに体を震わしながら、徐々に息を整えていく。


「はぁ、はぁ、はぁ。……ふう。お前が本当に言いたかったことは、どうやって俺らが出会ったのかだろう?いいぜ、教えてやるよ」


 彼女は昔を懐かしむように「それはそう、ダンテがお前よりも一回り小さかったころだなぁ」と、腕を組んで夜空を眺めていると、当の本人から横やりが入る。


「あのぉ、グラフィさん?ちょっとその話は」


 明らかに何か言いたげな様子であったが、彼女は気にせずに話を進める。


「こいつはかなり名の知れた名家の生まれでな。貴族のコイツが森の中で一人突っ立っていたところから物語は始まる」


「えぇ⁉そこまで遡るんですか」


 跳ね上がる声の調子を抑えられないでいる彼を片手で制し、「ダンテ。口を閉じろ」と口元に人差し指を置く仕草を見せた。彼にやられている日頃の鬱憤を晴らすように、体の節々から愉快さが滲み出るようである。彼女はお椀の尻を地面に埋めて腰を据えた。


「魔物に襲われていたから助けてやったら『俺の獲物だ手を出すんじゃない』ってぬかしやがったんだよ。傷だらけで息も絶え絶えだってのにな。するとコイツ、電撃魔法で俺に攻撃しやがった」


 彼は何も言わないで俯いていた。


「大した実力はなかったからちょっと体がピリピリするだけだったがな。まぁ、子供にしてはよくやるなぁという印象しかなかった。魔物相手に戦うには実力不足だったんだ」


 すると彼女は、気持ちの高揚に拍車をかけるように、饒舌さもまた増していく。


「置いてけないから、暴れるコイツの首根っこを掴まえておぶってやったさ。するとなぁ、コイツうわんうわん泣き出してなぁ。『魔物を倒してお父さまとお母さまに褒めてもらうんだ』って。ぷっ、ふははははは!!」


 彼に視線を向けたかと思うと、込み上げてくるものを吐き出すように、仰け反りながら笑い声をあげた。焚火は彼女の声に煽られて、ぽんぽんと揺らめく。


 彼の飄々とした態度は消え去り、後に残るのは惨めに項垂れる後ろ姿であった。もうこれ以上俯きようがないくらいまで萎れていた。そのため、顔には影が落ちて気持ちは窺いしれなかった。その姿が私の憐憫れんびんの情が胸を突き上げるようであった。


 そんな哀愁に満ちた彼の姿を見た彼女は、さすがに言い過ぎたのかと思ったのか、息を整えながら笑いを止めた。


「はぁ、はぁ、はぁ。……ごほん。それで治療する時に分かったんだが、コイツには電属性にこれっぽっちも適性がないことが判明したんだよ。回復魔法は相手の魔力に干渉して成り立つものだからな。その恩恵ってわけさ。しかし、水属性の派生形、特に氷属性に関しては天賦の才があった」


 またもファンタジーの用語である『属性』というワード。何となくは理解できるがどこまで私の想像と合致しているか分からない。すると彼女は「あぁ、すまない。アザミは『属性』の意味は知らないよな。魔力を用いて氷原子に干渉する能力ってことだ」と、理解できるようでさっぱり分からない説明をした。この世界では当たり前のことだから説明するのが難しいのだろう。しかし、私の想像との差異はあまりないようだ。

 

 彼女は話を続ける。


「まぁ、どこの家のヤツかは大体想像がついていたから、さりげなくその近くで降ろしたんだ。意固地になってたから直接送るのはプライドを傷つけると思ってな。するとこいつ、どうやって俺の居場所を突き止めたのかは知らないが、近くに滞在していた場所を特定したみたいで、頻繁に俺の元まで通うようになったんだよ。そうして滞在する短い期間だけ面倒を見てやったってのがことのあらましだ」


 そう言いながら彼女は、彼の頭に手のひらを置く。


「こいつ、こう見えても寡黙で仏頂面なやつだったんだぜ。数年ぶりに会った時はマジで驚いた。まさかこんなヤツになっていたのか、とな」

  

 そのまま彼の髪をくしゃくしゃにする。彼はさもうざったそうに「やめてくださいよぉ」と不貞腐れながら言った。誰しも自分の過去について他人から話されるのは苦痛だろう。それが恥ずかしい過去なら尚更だ。だからか、彼は不服そうに彼女を睨んでいた。


「そうしょげてくれるなよ。……おっと」

 

 彼女は焚火に目をやる。灼々たる炎はその鳴りを潜め、ただ悶々と燻ぶっているだけであった。それは時間の経過を指し示していた。


「もうこんな時間か。さすがに無駄話が過ぎたな。それと行き先についてのこともあるだろうし、あまり時間をかけすぎるのは良くないだろう」


 彼女の含みのある言い方に、ある種の違和感というものが心の内側から湧き出るようであった。その違和感の正体を確かにするために彼女の言葉を反芻し、その正体を突き止めた。


「もしかしてグラフィさんは行き先についてご存じなのですか?」


 彼女には私の発言が予想外だったようで、「あ、あぁ」と情けなく呟いた。それから「まぁ、大体はな」と、途端に歯切れが悪くなっていった。私もこれ以上は言及しなかった。しばし沈黙した後、私は言葉を呑むように溜息をついた。


「分かりました。……あなたを信用します」


 途中で彼女に要らない責任を負わせてしまうかと思ったが、そんなことでは彼女の芯は折れないと感じたから、後の言葉を続けた。彼女のことを信用したいと思ったからでた言葉であった。彼女は強い眼差しで返す。


 気詰まりになっていた雰囲気を和らげるために、彼女は再びお椀を手に持った。


「さぁ、さっさと食べてしまおう。まずいものも冷めちまえばもっと美味しくなくなるぞ。ほうら、レイニーはもうとっくの昔に食べ終えているぜ」


 あまりに唐突だったため、彼女は頬を膨らませたまま目を見開いて硬直していた。ごくんと飲み込んで「いま食べ終えただけですから、私が食い意地が張っているような誤解を招く発言は止めて下さい」と、鼻を鳴らした。一番最初に食事を終えたのはレイニーであった。

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