第13話 堕天
地上に降り注ぐ灼熱の陽光が照り付け、以前までそこにあった雨雲なんぞ吹き消えてしまったのだ。
そんなうざったい日差しの中を、私は彼の肩を借りて歩く。
地面の照り返しが強く、まともに目を開けてられない。
差し込む光は熱は坦々たる有様であるのだが、それと融和するように冷気と交じり合って、暑さはさほど感じない。氷が蒸発して、みずみずしい冷気の粒に、体温が奪われていく感覚のほうが近い。そして、彼の体温が異様に低いせいか、余計にそう感じるのだ。
白じんだ景色。そのぼんやりと見えるは、両腕でしっかりと体を抱き込み、じっと私たちを見据えて動かない彼女の姿。
下着姿でいやに寒そうではあるが、震えも鳥肌さえも見せない。もとからそこにあったように、彼女の重心は地に根を張るようにどっしりと構えられている。だからか、寒さには平気そうに思えた。
私たちははっきりと見える距離まで近づいた。
最初に端を発したのは彼女であった。
「お前はどこまでこの状況になるのを把握していたんだ?」
「なんなんすかいきなり。」
とぼけたように笑って見せる。しかし、彼女はいたって真剣な顔である。
彼女の真っ黒な瞳の輝きの強烈さ、睨んでいるといっても過言ではない程の凄みが、彼女の瞳の内に潜んでいる。
すると彼は何だか居心地の悪そうに
「兵士たちが洗脳されているのを理解していて、俺たちとは別の行動をとってたんだろう。いくらいい加減なお前でも、セシリアの命令を反故にするヤツじゃない。なにか訳があったんだろう?」
「いやぁ、はははは…、それには深い理由があってっすねぇ。」
彼は空笑いを浮かべる。まるでその理由を言いたくないように、言い淀んだ。
「知ってるさ。印を体に刻まずに対象を操作するには、術師はその近くにいる必要があるからな。だから、わざと俺たちを囮にして、兵士に洗脳をかけた術師を探していたんだ。クロノアザミに危険が迫る、その時まで。」
「はは、やはりばれてましたか。」
彼は兵士たちを洗脳されていることを理解したうえで、術師の場所を特定するために、私たちを囮にしたのか。
彼の底知れない恐ろしさと言うものを感じた。
重苦しい沈黙が一陣の風となって、彼らの間を通り抜けた。
「なぜおまえは私にそれを隠したんだ。」
彼女の言葉にはこれといった感情は含まれていない。しかし、だからこそ、教え諭すような低く重たい声音に、私すらも恐怖を感じざる負えなかった。
彼もその威圧感を察知したのか、飄々としたいつもの彼の表情ではない。彼はいつにもなく真剣な表情で答える。
「僕が想定してた以上にことが大きかったんすよ。誰がどこで何を聞いているか分からない状況で、そんなことを言えるわけないじゃないっすか。黙ってた方が、アザミ君にも危険を晒さない。そう思ったんすよ。」
「本当にそれだけか?ほかに目的があるんじゃないのか?」
「本当にそれだけっす。信じてください。」
腕を組んで目線を伏せ、暫く考える素振りを見せるも、彼女の
「兵士が洗脳されているという情報を、どうやって入手したんだ?」
「セシリアさんから聞きました。」
「セシリア?」
おもわず彼女は素っ頓狂な声を上げる。
「いやぁ、詳しくは知らないっすけどね。この子が幌馬車からやってきた時、セシリアさんが僕に耳打ちしてきたんすよ。『兵士たちが洗脳されている、気を付けた方がいい』って。」
セシリアが幌馬車から離れた際に、こんなことを話していたのか。
「なぜセシリアがそのことを知っているんだ?」
「さっき言ったように、詳しくは知らないんすよ。それ以上何も言われなかったんで、セシリアさんのみぞ知ることですよ。」
真実を知るには彼女に会って話す必要があるということ。それまでは、真相は未だ闇の中だ。
「あぁ、そうか。大体は分かった。」
厳粛さを携える彼女の眼差しが、彼の瞳を穿つ。
「しかしなぁ。お前とは10年以上もの付き合いになる。お前が嘘をついてることぐらいお見通しなんだよ。」
「はい?」
彼がそう答えたとき、私の背筋を冷たい刃物で撫でられるような得体の知れない恐怖というものが突然、この身に降り注いだ。ゾクゾクと凄まじい気配はあまりにも空虚で、感情と呼ぶには現実味がありすぎる。それは戦々恐々と言うべきか。殺気でも怒りでもない、筆舌に尽くし難い冷気の圧というものを感じた。
その圧を放つ正体へと目線を向ける。
研ぎ澄まされた刃のように鋭い、一対の眼。額には影がかかる。
覗き込むように、冷徹に。
彼女の唇の端が浮かび、罵るように冷ややかな、歪んだ薄笑いを浮かべていた。
「クロノアザミの命がどうなろうと、お前はどうでもよかったんだろう?」
彼のこめかみまですっと伸びた切れ目が、驚きに満ちた表情で見開かれる。そして突然笑いを吹き出した。
「あーはははははは!いやぁ、そこまでばれてましたか。やっぱり、グラフィさんには嘘は付けませんねぇ。」
静寂を切り裂くように、けたたましい彼の笑い声がこだまする。
悪戯っぽく好奇に満ちた眼差しが、彼女を穿つ。
「最初からお前のいう事なんぞ信用しちゃいないさ。」
「えぇ、別にどーでもいいんですよ。彼の命なんぞどうなっても。」
彼の飄々とした様子が、がらりと豹変した。
「別に兵士たちに洗脳をかけた術師を見つけ捕縛したら、別に君の命はどうなろうと関係ない。君の命よりも術師を捕まえることのほうが何十倍も価値がある。そして、君たち転移者はこの国にとって厄介な存在だ。だから別に君が死んでしまっても悪いことじゃない。」
それは冷徹。
彼の奥底に潜んでいた鋭い暗器が鈍く光った瞬間だ。蛇のように下卑た笑みを浮かべるその表情は、私の心臓を掴み取る。その立ち振る舞いは私の全てを見透かしているように感じた。
「だから俺らに洗脳のことを言わなかったのか。」
「そう、正解。」
なにがおかしいのかけらけらと笑っている。
「最初はそう思ってました。」
突然、ひどく神妙な顔つきで話始めた。
「いったじゃないですか。僕が想定している以上にことが大きいと。だから、君を活かしておく必要があった。」
彼と視線が合う。心の奥が見透かされるようにゾッとする。
「君に触れた瞬間に感じたよ。君は特異な存在だって。その力が何を意味するのかは分からないが、君を狙う者たちと関係があるのだろう。だから君を保護する。いずれ、敵が君に接触する。その時までの囮として。」
「2年ぶりにお前と会うが、やっぱその性格は変わってないな。」
彼女は諦観に満ちた様子で溜息をつく。
「僕は嘘つきですからね。」
そう柔和な笑みを浮かべた。しかし、彼の本心は見えなかった。
「今は君の味方ですから、そう怖がらないでくださいよぉ。」
どこまで彼を信用していいのか分からない。
彼に対して、底知れぬ恐怖という悪魔が私の心の内に渦巻いていてどうしようもなかった。
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