第3話 最悪な再開

 灰雲が低く引き伸ばされた空。水平線の交わりに、低く積雲がわだかまっている。今にも雨が降り出しそうな程の鈍曇どんぐもりの空の下で、幌馬車は止まった。


「到着したのですか。」

 

 幌馬車から見えるは踏み均された道。車輪のわだちから、ぺしゃんこな落ち葉がぬかるみに浮き出す、じとりと艶めかしい道である。

 

 その道を外れると、そこは、雨風によって晒された大蛇の如き裸の根が幾本いくほんも顔を出し、うねうねとうごめいている、そんな鬱蒼うっそうとした森であった。どこからか野鳥のささやきや、木々のさざめきが、私を追い立てるが如く頭上を駆け巡る。


 そこは人の営みから隔絶された空間。


 どう解釈しようにも森であった。


「いったいここはどこですか?」


 王都へ連行される。そう聞いていたが、ここが王都とは到底思えない。


 そして、その言葉を遮るように複数の足音が近づく。彼女は軽い身のこなしで幌馬車から飛び出ると、その足音の人物と会話と始め、すぐに奥へと消えていった。


 それから数分は経っただろうか。彼女は氷のように蒼褪あおざめた面持ちで幌馬車へと乗り込んだ。ただし彼女の様子は、どっしりと腰を据えるのではなく、片膝を付くのみのであった。そしてそれは、今にも飛び出しそうなほどの焦燥感であった。


「今から担当が別の者に移る。私が直接対応しなければならない用事ができた。君は歩けるか?」


 いつにもなく切羽詰まった様子であった。彼女の額に汗が滲む。


「はい、補助があれば歩けると思いますが…。」


 すると、彼女と入れ替わるように軽鎧の上に厚着を身に纏う、黒髪のいかにも好青年といった人物が、幌馬車の奥へと乗り込んだ。


 彼女とは打って変わって、ぐっと大きく床が沈み、ぎりぎりと金切り声の如き音が、薄暗い室内で響く。


「君がセシリアさんの言っていた人っすね。けど君一人だけっすか。まぁ、肩を貸すんで、早くこっちに来てください。」


 逆光を背に身を乗り出し、救いの手を差し伸べる彼の顔には、暗い影が差していた。

 


 この異様な景色に呆気にとられた。

 

 この場所は日本とは異なった時代錯誤な場所へあるようで、北欧風の質素な古家が立ち並び、その周りを身の丈程の先の尖った木の柵が覆い隠すように連なっていた。ただ、住民らしき者は居らず、代わりに彼のような軽鎧を着た者たちがなにやら作業をしていた。まるで、中世へとタイムスリップしたような感覚に陥った。


「なんか初めて見たような顔つきっすねぇ。」

 

 肩を貸す彼はかなりの上背があり、腰を曲げて、へらへらと私の顔を覗き込む。


「えぇ、このような景色、創作の中でしか見たことがありませんよ…。」


 まるで、物語の世界へ入り込んだような現状に、肌が粟立あわだつ程の違和感が背筋を撫で、この酩酊感が胃を掻き混ぜるように気持ち悪い。


「ははっ、君はどこからやって来たんすかぁ。奇妙な服装もそうだし…。

まさか!遠い国から遥々ここまでやってきた異邦人すかぁ?そんな、君ぃ、面白い冗談を言うじゃないっすか。」


「私みたいな服装の人物は、見たことはないんですか?」


「まぁ、一昨日の僕ならそう言えたかもっすね。」


「ということは、私と同じような人物を昨日は見たってことですよね?」


「あぁ、ううん…。まぁ、居たっすよ、ここに。けど今ここにはいな、いや、いるっすね。」


 そう煮え切らないように言う。


 という事は、ここにいるクラスメイトと、いないクラスメイトがいるってことだろうか?であれば遺跡の死体というのは私のクラスメイトで間違いないかもしれないが。そうであれば…、いや、考えたくない。


 というか、この世界は本当に私のいた世界なのか?


 想像はしたくないがもしかすると…。


「もしかしてこの世界はいせ。」


「言っちゃだめだよ。」


 先ほどの飄々とした様子とは一転、真剣な面持ちでこちらを見つめる。


 しかしすぐに飄々とした彼に戻った。


「あぁ、僕はてっきり知っているものだと…。なんだセシリアさん、全然教えなかったみたいっすね。まあ、状況も状況だし迷うのも当然すね。」


 その豹変に私は驚いた。


「セシリアさんの意向を汲みますかねぇ。まあ、あの人のことですし、何か考えがあってのことでしょう。」


 考えが自己完結し、それに納得したようにうんうんと頷く。


 ところで、セシリアとは幌馬車の彼女のことだろうか。



「一応忠告しておくけど、君のもつ情報、出身とかっすね。それはセシリアさん以外に言わない方がいいと思うっす。ここだけの話、僕たちは君らの素性について全く知らないんすよ。だから、下手な事をいうと君にとって不利益が発生するかも…。だから不用意は発言はご法度っすよ。」


 あぁ、そうそう。と彼は一言付け加える。


「いま何が起きているか困惑していると思うっすけど、近い未来知ることになるんで心配しなくていいっすよ。」


「セシリアという方もそう仰っていました。どうして私にそのことを教えてくれないんですか?」


 セシリアと思われる者も、彼も、私の身に何が起こっているのかを伝えようとはしてくれない。なぜここまで情報をひた隠しにするのか、それほどこの情報は重要かつ扱いずらいものだというのか。


 であれば、尚更知らないといけない。


「いやぁ、僕に言われても分からないっすよぉ。」


 いいや、彼はこの状況について知っている。


 しかし、これ以上詰問しても、はぐらかされるだけであった。


「ここにクラスメイトがいるんでしょう?会わせて頂けませんか。」


 そう彼に要求する。情報の共有をしたかったためではない。ただ、彼らの安否を確認したかったためである。


「あぁ、それはちょうどよかったっす!どっちみち行く予定だったんすよ。」


 そう彼は言う。


 しかし、彼らの安否が不安で、妙に胸が苦しいのだ。しかし、それは杞憂かもしれない。以外にもぴんぴんとしているかもしれないが、いやな想像が拭っても拭っても現れ、胸に詰まったように息苦しいのだ。


「さぁ、行きましょうか。彼らのもとへ。」



 なくなった右足をぶらつかせ、まるで砂袋を引きずるような足取りで歩を進めた。

 

 立ち並ぶ古家を進む私達を横目に、男たちの目つきは、そうあまりいいものではなかった。


 私がその者をちらり横目にみると、平静さを装っているものの、野良猫のような吊り上がった目つきは私を突き刺しているようであった。その目の内には恐ろしい力を内包し、私の行動を抑圧するようであった。そして私は、避けれぬ針のような視線をぐっと耐えるように、右腕で我が身を抱いた。

 

 彼からはもう一つ忠告をうけていた。


 それは目的の場所に着くまで一切言葉を発するなと言った内容である。理由は、容疑者の立場の者と不用意に話してはならないという決まりが、彼の所属する組織にはあるためらしい。だから私たちは目的の古家に入るまではの間は、一切の無駄口を叩くことはなかった。

 

 彼がこの家の扉に手を回した瞬間、その独特な香りに、恐ろしく嫌な予感を感じた。


 それはこう。


 不明瞭な空漠くうばくとした空間で、無機質なテーブルがある。その上には何かある事は分かるが、よくは見えないのだ。ただ明らかな事は、私の最も畏怖する存在がそこにあるという事。そんな感覚であった。


私は中を見渡す。


「あぁ…。」


 ここがどこなのかはっきりした。


 そしてようやく思い出した。


 聖殿のなかの妙な湿り気の正体が。


 それはアンモニアと鉄の香る。


 そして、聖殿のなかで私は何をしていたのかを理解した。


 私は、血液の浅瀬を、這いずり、纏い。


 嫌な想像が湯水のように湧き、それを理性で抑え込もうとするが、ダムは決壊した。時間の感覚が引き伸ばされ、ついには時間の概念をなくした。五感さえも私には届かない。しかし、例えようのない怖さが磁石のように重く、纏わり付くのだ。


 額に汗が滲む。


 ようやく私は、伏し目がちであった顔を上げた。


 そこにいたのは、無残な姿でベットに横たわる、意識のないクラスメイトであった。


 そうか、そうなのか。


 私が聖殿を這い回っていた、そこの近くには、クラスメイトの死体が。


 その血を、私は這って…。


「うっ。」


 わだかまりが喉元までせり上がり、その場にしゃがみ込んだ。


「ヴェェ、ゲェ。」


 床に胃液を吐瀉としゃした。吐きたくても胃液しか出てこない。カハ、カハと喉が空しく鳴ると同時に、酸っぱい匂いがした。息を整えるが、また蟠りが込み上げてきた。


「辛いのは分かるけどさぁ、ここで嘔吐おうとするのはやめてくれないか。」


 部屋の奥から高らかに、そして無遠慮に「カツカツ」と打ち鳴らす女帝の如き足音が、私との距離を縮める。


 私は涙目で見上げる。


「あぁ、酷い顔だねぇ。まるで人殺しをしたような顔じゃないか。」


 私を見下ろす、無垢な純白の雪化粧を体現したワンピースを身に纏うは、明らかに不釣り合いな、彫り込まれた強面の女性であった。袖や裾から覗き出る肌はかなりの筋肉質で無数の古傷が刻み込まれていた。


 しかし、彼女の瞳だけがそっぽを向いていた。


「はぁ…、お前さぁ、なんでこんなところにいるんだよ。セシリアはどうした。」


「セシリアさんはちょっと用事があるみたいで、えぇっと、僕はこの子のお世話を頼まれてっすねぇ…。」


 誰が見ても分かる程に、彼は目の前の彼女におののいていた。関係性は分からないが、たぶん目の前の彼女には頭が上がらないのだろう。


「その事情ってなんだよ。」


「それはちょっと、自分も聞かされてなくて…。」


 私のことは依然として無視である。


「はぁ、またかよ。」


 彼女は腰に手を当て、俯き深くため息をする。


 彼女はようやく私を見た。


「ダンテ、患者をベットに寝かせな。それが終わったらあの件で話がある。」


 彼は威勢のよい返事をすると、肩を貸してベットまで連れて行ってくれた。

 

 その間、クラスメイトの無残な姿を、私は直視することができなかった。

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