第4話 犬の写真と九条君の写真
犬嫌いを治して犬好きになると決めた、次の日の月曜日。
私はもう、昨日までの私じゃない。生まれ変わった、ニュー羽柴亜子の誕生だー!
「何を大袈裟な。だいたいまだ、犬嫌いを克服できていないでしょーが」
親友が呆れた顔をして、やる気を削ぐツッコミを入れてくる。
朝のホームルーム前。登校した私は、自分の席で弓香ちゃんと話をしていたんだけど。弓香ちゃんは相変わらず、痛い所をズバズバついてくるよ。
「い、今はまだ治ってないけど、頑張っていればきっといつかは」
「アタシも応援したいけどさ。昨日最後は、泡吹いて倒れちゃったじゃない。犬嫌いが治るよりも先に、アンタが死んじゃわないかガチで心配なんだけど」
「き、きっと大丈夫。私だって、色々頑張ってるんだから」
「ふーん、例えばソレとか?」
弓香ちゃんの視線の先にあるのは、机の上に置かれた私の通学鞄。
実は鞄には昨日まではなかった、デフォルメされた白い犬キャラクターのストラップがぶら下がっているの。
「昨日は、いきなりリアル犬の写真を見たのがいけなかったんだよ。デフォルメされた犬なら、さすがに平気だから、これで少しずつ慣らしていけば良いんだよ」
「こらこら。目をそらしながら言っても、説得力ないぞー。直視しろ直視」
「ひぃっ! 待って、まだ心の準備がー!」
「全然平気じゃないじゃん。そんなんでよくストラップなんて買えたね」
「そこはほら、決死の覚悟を決めて。死ぬ気になって何とか」
「そりゃあさぞかし珍妙な光景だったんでしょうね。レジの店員さんが、どんな反応したか気になるわ」
弓香ちゃんはそう言うけど、別に何にもなかったよ。
心配そうな顔で、「救急車呼びますか?」って言われたくらいかな。
とにかく、これを見続けていればそのうちきっと慣れるよね。
両手でワンちゃんストラップをがっしりと掴んで目を合わせる。
うっ、つぶらな瞳が、やけに恐ろしく感じる。目を背けたくなるけど、頑張って気合いでたえる。
大丈夫。犬なんて平気犬なんて平気犬なんて平気犬なんて平気犬なんて平気犬なんて平気犬なんて平気犬なんて……。
「おはよ、羽柴」
「犬──っ! じゃない。く、九条君!?」
特訓に集中する中声をかけてきたのは、登校してきた九条君。
弓香ちゃんは「あら、王子様の登場ね」なんてニヤニヤしてるけど、急に声をかけられたものだから私の心臓はバックンバックン。
そして九条君は九条君で、不思議そうな顔をする。
「犬って、いったい何の話……もしかして、そのストラップのことか?」
「え、ええと、そうなの。さっきまで弓香ちゃんとこの子の話してたから、つい」
「なるほど、可愛いな」
席につきながら、柔らかな笑みを見せる九条君。
その微笑みに、ズッキューンと胸を撃ち抜かれた。
わわっ、朝から九条君の笑った顔を見られるなんて。
しかも、か、可愛いって言われちゃった……。
「そう言えば、姉貴もこんなの持ってたな。可愛いからって、一時期大量に買い漁ってたっけ」
ストラップをツンツンと指で撫でる。
あ、可愛いって、ストラップのことだったんだね。私に言ってくれたわけじゃなかったんだ。しょんぼり。
って、弓香ちゃん、笑わないでよ!
どうやら私の勘違いに、気づいたみたい。
「でも、ちょっと意外だなあ。羽柴って、てっきり猫派なのかと思ってた」
「え、どうして?」
「覚えてないか? 前に、木に登った猫が降りられなくなってたことがあっただろう」
「え、えーと。ソンナコトアッタカナー」
目をそらしながらとぼけてみたけど、本当はバッチリしっかり覚えています。
だけどできることなら、このまま忘れたふりを続けたかったし、九条君にも覚えてもらいたくなかったなー。
だってそれは、数多い黒歴史の一つなんだから。なのに。
「あったねー。亜子ってばスカート履いてるのに登って行ったんだから、ビックリしたのを覚えてるわ」
「弓香ちゃん!?」
ああ……あの時の私は、本当にバカ。
木登りに自信があった私はすいすいと登っていって。降りられなくなってた猫ちゃんを捕まえて、地上に降りたまではよかったんだけどね。
そしたら弓香ちゃんからスカート履いてることを指摘されて、顔から火が出るくらい恥ずかしい思いをしたんだよ。
なのに、どうして今言っちゃうかなあ。しかも九条君の前で!
「も、もうお嫁にいけない……」
「コラコラ、そんなに沈むなー。なによこれくらい。あんたはもっとすごいこと、たくさんやらかしてるじゃん」
「フォローになってないよ!」
もう、弓香ちゃんのイジワル~!
一方九条君は、そんな私達を見ながら笑いを堪えている。
「まあまあ。あの時の羽柴、俺は格好良いって思ったぞ。あの猫、結構高い所にいたのに、躊躇なく助けに行ったんだからな」
「ほ、本当?」
「……ナントカと煙は高い所が好き、か」
弓香ちゃん!!
「とにかく、危険を省みず助けに行くくらいなんだから、猫が好きなんだろうなって思ってたんだけど」
「それはまあ。ふわふわモコモコしてて、可愛いからね」
「けど猫だけじゃなくて、犬も好きだったんだな」
「う、うん。猫は好きだけど、犬も好き。大好きダヨー」
なんて心にもないデマカセ言ったけど。
ズキン……ズキン、ズキン、ズキン! ああーっ、良心が痛むー!
後ろめたさがあるもんだから、汚れのない目で見られると、浄化されて灰になってしまいそう。
さらに追い討ちをかけるように弓香ちゃんが耳元でそっと、「ウソつき」と囁いてくる。
こ、これから大好きになるんだもん!
「それで、羽柴は犬は飼ってるのか?」
「それが、うちはペット禁止で」
「そっか、残念だな。だから飼えない分、犬のストラップで癒されてるってわけか」
「ま、まあそんなこと」
「だったら……ガレットの写真ならあるけど、見る?」
「えっ!?」
ドキンと心臓が高鳴る。
ガレットくんの写真!? 待って、まだ全然免疫ついてないのに、いきなりリアル犬の写真はハードル高いかも……。
だけど困っていると、九条君がそれを察してくる。
「悪い、馴れ馴れしかったよな」
「そ、そんなことないって。私、ガレットくんの写真見たいなー」
って、つい答えちゃったけど、私のバカー!
今はまだ無理って思ったばかりなのに、何でこんなこと言っちゃってるのー!
で、でも仕方ないよね。
せっかく九条君が親切心で言ってくれてるんだもの。
ほら、「見たい」って言ったとたん九条君の顔がパアッて明るくなったよ。こんな彼の気持ちを無下になんてできる? いいや、できないよね!
「じゃあ、どうする? 写真はスマホに撮ってあるけど、羽柴のスマホに送ろうか?」
「う、うん。お願い」
ああ、今から犬の写真が送られてくるのか。けど、今さら後には引けないよね。
で、でも平気。犬好きになるって決めたんだもの。愛さえあれば、きっと乗り越えられるよ!
「それじゃあメッセージアプリに登録しなきゃだから……スマホの番号、教えてもらってもいいか?」
「えっ?」
スマホの番号──!
そうだった。写真を送ってもらうってことは、番号を教えるってこと。
それって、番号交換できるってことー!
九条君と番号交換ー! 九条君と番号交換ー!
まさかこんな嬉しい展開になるだなんて、ガレットくんありがとう。君はキューピッドだよ!
と言うわけで。九条君に番号を教えると、今度はガレットくんの写った写真を、見せてもらうことになった。
ああ、今は今から、犬の写真を見るのかー。
昨日の特訓を思うと、また悲鳴を上げないか、泡をふいて倒れないかって、心配になる。
だけど今は、目の前に九条君がいるんだもの。犬に怯えるみっともない姿なんて、見せられるはずがないよ。
息を大きく吸い込んで、心を強く持って、いざ参る!
手の震えを押さえながら、九条君のスマホに目を向けた。
「────っ!」
画面いっぱいに映しだされたのは、にこやかな笑顔のガレットくん。
けど、持ちこたえた。悲鳴をあげることなく、ガレットくんを受け止めることができた。
「や、やっぱり可愛いね、ガレットくん」
「だろ。写真なら他にも色々あるけど、欲しいのある?」
九条君はそう言いながら、ズラリと並んだ写真を見せてくれたけど。そこに写されているのは犬! 犬! 犬!
九条君、どれだけ犬好きなの!?
ソファーでお昼寝をしているガレットくんや、公園かどこかで走り回っているガレットくん。九条君にじゃれつきながらわしゃわしゃと頭を撫でられているガレットくんなど、たくさんの写真があったけど……まって、最後のやつ!
「こ、この最後の写真、ガレットくん気持ち良さそうにしてて、凄くいい!」
「これか? けどこれ、俺も写ってるやつだけど、そんなに良いのか?」
九条君はそう言うけど、むしろそれが狙いだよ。
お目当てはガレットくんじゃなくて、いっしょに写ってる九条君なの!
好きな人の写真が手に入る、千載一遇のチャンスなんだから。一緒に犬が写っていようと、何としてでもゲットしないと。
「お願い、この写真ください! くれたら今日の給食のプリンあげるから!」
「いや、そんなことしなくても。タダでいいって」
「ありがとう、神様仏様九条様! 待ち受けに……ううん、家宝にするから!」
「そんな大袈裟な」
九条君は笑いながら、写真を送ってくれる。
やったー! スマホの番号だけじゃなくて、九条君の写真までゲットしちゃったー!。
嬉しーい! 今日は人生最高の日だ!
だけどそんな私を見ながら、弓香ちゃんは冷ややかな目でため息をつく。
「亜子、喜ぶのは良いけどさ。早いとこ苦手を治さないと、いつかはボロが出るよ」
う、弓香ちゃんの言うことも、もっともだよね。
けどこの九条君の写ってる写真を眺めていけば、一緒に写ってるガレットくんのことも平気になるかもしれない。
よーし、頑張るぞー!
写真が送られたスマホを握りながら、私は改めて決意を固めた。
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