第8話 I see you.


「そこにいる患者に用があって参りました。」


 淡々とそう言う彼は、他の兵士と同じように軽鎧を身に纏っていた。ただ、その姿はまるで生気を失っているようで気味が悪い。ただ張り付いただけのその顔は何とも言えない恐怖を感じさせる。


「…後にしてくれ。」


 そういうと彼女は扉へ手をかけ、兵士を押し退けるように閉めようとする。


「ちょっと待ってください。」


 兵士は扉を閉めさせまいと、閉めつつあるその隙間に片足を滑り込ませた。


 ガシャン!


 私の体が揺れるほどのけたたましい振動が、室内に鳴り響く。そして、その隙間に兵士の瞳が部屋の内部を見渡すように覗き込まれる。


「重要なことなのです。ですから、少しだけでも話を聞いてはくれませんか?」


「ちっ…。要件があるならさっさと言ってくれ。」


 彼女は高圧的な態度で腕を組み、急かすように足踏みをする。しかし兵士は意に介さない様子で、扉の前に佇んでいる。もともと表情がないように顔色一つ変えず、淡々としゃべるその姿に、細胞全体が警告するようにアラームが鳴り響く。


 血管が逆流するほどの恐怖。

 

 この兵士は絶対にやばい。


 なぜ彼女は気付かない?


 彼女はちらりと私を一瞥したかと思うと、再び兵士へと視線を戻した。


「彼ら患者を直ちに王宮へ連行するようお達しが届きました。」


「…無理だ。意識がない状態で幌馬車に乗せることは命にかかわる。上が何を考えているかは知らないが、無理だと伝えておけ。」


「これはセシリア騎士団長からの通達でございます。どんな理由があっても連れてこいと申しておられましたので、それはいくら貴方様であっても了承しかねます。」


「んな馬鹿な話があるか!そこまでやる理由はなんだよ!」


 彼女は隠しきれぬ怒りを漏らしながら、兵士に尋ねる。



「彼ら容疑者が転移者であると判明したためです。」



 えっ、兵士はいま転移者と…。


 なぜ兵士がそれを知っているんだ?


 盗み聞きしていた私は驚く。そして、それは彼女も同じようであった。


「彼らが転移者であると分かった以上、他国と戦争を起こす切っ掛けになりかねません。ですので、彼らは天使降臨の儀未遂の容疑者としての名目上で、王立ち合いのもと判決を下す必要がございます。」

 

 傍目に聞いている私はその意味が分からなかった。だから、ただただ私は唖然とする他なかった。


「お前、今なにを言っているのか分かっているのか?」


 彼女は、沸々とこみ上げる怒気を抑え、声を小刻みに震わす。


「えぇ、理解しています。ですがそれは私の一存ではございませんので…。もちろん私共が責任をもって彼らを連行します。グラフィさんは彼らの支度の準備のほど、お願いしたく思います。」


 そう言い残し兵士は立ち去ろうとする。


「おい、ちょっと待て。」


 彼女の薄く、健康的な肌に透けるは蚯蚓みみずの如き青筋。彼女の放つ威圧感は、五臓六腑が煮えくり返すほどの憤怒をどうにか抑えようとする表れ。彼女の怒りは燻ぶり、尚も平静さを保つ。


 それは静かな怒り。


 兵士の右腕を掴む。


「何でしょうか?」


「その話はセシリアから直接聞いたのか?」


「えぇ、それが何か?」


「王都ってのは本当なのか?」


「貴方様が何を仰りたいのか理解しかねますが、王都なのは間違いない筈では?」



 恐怖で息が止まるほどに、空気が変わった。


 

 彼女から放たれる威圧感は剃刀の如き鋭利さを持ち、私の全体を覆いかぶさるほどにぴたりと肌に張り付く。身動き一つ取れない。ただ、息するだけに喉が上下し、息が掠れ出るほどにひゅーひゅーと鳴る。空気をうねらすほどオーラは彼女を絶対者のように空間を支配する。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!


 ここまで本能に直接働きかける恐怖は初めてだ。


 睨み殺そうとする彼女の視線がぎらりと兵士を穿つ。


 彼女の口が、開かれる。


「お前は一体何者だ?」


 それでも兵士は意に介さない様子で、能面のような表情を保っていた。


「なにか貴方様のご機嫌を損ねるようなことでも言ったでしょうか。もしそうであれば謝ります。」


「あぁ、お前は知らねぇよなぁ!兵士たちには伝えられていない嘘の情報が紛れ込んでいるってことをなぁ!」


「はい?何ですかそれは。」


「王都に連行することは嘘なんだよ!直接セシリアに聞いたのが事実なら、なぜそれを伝えられなかった!」


 腕を掴むその手が強くなる。


 兵士の腕は内側の肉が盛り上がったよう鈍い赤に腫れあがる。


「…。」


 兵士はこんな状況でも顔色を変えない。しかも、ことさらに、死体のように気味が悪い。


「お前は何者かと聞いている!」


「…私はここの兵士で。」


 彼女は兵士にぐっと近寄る。


「違う!お前に触れたとき確信した!お前を操作しているヤツがいることを!」


 兵士はこれ以上ないほど悄然しょうぜんにうなじを垂れる。俯きがちのその顔からは、初めて見せる、物憂げな表情が覗いていた。


「あぁ、この可能性は間違いだったか。」


 兵士は意味深にその言葉を呟く。


「…手を放して頂けませんか?」


「なぜだ!」

 

 彼女は兵士に向かって怒気を飛ばす。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 突然、漆黒の空間が眼前に現れた。


「えっ、なんだこれ…。」

 

 突然の状況に理解が追い付かない。そこは歪な黒が空間を侵食するように広がっていた。彼女と兵士はじっとして動かない。まるで幽霊みたくくすんだように不鮮明に歪んでいた。


 時が、止まっている。


 明らかに状況がおかしい。


―――――――ノイズが走る


「うっ⁉」


 脳が焼けるように痛い。思わず私は目を閉じた。


 誰の視線が私に粘りついている気がした。それはただただ、こよなく純粋な殺意だけが、私を覗き込んでいる。


 閉じていた目を、開ける。


 私の瞳にこれでもかと密着して、私を覗き込んでいた――――――――


「君を殺すために、私はやってきたのだから。」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  

 兵士は唐突に、自分の掴まれている方の腕を、なんの躊躇もなく切り落とした。線を引く赤い血筋。ぼたりと落ちた兵士の腕。斑斑はんぱんと穿たれた純白のワンピース。時が止まる。それは、ひらめく夜空の雷光の如き、刹那であった。


「アザミぃ!逃げろぉ!」


 壁を駆け、脱兎のごとく私へ近づく。うねる木床、雷鳴の如く空気を震わす。

 

 私は身じろぎ一つも、息すらも、できなかった。


 汗が垂れ、床に弾ける。その瞬間にはもう、兵士は目の前であった。


「I see you. 」


 首元に短刀を滑らす。それでも、恐怖で身動きを取ることができなかった。

 

 あぁ、私は死ぬのか。

 

 走馬燈も感じさせない程の恐怖。

 

 ぴとりと氷のような短刀が首筋に触れる―――


「おい、俺の患者に手を出すんじゃねぇ。」

 

 あれ、何も来ない。


 痙攣する瞼を、恐る恐る開く。

 

 視線のみを首筋に移す。


 鼻腔を満たすはうっとした鉄。

 

 彼女に手には、短刀の刃先が握られ、絹糸のような血がたらたらと垂れていた。


「もうお前を逃がさない。」

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