第25話 不運体質
その男は中性的な顔立ちでありながら青年と呼ぶには若すぎる容姿であった。年相応のふっくらとした頬に月光が降り注いで、斑点を穿いた血液の妖艶さがこれでもかと闇夜に映えている。彼は終始柔らかな笑みを湛えて佇んでおり、それでいて粛然たる立ち姿に聡明さを覚えた。
さながら市松人形のように眉中で綺麗に収まっている前髪をふわりと浮かばせて彼は深々とお辞儀をする。こまやかな銀色の刺繍が施された艶のあるハンカチが胸付近で冷たい光を放った。
「……それで、王の従者さまがどうしてここにいるんだ?」
彼の額が上がると明け方の空のように透み切った青色の瞳がちらと覗かれた。それから生糸のように華奢な白髪がはらりと風にそよいで目尻に垂れた。グラフィの反応を予期していたかのように彼はひんやりとした笑みを唇のふちに浮かべる。
彼は「失礼いたします」と私たちに断りを入れてからハンカチで顔の血を拭った。
「あなた方がここまでお越しになるのを心待ちにしておりました」
私は怪訝な面持ちで瞳を研ぎ澄ますように彼の顔をじーっと凝視する。彼の言葉を信用するしない以前に、素性が分からないという未知が猜疑心を煽るのだ。私はレイニーの肩越しに顔を覗かせていると、彼の蒼白い瞳が私の瞳の上に据えられた。
「ああ申し訳ございません。もしかして怖がらせてしまいましたか?まずは私がこのような状況にある理由について説明をするべきでしたね」
彼は眩しそうにはにかんでみせた。
「樹木の根本で心寂しくお待ちしていたところにあなた方のお姿が見えたため、あまりの嬉しさに感極まった私は道幅の中央まで浮足立ちながら向かいました。そのままお呼びかけをしたのですが幌馬車は減速せずにそのまま……」
月光に照らされていない部分に悲哀の色を匂わせていた。
「そのまま轢かれてしまったと」
「その通りでございますが、それは不運を引き寄せる私の体質が招いたことですので。とはいえ私の存在に誰も気が付いてくれなかったことはとても悲しゅうございます」
彼はおいおいと呻きながら文字どおり袖を涙で濡らしだした。
スーツを着慣れた品性のある立ち姿で体側に指先をピンと添わせている。そうかと思えば年頃のセンチメンタルな小学生みたいにおいおいと泣いていた。誰が見ても明らかな程にウソ泣きであった。彼は袖上からひっそりとこちらの様子を盗み見ている。
どこか芝居じみたものが彼の所作に見受けられたが、それは初対面の人に感情的な隔たりを生じさせてしまう性格の所為で、彼に対する疑惑の念が胸を詰まらせてしまうのだろうか。私の為人が要因であったとしても、誰もが持ち合わせている社交性の仮面すら感じ取れないのは薄気味悪いのだ。
彼のウソ泣きを誰かが宥めないと話がこれ以上進展しない予感がする。するとダンテがしぶしぶといった風に苦笑いを浮かべた。
「それは悪いことをしちゃったみたいっすね。ところでなんっすけど、怪我の具合は大丈夫なんっすか?」
少しも赤くなんてなっていない目頭から袖を取り払って蠱惑的な笑みを浮かべる。私の心をひんやりと握り締めるような印象的な表情が、彼の背後にある漆黒を穿いたような月の輪郭をぼかした。彼は言葉尻を消すように声を落とす。
「私は生まれて此の方死んだことがないのですよ」
彼は語り終わるや否や妙な膨らみをみせていた腰回りの裾を持ち上げて、冷たい色の金属製のランプが現れた。彼がそれに手をかざすとぼうっという音と共に可燃物の薫りが森の匂いを覆い隠した。雑談のピリオドは唐突に訪れたらしい。
彼の掴みどころのないさまにはダンテも敵わないといった居住まいで、「へぇ」とか「そう」とか無意味に顎で相槌を打っていた。いじり甲斐のない人にはさして興味がないといった風体である。私と彼との扱いの差異に腹立たしさを覚えたが、晴らすことは叶わずに悶々とした感情が松葉づえを握る手を強める。収まらない怒りに燻ぶりを覚えたまま、私はダンテの背中を睨んだ。そのまま視線に突き抜かれてしまえばよいのに。
「さっさと本題に入ってくれないか?どうしてお前がここにいるのかを聞いてるんだよ」
グラフィは目線を彼に縫い付けたまま一語一句を区切りながら強調する。彼は甘えるように首を傾げて唐突に笑みを零した。
「あれっ……?ああ!そういえばあなたの質問に答えていませんでしたね」
彼は物憂げだった表情を一転させ、コホンと咳払いをする。
「私は皆様を目的地に案内するためにお待ちしておりました。ここは結界の狭間。適切な方法を踏まないとここから抜け出すことはできないのです。私が先行しますので皆様は私の後からついてきてください。目的の場所へ安全に案内させていただきます」
「レイニーが案内人だったが今度はお前が案内人かよ。いかにも回りくどいことをするんだな」
「こればかりはどうしようもないのです」
彼女が目的地の詳しい道程を知らなかったのは人為的に仕組まれたことであった。情報を外部に漏らさないためにわざわざ婉曲的な方法で私たちをここまで向かわせて、元来の案内役である彼に役割は帰結した。そこまで国家的に秘匿されている情報を彼は知っている。王がどれだけこの問題に介入しているのかは未知数ではあるが、従者をここまで呼んだのには少なからず王の作為が垣間見えた。
「………」
グラフィは彼の言葉を反芻するかのように俯いてぶつぶつと呟きを零した。首筋は悄然と下を向いており、垂れ下がる彼女の黒髪で彼の表情は窺いようがなかった。するとふいに視線を幌馬車に向けて、それからゆったりとした足取りでダンテをレイニーの脇を通り抜ける。私たちに何も告げずに荷台の方まで引き返す行動をとったため、私は唖然と彼女の背中を目で追った。いまさら「俺は行かない」とでもいうのかと彼女の行動を様子見していたら、彼女は荷台の後部から仄赤い色に染められた顔を覗かせた。
「なにとぼけた顔をしてんだよ。さっさと同行する準備をしようぜ」
私たちはほっと胸をなでおろした。彼女は依然と顔だけを荷台から覗かせて、こちらの様子を訝しむように首を捻っている。ダンテも安堵の溜息を漏らしていた。
「んじゃ僕も荷物を取りに行きますかね」
「えっ、えーっと。私はどうすれば……」
レイニーは体を窄めながらおずおずと彼に声をかける。彼女の案内役は彼に移行したため手持無沙汰であった。
「後々お願いしたいことがありますので一緒にご同行いただきたく存じます」
「ああ、それはよかったです」
レイニーは安堵の吐息を漏らしてこちらを見た。私はそっと視線を逸らした。
「じっとしておくんですよリュンヌ」
おのおのが各種準備を始めた。彼らの適応力の速さに思わず「あっ」と声を漏らしてしまった。それから徐々に思考が状況に追いついた。
「貴重品などは肌身離さずに持ち歩くようにしてくださいね。人の侵入は容易にはできないようになっていますが魔物は生息していますので十分注意してください」
彼は小さな手を朝顔のように口元を覆って周りへ注意喚起をする。私も準備をするために松葉づえを脇で抱える力を強めて歩き出そうとした途端、彼の声が私の鼓膜をそっと小突いた。私は急かされるように正面を見据える。
「あなたが転移者ですか?」
私は胸の辺りで控えめに挙手する。
「は、はい。たぶん私が転移者だと思います……」
たぶんという言葉に首を傾げていた彼は、腑に落ちたのか「恥ずかしがり屋さんなのですね」と晴れやかな笑みを湛えながらこちらへ近寄る。私は自分の袖を掴んで少し身構えた。私と同じくらいの背丈で私よりも幼い瞳が私の顔を覗き込んだ。そのまんまるとした瞳には口をあんぐりと開けている自分の顔が暗闇のなかに映り込んでいた。異世界に召喚されてから一度も鏡が見当たらなかった所為か、私には自分の顔がまるで別人のように思え、焦燥に駆られて視線を逸らす。
「可愛らしいお顔ですね」
「なんですか急に……」
癪に障る言葉に苛立ちと不快感を覚えた私は顔をしかめて彼の鼻筋を睨んだ。
「そうですよね。赤の他人から褒められてもあまりいい気分にはなりませんよね。私の配慮不足でした。すみません」
彼の行為には私の顔を眺めて歯の浮いたセリフを言い放つ以外に別の意図があるように思えた。彼がただの人たらしではないことを信じたい。伏し目がちの彼は前髪の隙間から私の顔色を窺っていた。時たまに垣間見える年相応の仕草には好感が持てるというのに。
「あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか。あなた以外のお名前は把握しているのですがあなたをどう申し上げたらよいのか……」
褒める行為には私との距離感を縮める意図があったのだろうか。前髪の僅かな隙間から上向きの視線でちらちらとこちらを見やる表情にはそういった色が感じられた。
「黒野薊です。黒に野原の野。薊は紫色の棘ある花の名前です」
「クロノアザミ様ですね。美しいお名前です」
薊なんて人を遠ざける棘だらけで花言葉もあまりいい意味を持たないというのに。両親はどうして私に薊という名前を付けたのだろうか。異世界に転移した私にはもう聞くことはできない。
私は彼から逃げるように幌馬車の方へ向かった。首を後ろに回すと一人佇む彼の姿があった。橙色の灯りを夜の色に溢しているランタンが、妙に距離のある私の足跡を照らしていた。
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