第5話 小さな事からコツコツと

 あれから数日が過ぎて。私の日常は、大きく変わっていた。


 まず朝起きたら、新しく買った犬のぬいぐるみに、おはようの挨拶。

 それからスマホでよく、犬が出てくる動画を見るようにしたの。

 まだ本物の犬を前にできるほど克服はできていないから、まずはこういう所から慣らしていかないと。千里の道も一歩からだよね!


 他にも犬の鳴き声が延々録音された音声をダウンロードして、聴きながら寝るとか、犬がデザインされたシャーペンや消しゴムを使うとか、小さな努力を続けている。


 そして今日も、弓香ちゃんと一緒に特訓中。

 愛犬物語の映画のDVDをレンタルしてきて、弓香ちゃんの家で一緒に見ていたんだけど。


「ぎぃぃぃぃやぁぁぁぁっ!」


「ぬぅおぉぉぉぉぉぉ!」


「ぎょええええええええっ!」


 我ながら乙女らしからぬ、とんでもない悲鳴を上げていると思う。

 テレビには主人公の男の人が愛犬の柴犬とハグするシーンが映し出されているけど、私は怖がるあまり、弓香ちゃんと熱いハグを交わしていた。


「ひぃぃぃぃ、弓香ちゃあぁぁぁぁん! 助けてぇぇぇぇっ!」

「く、苦しいー。首を絞めるなー」

「あ、ゴメン。って、うわーっ犬が主人公を食べようとしてるー!?」

「落ち着け。あれは仰向けに寝ている主人公に乗っかりながら、じゃれついてるだけだ」


 てな感じで。ホラー映画以上に恐ろしい愛犬物語を観賞していって。その後も「ぐおー」とか「うぎゃー」とか叫びながら、何とか気合いでエンディングまで持ちこたえた。


「んー、なかなか面白かったかな。亜子はどうだった?」

「ふっ、案外大したことなかったわね。特訓を積んだ私の敵じゃないわ」

「あれだけ悲鳴あげといて、どの口が言うか! つーか敵と戦ってるわけじゃないから。映画の感想を聞いてるの」


 あ、そうだった。

 感想かあ。もちろん、無いわけじゃない。


「うーん、思ってたより良かったと思う。飼い主が犬のことを家族として大切にしていて、犬も飼い主のことが大好きで。迷子になった犬が飼い主を探して必死に走り回る姿は、健気だと思ったよ」

「へえー、意外。怖がってるだけかと思ったら、案外ちゃんと見てたんだね。てっきり犬が迷子にたったのを見て、『もう帰ってくるなー』って思っているものかと」

「私は鬼か何かなの!? そりゃあ犬は苦手だけど、家族思いな所は、ちゃんと良いって思うよ」


 そう。苦手なだけで、決して犬やその飼い主の気持ちを否定したいわけじゃないの。

 ペットと言っても、大事な家族なんだもの。大切にするのは、素敵なことだと思うよ。


 ただ……ただねえ。


「ああー、でもダメ! 相手が犬だと、どうしても体が震えちゃうー!」


 と言うわけなの。


 犬を怖がるようになった原因は、小さい頃に遭遇したトイプードル。他の犬には何の関係もないし、その時のトイプードルにしたって雷で怖がってただけなんだから、罪はないってわかっているけど。

 長年に渡って根付いた恐怖心は、そう簡単には拭えないんだよ。


「あんたの犬嫌いも筋金入りねえ。九条君の所の、ガレットくんだっけ。その子をスマホの待ち受けにまでしてるってのに、まだ慣れないの?」

「ス、スマホならさすがにもう慣れたよ。朝起きたら開いて、おはようって言うし、暇さえあれば愛でてるもの」

「それって一緒に写ってる、九条君を愛でてるんじゃないの?」


 ギクッ! バ、バレちゃった?


 で、でも慣れてきてるのは本当。少なくとも貰った写真なら、ガレットくんを見ても悲鳴なんてあげないもん。

 まあさっきの映画を見て分かるように、他の犬だったらそうはいかないんだけどね。

 けどそれでも写真のガレットくんなら平気なんだもの。すごい進歩だと思わない?


「まあ、一応成長はしているみたいね。これなら例えば、ガレットくんと一緒に散歩に行っても平気かもね」

「うんうん……って、一緒に散歩? それは、どうかなあ。リアルガレットくんかあ」


 それはちょっと自信がない。いくら写真が平気になったからといって、本物のガレットくんと会ったのは一回だけ。

 それどころか特訓を始めてから、本物の犬と絡んだことは一度もないのだ。

 特訓の相手は写真や映像、ぬいぐるみばかり。そんな状態で一緒に散歩ねえ…………無理!


「だ、ダメ。恐怖のあまり手が震えてリードを放して、ガレットくんがどこかに行っちゃって、九条君から『ガレットを逃がした? 羽柴さんだからガレットのことを任せたのに。もう二度と俺に話しかけないで』って言われて、嫌われちゃうんだー!」

「ネガティブ妄想がすぎる。あ、でも確かにガレットくんを見失っちゃったらまずいわね」


 でしょう!

 散歩なんてハードルが高すぎる。それがきっかけで、嫌われるなんて嫌だもの。

 それに何より。


「もしも本当に逃げちゃったら大変だもの。迷子になって見つからなかったり、交通事故に遭ったりしたら、取り返しがつかないじゃない」


 私が嫌われるかどうかよりも、そっちの方が大問題だよ。


「ま、それもそうね。けど犬嫌いをどうにかしたいなら、リアル犬にも慣れた方が良いんじゃないの。そうだ、今度ドッグカフェにでも行ってみたら。良い特訓になるかもしれないよ」

「ド、ドッグカフェ?」


 待って。ちょっぴり免疫が出来てきたとはいえ、犬の映画を見ても悲鳴を上げちゃう私が、ドッグカフェなんかに行ったらどうなるか。


「ダ、ダメ。きっと悲鳴を上げまくって、それを聞いた周りのワンちゃん達がビックリして吠えまくって、それで余計にパニックになる負の連鎖が起きる」

「かもね。きっとデリケートな子もいるだろうし、あんたみたいなのが行ったら絶対迷惑だわ」

「きっとお店の人にも怒られて、出禁になるよ」

「確かに。ごめん、あたしが間違ってた。あんたにドッグカフェはまだ早いわ」


 と言うわけで、この案却下。

 私だって、誰かに迷惑かけたくないもんね。

 もっとゆっくり確実に克服していかなくちゃ。


「あのさあ、前から思ってたんだけど。九条君と仲良くなりたいのが目的なら、別に犬に拘らなくても他の方法でアピールした方が早いんじゃないの?」

「う、それはまあ、そうかもしれないけど。で、でももう九条君にはたっぷり犬好きアピールしちゃってるし。他の方法で仲良くなった後、もしも本当は苦手だってバレたらと思うと怖くて」

「ま、そうかもね。やっぱそもそも最初見栄を張ったのが、間違いだったんじゃないの」


 今さらそんな事言われても。

 それに、好きな人と好きなものを共有するのは悪いことじゃないじゃないから。犬嫌いを治す事に、損はないよね。

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