終幕 前半

 静かなる夜の底で、ダンテは一人佇む。やなぎのように首をらして、霧雨きりさめをその身に受けつつ呼吸を整えていた。戦闘の余韻が体中に残る。火照ほてる身体を夜風よかぜさらす。彼は戦闘の余韻よいんに酔っていた。狂暴な一面が再び現れる前に、冷静さを取り戻さねば、その一心で自身の鼓動に耳をそばだてる。すると、彼の鼓膜に打ちつける血流のめぐる音は、一呼吸ごとに、徐々に、浅瀬あさせほどの穏やかさへと収束しゅうそくしていく。嵐のような激情はしずまった。現実へと意識を戻した彼は、目の前の女性に気が付くと、さわやかな笑みでこたえた。


「大丈夫そうで何よりです。グラフィさん」

 

 ダンテの視線の先には、先ほどの戦闘で吹き飛ばされたはずのグラフィの姿があった。彼女の腕には、気を失った黒野薊くろのあざみが抱えられている。月光に照らされ、複雑な表情の彼女は、舞台上の演者えんじゃのように静かで、荘厳そうごんな雰囲気をかもし出している。柔らかな光の粒子が降り注ぐ中、薊の身体は上着のように折れ曲がってぐったりした様子であった。


 その時、ダンテの瞳孔どうこうかすかに揺れた。荒々しい赤色せきしょくの眼光がダンテを貫いた。さすがの彼も、ひたい冷汗ひやあせにじみ、微笑ほほえみは硬直していく。外見こそすずし気な態度を保っているが、彼女の圧倒的な気迫きはくに内心では強く動揺していた。慎重しんちょうに呼吸を整えなければ、たちまち緊張のうずに飲み込まれてしまうだろう。それほどまでのオーラが、彼女のたたずまいから揺るぎ立っていた。


 ダンテの性格を誰よりも理解しているグラフィだからこそ、彼が裏切者うらぎりものを演じていることを見抜いていた。異常なまでの合理的思考を持つダンテが、何の下準備もなく、自国に害をなす敵を堂々どうどうと殺すような直情的ちょくじょうてきな行動に出るはずがない。暗殺など、バレずに殺害する方法などいくらでもあるはずであり、真面目に正面から襲うような人間ではなかった。彼がそれほど潔白けっぱくな行動を取るほど正直しょうじきな人物ではないことは、グラフィはよく分かっていた。


 さらに、氷魔法に天賦てんぷさいを持った彼が、わざわざ奇襲きしゅうの際、剣に選んだのか――これも奇妙であった。ダンテほどの計算高い人物が、得意とする魔法を使わずに不慣れな手段を選ぶことには、何か意図があるに違いなかった。彼はわざと攻撃にすきを作り、薊をひそかに護衛ごえいしていたレイニーによって奇襲きしゅうが失敗するように仕向けていたのならば、彼のとった不可解な行動にも納得がいく。


 レイニーに止めを刺さなかったことで、グラフィの推測は確信へと変わった。だからこそ、攻撃で吹き飛ばされた後も、しげみに身を潜め、二人のやり取りをひそかに監視していた。


「つ……」

 

 グラフィは不意に顔をしかめる。彼女の目線は、自分の腹筋に向かった。そこには青くれた傷が残っている。はがねのような肉体と驚異的な治癒能力ちゆのうりょくを持つ彼女でさえ、その傷はいまだにえていなかった。その理由は、村での爆発で魔獣まじゅうの血液が飛散ひさんし、それが体内に大量に侵入しんにゅうしてしまったためだった。


 魔獣まじゅうの血液は魔獣まじゅう以外の生命せいめいにとって劇毒げきどくである。彼女の血液内に魔獣まじゅうの血が入ったため、元々の血液と別の血液が一つの身体に混在こんざいする事となった。回復魔法には緻密ちみつなコントロールが必要なため、今では自身の傷を治すのが困難であった。


 村で襲った敵は仲間割れのことも予知していたのか。敵が未来を予知できるなら薊の暗殺をしくじった理由はなにか。そんな疑問が彼女の顔をくもらせていた。


 それでも、グラフィはあの大戦争を生き抜いた英雄えいゆうである。本気でかかれば、ダンテの分身ごときかなう相手ではない。しかし、グラフィなら真意しんいを見抜いてくれると、ダンテは信じていた。


 だが、ダンテにとって不安のたねはレイニーの存在だった。彼女との関係は浅く、ダンテは彼女の動向に十分な注意を払っていた。最初にレイニーを狙ったのも不確定要素を潰すためである。それでも、薊に爆弾を持たせるという行為は、完全に予想外だった。


 グラフィは口火くちびを切った。


「なぜ俺たちを試した」

「僻地の村々を転々としてきたから世情せじょううとくなったんすか? やっぱ年?」

人間換算年齢にんげんかんさんねんれいだとまだまだ20代だ」

 ダンテの反応を見て、それが冗談ではないことを知るとグラフィはまゆひそめ、露骨ろこつに反応を示した。

「いいやそんなはずはない。俺は確かにこの目で見たんだ。たとえ不死身であってもあいつは明らかに死んでいた。魔王の死を、俺が見間違えるはずねぇ!」

「魔王復活の予言と転移者の召喚が重なるのを偶然の一言では片づけられないっす。それも神の眼を持つ者達の予言とあれば、その予言は外れない。絶対に」


 彼の発言にある『』とは、ダンテと同じく転移者の血を濃く受けぎ、なおかつ固有の能力を発現させた者のことである。その者達が視る未来は回避不可能で、魔王復活の期限が刻一刻こくいっこくせまっていた。


「転移者を召喚したのも仕組まれていたのか! まさかあいつらを戦争の道具に……」


 彼らを囲む陰鬱いんうつな木々は、グラフィの怒号どごう呼応こおうするようにざわめいた。


 魔族領土に隣接りんせつするこの国は魔族の進行を最前列でおさえる、いわば人間界の最終防衛線のようなもの。魔王が復活を果たし、かの大戦争のように統制を取った魔族達が人間界に攻め入るなら、真っ先にがいこうむるのはこの国である。この国にとって転移者の召喚は、たとえ他国を敵に回してでも有利に働く。そのためグラフィは、この国の仕組み事に彼ら転移者が巻き込まれたのだと考え、ダンテに激昂げっこうしたのだ。


「……だったら?」


 謎の微笑ほほえみくちびるのふちにたたえる。互いの視線が凍ったみたく空中の一点でまじわって止まった。しばらくしてダンテは糸が切れたみたく笑って見せた。


「……うそっすよ。ボクらもこんな事態は想定外」

「だとしたらなぜ偶然がこんなにも重なる。俺たちがたまたま転移者の召喚された近くにいたのも偶然か?」

「半分は正解で半分は不正解っすね」

 

 ダンテは人をもてあそぶかのようにグラフィの神経をさかなでする。まるでこの状況を楽しんでいるように瞳孔どうこうは開き、虚無的きょむてきかげりが笑みに落ちていた。そんな彼を見たグラフィは、憤激ふんげきよりも薄気味悪うすきみわるさが神経をざわつかせた。


「お前の話しはいつも回りくどい。簡潔かんけつに言え」


 するとダンテは人差し指をぴんと上に立てた。


「これからの話しは全部憶測おくそくになるんすけど、グラフィさんのおっしゃる通り、転移者を召喚する予定はあったんだ思います。だけれど敵に先を越されたぽいっすね。着々ちゃくちゃくと準備を進めていたのに美味しい所だけをかっさらわれたって感じに。じゃなきゃアパナ聖殿で転移者を魔獣に殺させるなんてへま、考えられないっすよ。そもそも不可解な点が多すぎる。転移者を召喚しておきながら聖殿を守護する魔獣まじゅう野放のばなしにした理由とか、村でボクたちを襲った者は一体何者だったんだとか、その他色々と。敵の介入かいにゅうがあったと考える方がよほどすじが通っていると思いません?」

「お前が俺たちを襲った理由ってのは……」

「その敵……、それが神の眼を持つ者であるならば、やつは必ず転移者に再び接触する。そのための布石ふせきっすよ」

「だからって!」

「だから? なに? まさか、何百何千万の人の命運めいうんを握ってるかもしれない彼を、可哀かわいそうだからって少しは気弱きよわさを大目おおめに見ようだなんて、そんな甘っちょろい考えじゃないっすよね? 今だっていつ襲われるか分からないのに。ボクたちが転移者の存在を知る以上は、彼を一人前の戦士へと育てる義務がある。手段は選んでられない。今ここでアザミ君をきたえる必要があるんだ。……ボクらはいつも彼のそばにいれる訳じゃない。その時がくれば彼一人で困難に立ち向かう必要があるんだ」

 

 グラフィは溜息ためいきをつき、目を閉じて考え込んだ。


「……お前の言い分は分かった」


 しかし、これまで大人しかった彼女の雰囲気は二呼吸目にはすっかりと変わりきって、荒々しく言い放った。


「アザミは俺の患者かんじゃだ。患者かんじゃである以上、何があろうとあいつを守る。たとえ相手がお前であってもだ。今回はお前を信じたが、次はないと思え」


 それからのグラフィは、いまだに納得のいかない点は多々あるが、一先ひとまずは置いておくといった風に、それ以上たずねることはなかった。

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