第20話 久しぶりの空腹感

 焚火がぱちぱちと甲高い音を立て、火の粉が冴えた空気にぜる。夜の冷たい風に煽られて、狼煙のような炎がゆらゆらと絶えずしてその姿を変えるたびに、影もまたその濃さを変えて収縮する。そこを囲んでいる私たちの色は仄赤い明滅によって染められている。無数にもなる黄金虫こがねむしの大群が炎の灯に煌々たる様を取り込むようにして舞い上がる、そんな艶美さであった。


 瞳を焦がさんばかりの灼熱を眺めつつ、私は金属製のコップに口を付け、啜るようにしてその内容物を飲んでいた。冴え切った私の体を芯の底から温めるような、そんな白湯であった。口に含んだり、たまに舐めるようにして味わう。わなわなと震えるダンテを幌馬車の荷台で眺めながら、また白湯を啜る。彼を肴のつまみ白湯を啜るのも、これまた乙である。


「これは一体、何ですか……。」


「何か問題でもあるのか?」


 底の深いバケツのような鉄鍋に火を焚きつけて、コトコト掻き混ぜるグラフィが、実にあっさりとした口調で言う。その顔が赤く燃える程に、じっと鍋底を凝視している。彼の嘆きなんぞ眼中にないようだ。


 無視されて宙ぶらりんになった彼は、嗚咽の如く吐き出す。


「なんで、なんでいつもと変わらない食事なんですか……。」


 彼の覇気すらもどこか遠くへ行ってしまったような俯き具合に、彼女はビシッとお玉を向ける。飛沫が飛び散り、煌めく。


「こんな状況でまともな食事ができると思っている、お前の能天気さが招いた勘違いだろうが。新鮮な食材なんていつ調達できるんだよ。」


 お玉から落ちた雫が、炎に充てられた瞬間、火の粉が弾け散った。


「じゃあなんであの時否定しなかったんですか。グラフィさんが期待させるようなことを言うからじゃないですか。」


 彼は真剣になると語尾の「っす」が消えるようだ。猛る炎に充てられて、彼の強欲さも燃え盛るようである。食い物の恨みは怖い。非があるのは明らかにダンテの方だが、私に敵意が向かないように黙っておこう。すまし顔で白湯を舐める。


「お前がそう言うかと思って、キノコ汁を作っているじゃねぇかよ。」


「キノコ以外に何が入っているって言うんですか。」


「干し肉だが?……なんだよ悪いかよ。」


 彼女は不貞腐れるようにして、再び鍋底を掻き混ぜ始めた。


 濃い森の香りが鼻腔をくすぐる。それに起因するよう生唾が沸いてくる。


 キノコと干し肉のスープ。両手いっぱいに抱えて持ってきて、乱雑に鍋へ放り込んだキノコ。どのような種類で、どうやってこの暗闇から探し当てたのかは分からないが、実に食欲をそそる香りである。そこにまたも投げ入れた謎の干し肉。塩や砂糖といった調味料はなにもない。はたしてどのような味がするのだろうと、期待に胸を高鳴らせていた。

 

 そんな話し声だけが深々とした森の中にこだまする。そこに「くぎゅう」と情けない音が鳴った。馬にリンゴをやりながら微笑みを浮かべていたレイニーが「あっ」という声を上げ、こんどは控えめに「きゅう」となった。私の顔は炎の赤く照らされてもなお、紅潮しているのが分かる程に、かぁっと熱い。非情におどおどした態度で、赤らめた顔を伏せた。


 掻き混ぜる手を止め、グラフィはこちらを見上げるようにして向き直る。


「アザミはいつから食事を摂っていないんだ?」


 私は幌馬車の端で空気を掻き混ぜるように足をぶらぶらさせていたのを止めて、反対に尻をもじもじさせた。隠していたわけではなかったのだが、後ろめたかった。


「ごめんなさい。昨日の夜から何も食べていません。」


「別に怒っていないのだが。うーむ、そうか。」


 どことなく腑に落ちない表情を見せたかと思うと、途端に苦虫を噛み潰したように深い陰影が額に宿った。


「これは精神的ストレスからくる食欲不振だろうな。まずは温かい飲み物を飲んで胃を落ち着かせろ。長時間の空腹化は、急な食事を摂ると吐き気や胃痛を引き起こすからな。料理が食べれないようなら、口の中に含んでしゃぶるだけでいい。栄養は摂取しないと元気になれないからな。」


 すぐさま容体を確認して、適切な対処法をすらすら説明する彼女を見ると、やはり医者なんだと確信させる。影が幾層にも重なり合って輪郭を縁取り、彼女の強靭な肉体に厚い陰影を作る様は、たくましさすら感じる。精神的にも肉体的にも、彼女の存在はありがたかった。


「体の調子が悪くなったりしたら、俺らいつでも言えよ。別に我慢なんかする必要はない。お前は変な所で内気になるヤツだからなぁ。胆力があるのかないのか。」


 最後の方はほとんど独り言で、目線を鍋へ戻すのだった。


 すっかり私の心は彼女に見透かされていたようだ。


 私は同意を示すように「はい」と頷いた。

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